Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ユキノシタが咲く

2009-06-11 13:03:03 | 自然から学ぶ


 先ごろ松本市の玄向寺を訪れた際、裏山への脇の沢にユキノシタを見つけた。ちょうど花の咲く季節である。ユキノシタのことは昔から知っていたが、花を意識して見た覚えもなく、初めてその姿を確認した。一瞬この花を見ると枯れて花びらが落ちているという印象を受ける。なぜかと言えば対照的な花ではないからだ。上に3枚の小さな花びらがつき、下に大き目の2枚の花びらがつく。ようは上の花びらが散ってしまったように映るのである。

 「白い花を雪が降るのに見立て、その下に緑の葉がある様子を意味している」という説がその花の名の由来にあるとも言うが、このアンバランスな花にして上3枚に赤紫の斑点が見えるあたりが印象をより深める。

 わたしがこのユキノシタには思い出がある。足を患っていた祖母の足は、常に膿を出していた。もともと細かった祖母の足は今ならわたしの腕より細かったかもしれない。その足に貼られたガーゼを毎日のように換えていたもので、その光景がつい昨日のようによみがえる。体も弱かった祖母のイメージをより一層高めるように足の傷は痛々しかったのである。その足の傷に時にユキノシタの葉をあてることがあった。まだほ場整備のされていなかった時代には、田んぼの畦畔には石積みがあって、旧河川敷ということもあって水田の下に水道があって、畦畔は比較的湿り気の強い場所だった。そうした畦畔に積まれた石垣の間にこのユキノシタが生育していたのである。足の悪かった祖母は、孫にそんなユキノシタを採りに行かせたもので、なぜか野草の中では印象に残っている種である。以前にセンブリについて触れたが、センブリとともに記憶に残り、今のように野の物に興味の無かった時代でも、すぐにそれと認識できる野草だったのである。

 検索すると「葉っぱをてんぷら」にして食用にしたというものがけっこう紹介されている。わたしの家ではそのようなことは一度もしなかった。記憶に残るものがいわゆる薬草としての利用だったように、かつての暮らしの中でいかに薬草が大切にされていたかがよく解るのである。

 ところで民間薬として利用されていた事例を『長野県史民俗編』(南信地方 ことばと伝承)より拾ってみると次のようである。
○耳の悪いときにゆきのしたを用いた。
○はれものができたときに吸い出しとしてゆきのしたを用いた。
○しもやけができたときにゆきのしたを用いた。
○切り傷にゆきのしたを用いた。
○やけどにゆきのしたを用いた。
○どもにゆきのしたを用いた。
○心臓の悪いときにゆきのしたを用いた。
○じん臓病にゆきのしたを用いた。
○疫痢にゆきのしたを用いた。
○風邪やせき止めにゆきのしたを用いた。
○熱ざましにゆきのしたを用いた。
○鼻が悪いときにゆきのしたを用いた。
○歯が痛いときにゆきのしたを用いた。
○子どもがひきつけを起こしたときに気をつけとしてゆきのしたを用いた。
○子どもがカンノムシの強いときにゆきのしたを用いた。
○寝小便にゆきのしたを用いた。
といったものである。傷に利用したと思っていたら、けっこうオールラウンドに利用されていたことが解る。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****