goo blog サービス終了のお知らせ 

融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「癒やしは愛」

2024年02月10日 | 聖書のお話

「癒やしは愛」 ヨハネによる福音書 5章1~9節

 ベトザタという池の周りに5つの回廊がありました。そこには、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていました。そこでは、水が時々動くことがあって、そのとき一番最初に池に入った人が癒やされると信じられていました。イエスさんは、38年間も病気で苦しんでいる人に向かって、「良くなりたいか」と言われました。その人は、「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」と言いました。

 当時の社会では、神さまに罪を犯したから病気になると考えられていました。そのため、ベトザタの池と5つの回廊の周りに横たわっていた大勢の病気の人たちは、「罪人」と呼ばれて蔑まれていました。さらに、病人の間で競争があり、病気が癒やされるのも実力次第であるという様子が伝わってきます。イエスさんは、良くなりたいという思いがあるかどうかを聞くだけで、その人の病気を癒やしました。イエスさんの癒やしは愛です。病気が癒やされるにも差をつける社会にあって、差をつけたりしなかったからです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

明日は礼拝です

2024年02月03日 | 礼拝のご案内

 明日2月4日(日)は、主日礼拝です。午前10時30分から礼拝が始まります。メッセージは「癒やしは愛」、賛美歌は「みどりもふかき」、「ああ主は誰がため」です。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自由とは愛」

2024年02月01日 | 聖書のお話

「自由とは愛」 ヨハネによる福音書 8章31~38節

 宗教というものは、あれこれと決まりがあるものです。ユダヤ教では、安息日には働いてはいけないという、特別に重い決まりがありました。しかし、イエスさんは安息日に体の不自由な人や病気の人を癒やすために働かれました。それも、一度や二度ではありませんでした。そのために、律法学者やファリサイ派の人々は、イエスさんのことを安息日に働いてはいけないという決まりを破る大罪人であるとし、殺そうと考えました。

 宗教は、人々の集団や社会を形作る支柱でもあります。宗教には、人々の集団や社会が平安に保たれることが幸福であると思わせる機能があります。そのため、決まりに服従するように仕向けます。しかし、イエスさんは安息日の決まりを破り、体の不自由な人や病気の人を癒やし、身体的・社会的な苦しみから解放し、自由にしました。なぜなら、奴隷の立場にされて苦しんでいる人を決して見捨てない「自由と愛」の神さまに従って生きているからです。

 安息日という重い決まりは確かにあります。しかし、決まりは人間の手垢によって形骸化し、人を束縛するだけになってしまうこともあります。最も大切なのは、愛です。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である」からです。束縛とは不自由であり、自由とは愛なのです。イエスさんは、愛が律法よりも上位にあって最も大切であることを教えるため、安息日に体の不自由な人や病気の人を癒やされたのです。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする