下の図は宮古市が3月21日、ホームページに発表したものである。一般市民がどのくらい閲覧しているのであろうか? はっきり言って宮古市のホームページほど操作性が悪い自治体を私は知らない。発表を知っていてもこの図に辿りつける人がどのくらいいるのであろうか? 被災市民を抱えて必要な情報に辿りつけなければホームページの意味がないのではないかと思う。ホームページ制作上の技術的こともあるが、一番の問題は、これらの情報が宮古市の喫緊の情報としてではなく、田老や鍬ヶ崎の一地区内の問題として市庁舎の中で軽く扱われているからだと思う。これらの震災テーマが項目だけでもホームページのトップページに現れることは最近なくなった。
鍬ヶ崎・光岸地地区土地区画整理事業完成予想図 について
・この図の右上辺に描かれている港町の防潮堤線堤の袋状のくぼみは津波を呼び込む。明治、昭和の三陸津波、今次3.11津波も鍬ヶ崎はここからの被害が一番大きい。川とはいえないほど小さい流れとはいえ、このくぼみあたりを河口とする清水川の流域を記憶していて、津波はここに殺到する。この場所から一気に溢流がおこり防潮堤を乗り越えあるいは破壊して再び同じような災害を引き起こすことは必至である。
・今次津波の現地の経験から、また繰り返し放映される各沿岸被災地の映像から見ても、津波がこの防潮堤を越え、防潮堤を破壊することは、この高さや強さ、構造にほとんど関係なく起こるように思う。どんな小さな隙間からでも全体への破壊は進む。われわれは先の津波によって自然の破壊力のまえにコンクリートの作り物は無力であることを思い知らされたのではなかったのか? 県土整備部は依然として津波を水かさが増す現象ととらえて、高さが少しでも高ければ市街地への浸水はないとしている。浸水どころか防潮堤そのものの破壊があることすら知らないのだ。
・自分たちが選んだものではない住宅の現地再建を半ば強要されて、鍬ヶ崎から流出する人々が増えている。市が県が国が高台移転を準備してくれないのであれば、各自独力で住宅を外に探すしかないのだ。これは自主的退出ではなく行政の不作為によるものだ。若者たちの住まいが定まらないで、鍬ヶ崎の産業や商業が活況を呈することはない。鍬ヶ崎から出て行った人は外に職場を探すことになるだろう。外から企業が入り込んでくることがあっても鍬ヶ崎の経済が空洞であることには変わりがない。
・この鍬ヶ崎の区画整理の完成図を見ても、鍬ヶ崎・光岸地が生産性のある地域に変身したようには見えない。まるで半導体や家電の製造工場みたいな建物が何となく並んでいるが、向こうの商業地区と同様この産業地区としての意味が伝わってこない。「実際とは異なる場合があります」以前の以前の問題である。宮古市にとって鍬ヶ崎地区が経済的お荷物になるのではと懸念される。鍬ヶ崎の土地区画整理事業は驚くべき無内容で、たんに防潮堤と浄土ヶ浜への道路建設だけが目的のように見える。
問題は振り出しに戻った
高台移転の問題、土地区画整理事業の問題、防潮堤の問題、いずれも宮古市長府、宮古市行政、つまり宮古市長の問題であるが、そこでは前々から手詰まり感があった。まさしく当該地区、宮古市議会、宮古市民が等しい立場で立ち上がって、考えて解決しなければならない問題に移ってきた様相がある。ものによっては直接県政(に訴える)の問題であり、国政(に訴える)の問題なのである。
現在の市長は震災前いわば平時に選出された市長であった。副市長の招聘も有事の行政を想定したものではなかった。奮励努力したことは認めるとしても復興レベルで成果は上がっているとはいいがたい。被災住民は実生活においても、将来のめどにおいても路頭に迷い、判断に迷う状態が続いている。
第2次「鍬ヶ崎地区復興まちづくり検討会」の発足を
有事の市政の欠陥は市民の間で十分な話し合いがないことであった。話し合いがないままでこのままずるずると前に進めることがどのような結果をもたらすかは目に見えている。 高台移転の問題、土地区画整理事業の問題、防潮堤の問題それぞれについてゼロからの論議を始めるべきである。ゼロからといっても、これまでの経過で討論資料や争点は煮え詰まってきている。それほど時間がかかるとは思えない。話し合いの実りを文書や結論にしたければ市の職員が事務を担うべく派遣される。人選は当然第1次「鍬ヶ崎地区復興まちづくり検討会」からはがらっと変えるべきである。とりあえず若い65歳以下の有志や識者をもってテーマごとあるいはいろいろな小さなグループごとに始めることがベターである。有志は地区外の人でも広く全市から参加してもらう。65歳以下というのは中心になる人のイメージであってもちろん年齢、性別は不問である。また会の名前も変えた方がよいと思う。──「田老地区復興まちづくり協議会」が参考になるように思う。