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Pretenderの備忘録

歌舞伎の日

2020-02-20 22:51:43 | 歌舞伎
知らなかった。

最近の歌舞伎で感じることはやはり世代交代である。
高麗屋三代、團十郎は、前回もわからないなりに観ることができた。三度目を元気に観ることはないように思う。

菊五郎はたまに、輝きを見せるが、体調はどうなのだろう、疲れているなと感じることが多い。白鷗は、好き勝手にやってる感じで、感動もない。吉右衛門は、娘婿に立役を一生懸命教えている感じだ。仁左衛門は、そもそもここまで元気に来たことに本人も驚いていると思うが、千之助に伝えることを意識しているのがわかる。

35年前の團十郎襲名では、若手とされていた彼らが、重鎮となった。当時、助六で、重鎮バージョンでは、揚巻を歌右衛門がやり、十三代目仁左衛門の意休、その他、勘三郎や松緑が出ていた。若手バージョンでは、菊五郎の揚巻、当時の幸四郎の意休等だったと思う。

歴史にifはないが、この時代、勘三郎と三津五郎と福助(歌右衛門を襲名して)で、支えていたはずだったのではないか。古典と外部の作家を巻き込んだ新作と、刺激ある舞台が展開されていただろう。

その世代が飛んで、一気に、海老蔵、幸四郎、菊之助、猿之助となった。新作にもいろいろと取り組んではいるが。なかなか再演されそうなものが出てきてるとも思えない。海老蔵の三池さんや秋元の起用が必ずしも成功しているとも言えない。幸四郎の三谷歌舞伎や阿弖流為等はそこそこか。菊之助のマハーバーラタやナウシカ、そして猿之助のスーパー歌舞伎。このデータの時代、新しい歌舞伎を観に来たファンが、古典も含めたファンになっているかの分析は必要だろう。そして、ワンピースやナルト、ナウシカ等々を歌舞伎で見せる意味は何かは明確にしておくべきだと思う。

玉三郎がいろいろなチャレンジをしている。舞踊については、最近は能っぽいのが多いが、ファンは、歌舞伎座に能を見に来ているのではない。歌舞伎舞踊らしいものを期待している。また、雪之丞変化では、映像を使うなどの試みもあったものの、美輪化が進んでいるのではないかという気もした。白雪姫に至っては、何をしたいのかが不明。哲明さんが死んだから、自分も新作にチャレンジしなければいけないということなのか?

昨年末の幸四郎のチャップリンは再演だったし、中村屋が新作落語を歌舞伎にするようなチャレンジは良いのではないか。今後、野田秀樹がまた書くかはわからないが、中村屋との関係では、クドカンが書くだろうし、それ以外の作家もあり得るだろう。

古典を守りつつ、新しいチャレンジをしながら、新しいファンを獲得する試みは、正解がない戦いであるが、ファンとしては、打率を上げていく様を見ていきたい。

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