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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

高台移転の意味をふたたび(2)鍬ヶ崎の悲劇

2012年09月27日 | どうなる鍬ヶ崎

宮古市「鍬ヶ崎復興まちづくり計画」より


【高台移転】

○防災集団移転促進事業による高台移転
・防潮堤整備により津波の越流が抑えられるため、現地再建が可能となり事業導入出来ないと判断しました。
(7/12、「鍬ヶ崎区画整理事業説明会」資料)


ブログ「マスター写真館2」<震災から一年半(鍬ヶ崎)>(2012.9.11)
 


明治、昭和の三陸津波、そして3.11の今次大津波で鍬ヶ崎地区はほとんど壊滅した。もっと古くは1611年の慶長大津波でも蛸の浜を越えた波と宮古湾を北進する戻り波で壊滅した記録がある。この地区が、宮古湾湾奥の各地区と同様に「災害危険地区」である事、どんな防潮堤が建設されても、それで「防災安心地区」に変わることはない事は誰にでも分かる事だ。津波による浸水はないからといかに宣伝されても不安だとかの記憶、おびえるとかの心情は残る。今次3.11以降、子どもたちの精神の状態はまだ不安定である。岩手県沿岸児童生徒の15.8%にはまだ「心の傷」反応があるという。ニュースでは被災お年寄りの脳障害が増えたと報じている(全国)。今でも頻発する地震に敏感になっているのは仮設住宅、自宅、避難先を問わず被災住民である。

 

これら被災住民の有力な選択肢であった高台移転が「防潮堤」の理由だけで切って捨てられる事には納得しがたいものがある。住民同士の検討も、官民の議論も、地元議員の詳しい説明もなく当局のえらそうな独断で切って捨てられているのだ。半年にも及んだ地区まちづくり検討会とはなんだったのか? 防潮堤の丈夫さも分かっていないのに…。

 

鍬ヶ崎のこの問題はマスコミ、ブログなどジャーナリズムでもあちこちで取り上げられている。「閉伊川水門で跳ね返された津波が鍬ケ崎に押し寄せてくるため、ここでは水位が10・3メートルまで高くなる。それでも、水はぎりぎりあふれない想定であるので(注=防潮堤は10.4m高)」「宮古市の計画は現地再建一本だ」(web 朝日新聞 2012.9.12)とも報じられた。跳ね返されて鍬ヶ崎に押し寄せてくる波は閉伊川水門からだけではない、月山からの反射波、湾奥から北進する戻り波もある。これらの事は現地では常識だが宮古市当局だけが「10センチ防潮堤の方が高い」(同)とマンガ絵みたいな事を強弁している。まともに聞いたらだれでも狂気のたわごとと思うだろう。10センチ…は市民の命をまっ先に守るべき行政が考える数字ではない。津波が戻り波と現実に相互に干渉したらとうぜん波高10m越え、15m越えも想定内である。背後の蛸の浜からの越流も心配事である。鍬ヶ崎津波浸水問題から蛸の浜問題を外す事は出来ない。

 

心理的にも構築物の効果としても、防潮堤を信用する人は少ない。あわせて行政の硬直したシナリオにも愛想をつかして、早々と鍬ヶ崎地区から他所に移る人は後を絶たない。

 


つづいて以下の文章が続く

○都市再生区画整理事業による高台移転


※都市再生区画整理事業で高台整備を検討した理由
鍬ヶ崎で再建を希望する方が多数で、道路、公園の整備に公共用地が必要となり、住宅用地が不足すると想定されたため。
・アンケート結果より、公営住宅と地区外を希望する方が41%となっており、そのうち土地の売却を希望する方が多数います。その方々の土地を市で買い上げ、公共用地に充当することで、住宅用地が確保できることから、現地での区画整理事業によるまちづくりが可能と判断しました。
(7/12、同)


ここに何が書いてあるか分かりますか? 行間も段落もめちゃくちゃなだけでなく言葉が文章になっていない。意味するところが全然分からない。この方(かた)は文章だけではなく行政の意味そのものが分かっていないようである。私は7/12当日の説明会に出ていないが会場ではちゃんと説明されたのであろうか? 断言するが、こんな文章の方々は会場でもちゃんと説明できるはずがないのである。
あえて推測するに─

○ 都市再生区画整理事業による高台移転(は)
※ 住宅用地が不足すると思ってこの事業での住宅用地の確保を検討したが…
・アンケートをしてみたら鍬ヶ崎の41%近くの方が土地の売却を希望しているので公共用地も住宅用地も確保できるので現地だけでまちづくりが可能と判断した。したがって、用地確保のための高台整備は不必要になりました。


─ 以上が要約だと思いますが、かえって分からなくなりましたか?
間違っていたら教えてください。

 

 (1)要するにやめです。(前段の防災集団移転事業でもやめましたが)都市再生区画整理事業でも高台移転は中止ということにしたというのです。下に土地があるからという理由で…

(2)市の高台移転とは要するに土地が足りなくなるからという理由だったという事です。いろいろ高台移転の理由を述べ、長く議論して、被災者として希望を出し、夢を育み、安心安全の生活を思ったのはなんだったのでしょうか? 宮古市の考え方とは土地が足りさえすれば安全も生活も恐怖も不安も個々人の経済も考慮しないという結論ありきのホンネですね、これは。議論のための議論、そして議論なき結論。

(3)土地を売って鍬ヶ崎から出て行く人の土地でまちづくりが可能になるとはなにかヘンですね。本末転倒です。公営住宅でも、高台移転でも、現地に残って生活し、仕事をして、協力して鍬ヶ崎を復興再建するのがまちづくりではなかったのですか?えっ?! これでは反対に鍬ヶ崎から人がいなくなるのを黙って見ているだけです。残った人も心細くなってますます出て行くのでは? 鍬ヶ崎人の地区外流出で土地を売る人が多いから「まちづくりが可能」とはどういうまちづくりなのか?宮古市役所のまちづくりなのであって鍬ヶ崎人のまちづくりでない事は確かです。

(4)あなた方のまちづくりとはそのようにプラモデルやレゴやジグソーパズルのような人間のいない血のかよわないまちづくりなのですか? 

(5)市長のシナリオ通りなのではないかと思います。要するにやる気がないように思います。

鍬ヶ崎の高台移転、鍬ヶ崎のまちづくりとは、結局、振り出しに戻って初めからやり直さなければ見通しが出てきません。政治も、官も、民も、新しい体勢を作って一から始めてもらいたい。時間はまだ充分にある。スジが通ることが大事だと思います。

鍬ヶ崎人のまちづくりとは(先きに書いた事の三たびの引用になりますが)いろいろな理由で、公の「防災集団移転促進事業」等を活用した高台移転にすがるしかないように思われます。津波によって崩壊した街が最後に消えてしまう前に、早急に高台に生活基盤(住居)を移し、被災跡地は基本的に経済(職場)に特化した産業立地地帯として再建、復興するべきであります。

 


   

 

 

 

 

 

 




コメント (2)
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