宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

高台移転の意味をふたたび(1)希望者は誰でも

2012年09月21日 | どうなる鍬ヶ崎

「希望者はだれでも高台移転ができる」が本筋(ほんすじ)


高台移転というものは条例や防潮堤で決まるものではない。基本的には住民の安全・安心を担う自治体が先導して決める事、行政指導的に住民を移転させる事である。第二番的に、少なくとも希望する被災者の意向に添って、行政が住み良い住宅地,住み良い住宅をお膳立てする事である。これが本筋である。



理由1

希望者には「たいへんでしたね」と礼を尽くして快適な高台移転のレールを敷くべきと思う。当初の全国的支援の輪、政府や国会の議論にはその熱気が見えていた。当然の事だからである。一地区の倒壊は国の一画が崩壊した事である。国として、国レベルの共同体の義務として早急に修復することになる。そのあるべき姿は災害が東日本であろうと、西日本であろうとも変わりがない。来るべき南海トラフ地震・津波に地域住民がパニックを起こさないである意味平然としていられるのはそのためである。わが災害でありながらそれは共同体災害、日本の災害であるからである。被災者、支援者ともに有する「どうにかなる」という共通認識。誰かが助けてくれるという潜在本能、困った人がいれば助けなければならないという潜在意識。これがどのレベルであれ世論の裾野であるからである。だから狭い意味での予算があるとかないとかの問題ではなく、狭い意味の国、県のお上の意向の問題でもない。



理由2

被災者は親子何代にもわたってこの地に住み、子をなし親を見て、海や陸で働き、市や県や国民に奉仕し貢献してきた。市民税を払い、固定資産税を払い、所得税、たばこ税、自動車税、とどこおらずあらゆる税金を払いつづけてきたのである。税だけではない、あらゆる選挙や各種集会を欠かさず、子を学校に通わせ、隣近所との付き合い、地域の子どもたちの面倒を見て、慶弔の事もいつもあった。それが一瞬に家屋、家財、海の景観、なによりも古くからのコミュニティ、地域や、ご近所や、学校や職場の絆をなくしてしまったのだ。家族を亡くした人もいる。この地から離れがたい。津波被災は個人的な過失事故とはいえないのだ。個人と地域,自治体は分かちがたく結びついてきた。宮古市の集団移転計画はこれらの事に応えているのかどうか。単に困窮者を救済するというような上から目線であってはならない。被災住民も堂々と主張することである。



理由3

宮古市は「災害危険区域に関する条例案」のパブリックコメントを市民に求めたが1通しか応募がなかった。この無関心さは、無関心さではなく、市民が「条例」の目的を見抜いているからである。自動販売機みたいにこの地区は高台移転、この地区は移転不要と、機械的に、答えを出すやり方に市民は信頼を置いていなかったのである。それにシミュレーションの結果もまだ発表されておらず、シミュレーションも前ページのようにあやふやな段階のままでは宮古市の怠だな先走りだけが目立つ。「条例」の意に反して高台移転と浸水深はほとんど関係がない事を言い添えたい。
いうまでもなく津波被災者の高台移転の意味は単に将来の(1)危険防災の意味だけではない、上記したように過去の(2)地域コミュニティの維持・継承の意味もある。また被災民に対する当面する(3)経済的支援、特に住宅・宅地の格安での提供という国家予算レベルの救済策でもある。この(1)(2)(3)の点で、各被災自治体は被災者の住宅確保のために首長を先頭にしのぎを削って奔走し、計算し、説明に明け暮れている。徐々に成果が出てきている。一方、宮古市のような「条例」とかの小手先的法律や、浸水シミュレーションなど「国や県のメニュー」(市議会「質問」より)に頼って、リーダーシップも主体性もなくこの問題を乗り切ろうという自治体もある。そこは一歩も前に進んでいない。



理由(という事ではないが)4

高台移転は自分たちの事情をどうするかという当面する問題であると同時に子孫、地域を考える超長期的視点での問題でもある。高台移転を希望する人、跡地に家を建てる人、地域から出て行く人、(だけでなく)自治体の市民一人一人、また自治体から外に出ている人の意見も尊重してオール宮古人で考える問題である。オール宮古人におねがいしたい。



理由5

最後になったが、高台移転の意味は被災地域の(4)復興のためである。家族の生活の基礎を固めないで地域の復興はない。高台に生活基盤(住居)を移し、被災跡地は基本的に経済(職場)に特化した産業立地地帯として再建、復興するべきである。安心があってこそ初めて企業運営も活発化する。何度も言うが住民の生活をかためないで、職場や港湾や道路など震災からの地域の復興を叫んでも半分の意味しかない。











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