明日12月22日(日)は、クリスマス礼拝です。午前10時から礼拝が始まります。メッセージは「馬小屋は愛」、賛美歌は「主を待ち望むアドヴェント」(4番)、「きよしこの夜」です。聖餐式があります。礼拝後は、祈りの一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご出席ください。なお、明日は大丈夫かと思いますが、悪天候の場合、礼拝を中止することもあります。
クリスマスにお祝いをしたり、「メリークリスマス」と言うのは、私が生まれる前から世界規模で出来上がっていたことです。いまさらどうこう言っても仕方ないくらい、特に深く考えることなくクリスマスを迎えています。一方で、私も歳を取ったのか、状況に応じて考えることは大切ではないかと思うようになりました。
仮にイエスさんの気持ちになってみたら、自分の誕生を祝福してくれるのは嬉しいのだけれど、同じ様な赤ちゃんや小さな子どもが飢えたり殺されたりしているのに、神の子とかおだてられても嬉しくないのではないかと思ったりします。神の子だとかおだてる暇があったら、困っている人たちを助けたら良いんじゃないかと考えるに違いありません。
もしかすると、クリスマスを祝うと言っても、別にイエスさんの誕生だからというのではなく、自分たちが楽しみたいからしているのだ、というのが本音なのかも知れません。楽しいことは、悪いことではありません。しかし、他者を思いやる気持ちとか、愛とかを忘れてしまうような楽しみなら、それは本当の楽しいことなのでしょうか。
そう考えると、全ては自分の有り様次第なのだと思う今日この頃です。