Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ツバメが巣をかけることの意味

2009-06-18 12:22:59 | 民俗学
 吉田保晴氏の「伊那谷のツバメ類」(『伊那路』629 上伊那郷土研究会)に教えられることがあった。伊那市東春近の事例をいくつか紹介している。「ツバメが来ぬようになるとその家は貧乏になる」「ツバメを殺すと運が悪くなる」「ツバメが来て巣をかけると縁起がよい」というものだ。ツバメを吉凶の鳥として捉えているもので、同様のことわざは全国にあるようだ。このことについてはわたしも子どものころから親に言われ、また自分たちでもそういう言葉を友だちと交わしていたようにも思うので珍しいことではないのだが、吉田氏は「衰える家にツバメは巣をつくらない」ということわざの証明をしてくれている。中川村四徳でもかつて「ツバメが巣をかけないようになると貧乏になる」と言われていた。ところが今四徳に行ってもツバメの姿は見ないという。また旧高遠町芝平へ鳥の調査に行った際も、ここでツバメの姿を見つけることはできなかったという。四徳も芝平もわたしの日記では何度となく触れてきた地区である。四徳は昭和36年の梅雨前線豪雨災害、いわゆる三六災(「さぶろくさい」とか「さんろくさい」と言われて伊那谷で災害のことを語ると必ず出る災害の名前である)で全戸移住した地域であって、現在人家はほとんどない。人家のないところに巣をつくるはずもないのかもしれないが、いっぽう芝平も全戸移住した廃村である。四徳とちがって芝平は家が今もたくさん残っているが、それでもツバメの姿を見ないというのだから、まさにことわざどおりということになる。

 『長野県史民俗編』の資料から南信と北信の事例を次にあげてみた。□は天候に関するもの、○は吉凶を占うものである。

 南信(長野県史民俗編第二巻(三)ことばと伝承)
 □つばめが低く飛ぶと雨が降る。(押出)
 □つばめが上空を飛ぶと風が吹く。(大島山)
 ○軒のつばめがいなくなると死者が出る。(上槻木)
 ○つばめが巣をかけに帰ってこなくなると火事か変わりごとがある。(大池、払沢、下蔦木、中坪、大島山、座光寺原、金野)
 ○つばめが家に巣を作ると良いことがある。(小坂、南大塩、大池、立沢、小沢、青島、北割、大草、越久保、金野、木沢、押出)
 ○つばめが巣をかけにこなくなると悪いことがある。(若宮、北割、木沢)

 北信(長野県史民俗編第四巻(三)ことばと伝承)
 □つばめが勢いよく飛ぶと晴れる。(戸部)
 ○つばめが家に巣を作らなくなると死者が出る。(四角面、中川)
 ○つばめが来て下手な巣を作ると不吉だとして心配する。(富倉)
 ○つばめが巣をかけなくなると災難がある。(小境、北永江、上赤塩、柏尾、沓野)
 ○つばめが家に巣を作ると良いことがある。(日方、三水)
 ○巣をかけていたつばめが急にいなくなると悪いことがある。(堀之内)

と言う具合である。ほぼ同じようなことが南と北で拾ってみても言えるわけだ。長野市桐原では「滅びる家は鳥もこない」ということも言われている。前述したように廃村になった村には鳥も来ないということにあたるわけである。もちろんツバメが人の暮らしに密着している鳥だからこそのことである。「つばめが急にいなくなると悪いことがある」というものがある。巣を作っていたツバメが突然いなくなるということはある。蛇にやられるのである。家にいる蛇だからこの場合はだいたいアオダイショウである。ツバメの巣を狙っているアオダイショウを祖父や父が追いやっていた姿が記憶にある。さすがにアオダイショウは家の守り神という言い伝えもあって「殺す」というところまでいかなくても、けっこうダメージを与えたこともあったように記憶する。家の守り神より大事にされたツバメということになるだろう。

 吉田氏は天候に関する説明もしている。飛翔している虫を食べるツバメが低空で飛ぶということは虫も低空で飛んでいるということ。湿度が上がると虫も羽が重くなって高く飛べなくなるということだ。「つばめが低く飛ぶと雨が降る」というのはその通りのことということになる。

 さて、「雀孝行」という昔話は全国にあるようだ。『ウィキペディア』によれば「昔昔、燕と雀は姉妹であった。あるとき親の死に目に際して、雀はなりふり構わず駆けつけたので間に合った。しかし燕は紅をさしたりして着飾っていたので親の死に目に間に合わなかった。以来、神様は親孝行の雀には五穀を食べて暮らせるようにしたが、燕には虫しか食べられないようにした。」というもので、前にも紹介した『長野県史民俗編第二巻(三)ことばと伝承』にも昔話として南信濃十原の荒井センヨさんの語りが紹介されている。次のようなものである。

 すずめとつばめがおってな。つばめは親様が大変だっちゅうたら、お化粧ばっかりしとったってよ。ここらをきれいにぬぐう、ここらに紅をさす。そして飛んでっただよ。そしたら死んじゃっておらん。まあ死にめに会わんとゆうわけだな。
 それからすずめはな、親がな、大病だっつったらろくに支度もせなあし、飛んでったってよ。それだもんで、あのうすずめには食べるものをさずけてくれた。
 つばめは、きれいに化粧していて親の死にめに会わなんだって。きれいな鳥じゃないかえ、つばめはきれいな鳥だ。それだもんだでな、虫ばっかりさずけたって。弘法様がな。昔の話な。今でもそうだよ。親が大病だっつったら、早く飛んでかにゃあかわいそうだよ。本当はな。

 「竹富島の昔話」というものも検索していたら見つかった。全国にある話のようだが、確かに人の食べ物を狙っているすずめの方が高級といえるのだろうが、鳥そのものへの思いは、前述したようにツバメに軍配があがっている。
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