昨日、『 明日からイタリヤ旅行に行って来ます 』と挨拶に来てくれた人がいたので、つい自慢げに私達夫婦がヨーロッパに行った時のアルバムを見せることになりました。
そしてその時思い出したのですが、今年の2月11日からこのブログで「四半世紀前の想い出」と題して7回ほど連載してきた紹介記事が、ローマの手前で中断したままになっていました。取るに足らない内容ではありますが、中途半端で終わらせるのは良くない事だと、残る「ローマ」と「ナポリ・ポンペイ」を紹介して締め括る事にしました。
前回はシャモニーを出てモンブラントンネルを潜るところまででしたが、トンネル出るとそこはもうイタリヤです。 バスはアウトストラーダ A1(別名「太陽の高速道路」)をひた走り、ローマの手前で1泊しました。
翌4月30日(現地時間)は、朝から午後3時までローマ市内観光です。1枚目の写真は「ヴィクトル・エマヌエル二世の記念碑」、2枚目は「サンタンジェロ城」です。
次はツアーには付き物の工場(?)見学。ここはローマなのですが、入ったのはベネチュアガラスの工房でした。
工房を奥に進むとそこは売店です。「製造直売だから安い?」と洗脳され、つい「コップと水差しのセット」を買う羽目になりました。
ここは有名な「トレビの泉」です。今回の旅行で最も期待していた名所の1つでした。後ろ向きでコインを泉に投げ入れるとまた来る事が出来ると言うので、家内と1個ずつ投げ入れましたが、果たしてこの歳になって2度目はあるのでしょうか??
次に向ったのが「バチカン宮殿」でした。ここはご存知、イタリアに有っても完全な独立国、立派な宮殿は派手な衣装をまとったスイス人の衛兵で守られていました。
この宮殿も見学しましたが、一番印象に残ったのはこの天使達(キューピー?)の像でした。
最後は「コロッセオ(円形闘技場)」です。外部からの写真は良く見かけていましたが、内部からは全貌が見渡せる為、その巨大さに驚嘆しました。また今は1階の床が崩れ落ち地下の構造まで見渡せました。
その昔、観衆の目の前でキリスト教徒達が猛獣に食い殺されたりした場所と聞くと、とても複雑な気持ちになりました。
午後3時、またバスに乗り次の目的地ナポリに向かいました。次回は「ナポリ・ポンペイ遺跡めぐり」を紹介して最後にしようと考えています。
そしてその時思い出したのですが、今年の2月11日からこのブログで「四半世紀前の想い出」と題して7回ほど連載してきた紹介記事が、ローマの手前で中断したままになっていました。取るに足らない内容ではありますが、中途半端で終わらせるのは良くない事だと、残る「ローマ」と「ナポリ・ポンペイ」を紹介して締め括る事にしました。
前回はシャモニーを出てモンブラントンネルを潜るところまででしたが、トンネル出るとそこはもうイタリヤです。 バスはアウトストラーダ A1(別名「太陽の高速道路」)をひた走り、ローマの手前で1泊しました。
翌4月30日(現地時間)は、朝から午後3時までローマ市内観光です。1枚目の写真は「ヴィクトル・エマヌエル二世の記念碑」、2枚目は「サンタンジェロ城」です。
次はツアーには付き物の工場(?)見学。ここはローマなのですが、入ったのはベネチュアガラスの工房でした。
工房を奥に進むとそこは売店です。「製造直売だから安い?」と洗脳され、つい「コップと水差しのセット」を買う羽目になりました。
ここは有名な「トレビの泉」です。今回の旅行で最も期待していた名所の1つでした。後ろ向きでコインを泉に投げ入れるとまた来る事が出来ると言うので、家内と1個ずつ投げ入れましたが、果たしてこの歳になって2度目はあるのでしょうか??
次に向ったのが「バチカン宮殿」でした。ここはご存知、イタリアに有っても完全な独立国、立派な宮殿は派手な衣装をまとったスイス人の衛兵で守られていました。
この宮殿も見学しましたが、一番印象に残ったのはこの天使達(キューピー?)の像でした。
最後は「コロッセオ(円形闘技場)」です。外部からの写真は良く見かけていましたが、内部からは全貌が見渡せる為、その巨大さに驚嘆しました。また今は1階の床が崩れ落ち地下の構造まで見渡せました。
その昔、観衆の目の前でキリスト教徒達が猛獣に食い殺されたりした場所と聞くと、とても複雑な気持ちになりました。
午後3時、またバスに乗り次の目的地ナポリに向かいました。次回は「ナポリ・ポンペイ遺跡めぐり」を紹介して最後にしようと考えています。
その点について今回訪れる人たちには詳しく教えておきました。(笑)