Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

和歌山県の歴史散歩

2009-06-02 12:29:49 | ひとから学ぶ
 わたしはこれまで国内でも足を一歩も踏み入れたり通過したりしていない地域がある。日本の真ん中辺りに暮らしているから周縁部がとくに縁がない。北海道、青森、岩手、秋田の東北を中心とした北国、長崎、熊本、佐賀、宮崎、鹿児島の九州、あとは高知だろうか。ほかの地域でも通過しただけみたいな所もあって、前述した地域とさほど認識は変わらないといった地域もいくつかある。一生の間に行く機会があるかと問われれば、きっとすべてをクリアーすることは無いような気がする。けっこうあちこち歩いてきたわしにも、現実はそんなものなのだ。

 そうしたなか足を踏み入れた地域でも印象深い地域がある。和歌山はそんな地域のひとつだ。先日知人からこの5月末に発刊された『和歌山県の歴史散歩』が送られてきた。同書の編集委員長をされていた様子。知人といってもそれほど親しいわけではなく、会ったことも記憶では3、4回程度である。20年以上前にまつり同好会の記念大会でお会いし、その大会の主だった人たちで信州旅行をした際に同行させていただいた。その後田辺闘鶏神社の祭りなどを訪れた際に案内をしていただいたりして、あとはもっぱら文字での会話であった。闘鶏神社を訪れた際のルートは確か紀伊半島をぐるっと車で一周した時のこと。そして再度南方熊楠記念館を訪れた際は高野山から奈良十津川を経て日高川を下って南部に入ったように記憶するが、詳細なルートはよみがえらない。当時は阪和自動車道が海南あたりまでしか通じておらず、なにより「遠い」という印象が強く残った。今でも延長しても田辺までしか開通していないのだから、交通の便という面では虐げられてきた地域ではないだろうか。それだけに記憶に残るということもある。

 同書を開いてみると興味深い地域であることをあらためて認識する。長野県内はほぼくまなく知っているわたしには、もし長野ではない地域に住んでいてどちらに足を向けるかと問われるともしかしたら和歌山の方かもしれない。「山の風景」においては長野は特別であるが、その特徴を選択肢から除いてしまう明かに和歌山の方が歴史的にも、地域空間的にも興味を引くものが多い。

 闘鶏神社の夏祭りは田辺祭と言われるが別に「笠鉾祭り」ともいわれている。やはり海辺の夏は熱く、この祭りに訪れたときもずいぶんと暑かった。それだけが強く印象に残ってしまって、運転手として行動していたわたしにはそれ以外にあまり記憶がないのだ。むしろ梅の花が咲く春先に南部川村や南部町を通った記憶が残る。そしてその際に白浜にある南方熊楠記念館を訪れた。恥ずかしい話であるがそれまで南方熊楠という人を知らなかった。近年では10年ほど前だろうか、九度山を訪れた。真田家の面影を追ったといえば恰好が良いが、当時息子がそんなことに興味を持っていた。このように当時の記憶に残っているものが少ないだけに、あらためて本を開きながらその魅力にはまっている。いつかしっかりと訪れたい、そんな気持ちを抱かせてくれる贈り物であった。
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