Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

地域学へのまなざし

2009-06-13 20:27:50 | ひとから学ぶ
 羽場睦美氏は伊那谷研究団体協議会2008シンポジウムにおいて問題提起として「伊那谷まるごと博物館と伊那谷学の概念」について述べられている(『伊那』973 伊那史学会)。以前にもこの伊那谷学について触れたことがあるが、最近こういうネーミングの地域学というものが多く見受けられる。その名称の地域を研究していこうという土台があるのだろうが、果たして伊那谷学として対象を目指しているのか、というようなことを以前触れたように思う。それは伊那谷研究団体協議会というものそのものが飯田を中心とした偏りのあるものだからだ。何度も言うように、この谷は一つの谷の中にあっても一つではない。もちろん多様な部分を重視する意味でも一つであるわけがないと思うが、ようは総体的な「学」をネーミングするには多様性ではなく、一つのテーマに向かった取り組みのようなものが必要ではないかと思うからである。ただ、羽場氏が阿智村の例をとって言うように、あまり「全村博物館だとかエコミュージアムとかいわずに、静かに地域の活動を続けるということでよいのではないか」というスタンスは大事なことなのだろうとわたしも思うわけだ。もともと伊那谷まるごと博物館構想というものは伊那谷自然友の会の内部から発せられたものである。そして同会は、けして飯田下伊那を中心とした地域だけで活動するのではなく、まさに伊那谷というテリトリーで活動を行おうとしている。ただ思うに飯田市美術博物館という拠点に根を置いているだけに、行政という枠組みがどこかでちらついてしまう。そのため本当の意味での広域的な活動にはなりえていないのも事実。それを越えるには、行政の暖かい眼差しや、あるいは行政とは分離した形の活動を自ら見出していかなくてはならなくなる。果たしてそういう形で描けるかというとなかなか難しいだろう。そしてさらに障壁となる地域意識である。いずれにしても飯田市という行政の懐にあって、広域地域学を目ざすことの大きな意味はそこにあるとわたしは思っているが、現実は難問が多いことは言うまでもない。

 さて羽場氏の視線もそんなところにあるのではないかと思えるような言葉がところどころに登場する。それはともかくとして地域学としての名称が展覧会のように登場してくるのには違和感を抱く。問題提起の報告の中には、「伊那谷学」をはじめ阿智学、飯田学と縦割りしたように地域を「学」として捉えようとしている動きがあるようだ。そもそもではなぜそうしたネーミングをして地域学たらしめなくてはならないのかと思えてくる。ここにきて伊那谷自然友の会が目指そうとした地域学がどこか狭い領分のものに感じてきてしまう。そうではなかったはずなのに、なぜこのような議論になっていくのか。伊那谷もけして広域ではないものの、冒頭でも述べたように一つではない意識がある。専門外であるが、自然分野にしてみれば南北に長い伊那谷の自然は多岐に渡るのだろう。エリアが広いだけではない。標高差を三次元的にその領域に加重させれば、この地域はとても広い空間を描く。だからこそそれほど拾いエリアでなくとも「学」としてなりえると思うのだが、例えば「阿智」とか「飯田」というあまりにも行政に区切られた世界では、比較対象は限られてくる。安易な学ネーミングは避けたいものであり、伊那谷という領域がそうした視野で研究するには最小の範囲ではないだろうか。自らのエリアを自らで研究していき、それがいつかエコミュージアムと気がつくという眼差しからいけば、当初から地域学を意識するのは狭い意識と言えるだろう。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****