最終
<ニュースレターNO.14> 8段目
宮古市長は「条例」を廃棄し防潮堤・水門の見直しを始めるべきだ
当然の事である。なんら根拠・整合性のない安全区域の指定を繰り返す「条例」は法律としても全国に例がない。また、岩手県の防潮堤・水門工事については直ちに中止して地域ごとの合意形成を図るよう知事に申し入れるべきだ。住民への説明もない独善の設計変更、度重なる工期の延長、予算の倍々ゲーム化が無制限に行なわれている。異常事態がつづき、当初計画は破綻、正常修復は不可能だ。
<解説>
上記記事は当然の事である。解説として付け加えるものはない。
敢えて一言付け加えるならば(「ニュースレター」の冒頭に述べた通り)防潮堤や閉伊川水門の問題はどの地域の住民であれ、市民は関心をもってほしいということ。
特に市会議員は「関心がない」ではすまされない。
この6年間「鍬ヶ崎の防潮堤を考える会」は宮古市議会と陳情や要望の事で議会と接触する機会があったが議員はこれらの問題を自分の事(使命感)として充分に考えていなかった。
「岩手県の事業には宮古市としては口だしできない」「被災沿岸地域の事であり自分(選挙地盤)にはピンとこない」── というような態度が見え見えで主体的に宮古市全体の問題とはとらえていないようであった。被災地域選出の議員でさえそうであった…
こちらからなにか問題を提起すると、議員同士で議論するでなく、提案者に突っ込んで質問するでもなく。── 岩手県の現地事務所=宮古土木センターや宮古市建設課の職員を呼び、その見解を鵜呑みにしていた。役人は作り話をする…
沿岸被災状況や復興状況について、より仔細に見学したり、問題点を実地見聞する態度はないように思われた。── 防潮堤、閉伊川水門の工事進捗については今現在も状況把握に消極的である。他県や市外の被害視察などした事がないのでは?
宮古の大地が岩手県庁の油圧シャベルで無惨に掘り返されている。それでも「岩手県の問題だから…」というのか? 宮古市の問題ではないのか? ── 議会議員に考え直してもらわなければ「条例」の問題、防潮堤の問題、水門の問題が前に進まない。
市民も関心を深めてほしい
市民一人一人も「よく見聞きし分かり、そして忘れず」(宮沢賢治「雨にも負けず」)の努力をしてほしい。被災地だけの問題にしてはダメだ。