このブログの「前ページ」(10/8)にのせた白黒写真は日本経済新聞(10月1日)の写真を借用したものであった。──下の記事のまん中の白黒写真。
経済の専門紙の第3ページ経済面、それもご覧のように来年度の国家予算99兆円が踊る解説記事のどまん中の鍬ヶ崎の写真。もしかして予算を鍬ヶ崎に重点配分?とは思わなかったが、ここに写真が載った意味がなにかあるかとまわりの記事を読んでみたが、何もなかった。写真説明にある通り、たんに震災のカット写真にすぎなかった。しかし鍬ヶ崎が全国紙の経済専門紙に載ること自体がめずらしい事である。写真を選んだ編集者の思い、鍬ヶ崎の津波被災の特徴などを思い、空撮の報道写真をじっくり眺めたのである。──下に拡大写真
一つだけここで言いたい事は、津波後に現地に行って思った事であるが「海がちかい!」ということである。近すぎる。まるで浜べや磯に家が建っていたようなものだ、と思ったことである。あとでもいろいろな人から同じような感想を聞いた。考えてみれば、角力浜や日立浜や上町、仲町、港町はそのまま海の近くに家が建っていたのである。私が育った下町、清水橋あたりから見ると海とは少し距離があったような気がする。小さかった頃、鍬ヶ崎港の岸壁の海は家からとても遠かったように思う。船を見に行ったり、釣りをしにいくとき、何度もかどを曲がって、やっと岸壁に着くような感じであった。岸壁に着くまではもちろん海は見えなかった。…小さい地区の中でも、いろいろな思い込みというか、景観にたいする思い出のこまかな違いがあるように思う。…しかし今、一様に、地区全体がなくなった。
この写真を見ると、一つだけいえば、やはり海が近いということがはっきり分かったような気がしたことである。
同じような角度から写されたもう一枚の写真。鍬ヶ崎のブログ『鍬ヶ崎のはなし』おすすめ「大和園さんの野崎さん」撮影の写真を──。多彩な生活が息づき幸福感ただよう鍬ヶ崎の一枚…
海があり、赤い灯台の防波堤があり、港があり、家々があり、鍬小が見える。中里団地や佐原団地、遠くに宮古病院の大きな建物が見える。鍬ヶ崎夕景…