「愛は平和を実現する」 マタイによる福音書 5章1~12節
毎年、平和聖日には「平和の祈り」を捧げています。ところが、世界を見渡せば、平和の実現には程遠い惨状が見受けられます。むしろ、次々と戦争が起こり、戦争が悪化の一途を辿っています。「祈りが足りない」と言ったからとて、免責できる訳でもありません。世界の平和について私たちの理解を点検してみたり、平和を祈る際の自己欺瞞を問うてみる必要を痛感しています。
理解とは、教育と報道によって形作られます。第二次世界大戦の際、軍国教育と大本営発表によって、国民の理解が形作られました。その結果、事実と反する幻影を見させられた国民は、敗戦後にその幻影から目覚めました。一方で教育と報道によって私たちの理解が形作られることに変わりなく、私たちは戦後から現在に至るまで新しい幻影を見させられているのかも知れません。
イスラエルのネタニヤフ首相は、「アマレク人は殺せと聖書に書いてある。アマレク人とは、パレスチナ住民のことである。」と公言し、ガザで虐殺を繰り広げています。宗教教育も教育であり、戦闘は防衛のためであると報道されることによって、ガザでの殺戮が正当化されています。イエスさんは、教育と報道ではなく、愛によって平和を実現しなさいと教えているのです。