本日、就任式のお礼状を発送しました。10日もかかってしまいましたが、間に登記の事務が入り、これが期間内に済ませなければならないもので、お礼状の発送を後回しにせざるを得ませんでした。登記は、通常は自分で行っていましたが、今回、色々な事情で司法書士さんにお願いすることになりました。こちらの状況を見て、丁寧にアドバイスしてくださり、感謝です。8月1日から、突っ走って来ましたが、就任式関係と登記関係が終われば、一段落できるのではないかと思っています。色々とやりたいことはたくさんあります。
「聖書のお話」というカテゴリーを追加しました。礼拝でお話したことの要旨です。週報にも掲載されているものです。少しでも、聖書に親しんでいただければと願っています。内容は、「私は、こう思う」ということが基本です。タイトルは、お話の表題です。
ヨハネによる福音書20章19~23節より
マグダラのマリアは、愛するイエスさまを失い、とても悲しんでいました。墓の中で天使を見ても、驚くどころか「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」と言って泣くばかりでした。しかし、マリアの悲しみは、言い換えれば人間的な思いのことです。イエスさまが近くにおられたにも関わらず、まったく気づかなかったのは、人間的な思いのせいなのです。
イエスさまは、そんなマリアに向かって「マリア」と、名前を呼ばれました。イエスさまは、私たちが人間的な思いに囚われているときに、私たちの名前を呼んでくださるお方です。そうして、マグダラのマリアは、自分の名前を呼んでおられるイエスさまに気がついて、悲しむ者から喜ぶ者へと変わることができました。
また、恐れに取り憑かれ、自分たちのいる家の中から鍵をかけて隠れていた弟子たちにも、「あなたがたに平和があるように」と声をかけられました。この「平和があるように」も、弟子たち一人ひとりに向けられた呼びかけの言葉です。イエスさまの呼びかけを通して、イエスさまが共におられることを知った弟子たちは、この後、世界中に福音を宣べ伝える力が与えられました。
イエスさまは、私たちの名前を呼んでおられます。その呼ぶ声に気がつき、イエスさまが共にいてくださることを知ったとき、私たちもまた自然と喜ぶ者になれるのではないでしょうか。
そして、その喜びが平和の源となり、世に福音を宣べ伝える力にもなるのだと受け止めたいと思います。
御言葉に親しみ、聖書を通して呼びかけておられるイエスさまの声を耳にすることのできる者でありたいと思います。
マグダラのマリアは、愛するイエスさまを失い、とても悲しんでいました。墓の中で天使を見ても、驚くどころか「私の主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません。」と言って泣くばかりでした。しかし、マリアの悲しみは、言い換えれば人間的な思いのことです。イエスさまが近くにおられたにも関わらず、まったく気づかなかったのは、人間的な思いのせいなのです。
イエスさまは、そんなマリアに向かって「マリア」と、名前を呼ばれました。イエスさまは、私たちが人間的な思いに囚われているときに、私たちの名前を呼んでくださるお方です。そうして、マグダラのマリアは、自分の名前を呼んでおられるイエスさまに気がついて、悲しむ者から喜ぶ者へと変わることができました。
また、恐れに取り憑かれ、自分たちのいる家の中から鍵をかけて隠れていた弟子たちにも、「あなたがたに平和があるように」と声をかけられました。この「平和があるように」も、弟子たち一人ひとりに向けられた呼びかけの言葉です。イエスさまの呼びかけを通して、イエスさまが共におられることを知った弟子たちは、この後、世界中に福音を宣べ伝える力が与えられました。
イエスさまは、私たちの名前を呼んでおられます。その呼ぶ声に気がつき、イエスさまが共にいてくださることを知ったとき、私たちもまた自然と喜ぶ者になれるのではないでしょうか。
そして、その喜びが平和の源となり、世に福音を宣べ伝える力にもなるのだと受け止めたいと思います。
御言葉に親しみ、聖書を通して呼びかけておられるイエスさまの声を耳にすることのできる者でありたいと思います。
昨夜、「近くのスーパーが火事」との放送がありました。近所の方々が心配していましたが、約30分ほどしてから「鎮火した」との放送があり、ホッとしました。今日、近くを通ったとき見に行ったら、普通に営業していました。外観は、特に焼けたような跡もなかったように見えました。詳しくは分かりませんが、大きな被害がなかったようで何よりです。