Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

本音のところ

2009-06-03 12:23:35 | 農村環境
 「趣味では維持できない空間」より

 ちまたでは減反政策が議論を呼んだ。結局政府は減反政策継続という道を選択したが、前回にも述べたようにこの国の農政は減反という施策によってこの状況を招いてきた。とはいえ、それをしなかったとして農業は活き活きとしていただろうか。むしろ減反政策によって可能性を見出してきた農家も少なくないはずである。もちろんこれも述べてきたように減反によって荒廃地が増えてきたとも言えるが、農業離れはそれら政策に関わらず進んだはず。確かに米作りはかつてに比較すれば手がかからず、土地を荒らさない利用方法ということになるが、米の需要が落ちていくなかで、さらには今後人口減少という流れが見える中では、消費量さらに減っていくことだろう。ここで減反を取り除いたとして、米を中心に経営を成り立たせていた農家はますます破綻していくことになるだろう。「担い手」とか「大規模」といった政策上の流れにはますます乗れなくなり、更なる荒廃地を生むことも考えられる。何より広大な土地をどう維持管理していくかという生産とは別の役割がある。そのあたりをよく理解していかないと意図とは異なる答えが出てしまう。

 かつてわたしの子どものころは「親の職業」といえば多くが「農業」だった。もちろん当時の農家は農外所得を求めて季節労働やあるいは専業としての職業に転換しつつある時代であった。だから農業だけで生計を立てていた時代から変化しつつあったが、まだまだ「農業」という肩書きに生きていた時代だった。平地農村であって、米主体の営農から転作促進とともに野菜複合型農業へと地域は変化していくが、大型機械化されるとともに、減反された水田にもそれほど手のかからない作物が植えられていった。いわゆる野菜複合とは言いがたい米中心型農業は変わらなかったといってもよい。そうした空間は、今や親の職業に「農業」と書く子どもはほとんどいないだろう。の完全なる農村であり、どう見ても農家主体の地域と外部の者には見えるだろうが、その実はまったく農家とは言いがたくなりつつある。

 いっぽうわたしが現在住む地域では、今でも親の職業を聞かれれば「農業」と答える子どもが数えるほどだろうが40人もいれば複数人いるだろう。わたしの生まれ育った地域と何が異なるかといえば、その地形である。ほとんどが水田であった生家の周辺とは異なり、傾斜のついた土地のほとんどは畑として利用されている。畑である以上米を作るというわけにはいかない。多くは果樹園として米とは比較にならない金銭を稼いでいたのだろうが、それらもかつてのような勢いはなくなり、荒れ果てた樹園地が点在する。こうした地域では手のかかる農業で手のかかっただけの収入も得ていたせいか、専業農家が若い世代に引き継がれた家が少なからずある。そして引き継げなかった家では、自らが生産できなくなればその場で荒廃地と果てる。ここが水田と畑の大きな違いである。今、山間地域に行ってもそこそこ耕地が利用され続けている理由に、米以外の用途に利用できるという光明があったからではないだろうか。その世代で「農」が終わる、という事情をはらみながら傾斜のある地域は現在を生きている。水田は平らだから他に利用し易い。畑は傾斜がついているから利用し難い。この初期の意識が最終的には土地の管理に影響し、管理できない以上は買ってでも利用してくれることは「ありがたい」に繋がる。金儲けばかりで土地を手放してきた農家ではないのである。
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