人は、着の身、着のまま放り出されたのである。避難所生活から仮設住宅に身を寄せて、いま津波後初めての本格的冬を迎えようとしている。そのさなかの9月上旬から10月上旬まで、市内被災地区の最小単位である約25集落において宮古市の「地区復興まちづくり会」が開催され市の職員からの説明があった。そこで示されたものが地区地区のまちづくりプランである。
鍬ヶ崎地区の説明会の事は「漁師の徒然なるブログ」(2011.10.3)に詳しく書かれている。こちらもぜひ読んでみてほしい。
高所移転の経費は?
復興まちづくりでは当然にも住宅問題が焦点になっている。私がおどろいたのは資料4で説明されている新築住宅の個別(=戸別)の経費の事であった。
1、個人的に自由に家を建てたり、土地のかさ上げをしたり、耐震構造のビルを建てる場合の経費は全部自分持ちである。(建設支度金200万円ほかの助成、金融がある…)
── そういうものかもしれないと思った。被災にあっても金持ちの人はいる。家をどこに建てようと基本的に自由である。その場合は自腹でどうぞということだ。跡地にでも(かさ上げも自腹)、宮古にでも、盛岡にでも…。特別な規制がない場合そうかもしれないが…「それで復興支援なの?」と言いたい…
2、a、集団で高地移転する場合。移転先の土地は賃貸。建物は自分の経費で建てる。
(跡地には住宅を建てることが出来ない。保有や売却は出来る)
── ここでも、それで復興?と言いたい。無責任!!ともいいたい。どこのどんな土地なのか?気候や見はらしは?交通や水道は?はたしてみんなが本当に住む?何も分からないところに、自分の土地を売って、改めて土地を賃借して、家を建てても大丈夫なのか?ばくちみたいなもので、結局は、なけなしの財産をなくしてしまうのでは?と思う。これでは人は行かない。アンケートにだって行きたいなどと書けない…
住宅の高所移転は今回の東日本大津波の国是ともいえる大きな復興の柱である。いえば国の威信がかかっているのだ。宮古市は県と歩調を合わせて、中途半端でなく、新しいコミュニティ建設を完璧に実行しなければならないのだ。そのための志と策を示してほしい。そうすれば人は動く。
こまかな条件だけやたら並べ立てても意気消沈するだけだ。
2、b、集団で跡地の地盤のかさ上げをする場合。道路整備をふくめて市が行う。建物は自分で建てる。
── 津波に大丈夫なかさ上げなのか?元の土地をかさ上げしてみんなで住んでも、津波に弱い地盤や地形であったら、同じこと…。市は何をしてくれたのかということになる…
3、自己再建が難しい場合は市が建てた公営住宅に入ってもらう。
── ついに本音が出た感じ。自分の持ち家で津波が来るまで住んでいたのに、くやしいだけの思い。結局、国や県や市は何もしてくれなかったことになる。
復興予算は何に使うのか?
懸念する事が本当になってしまうのでは?の思いを禁じえない。国や県や市は住宅の災害復旧や復興に何もしてくれないではないか?の懸念がある。「復興支援金は国の負担で行う」等の国のあの23兆円という復興予算は何に使うのか?知事のいう「復興予算に上限は設けない」という言葉は何だったのか?
津波被災のもっとも身近な災害、全国民が注目した、流失したり瓦礫の山と化してしまった家屋の再建には復興支援の手が延べられていない。市も腰が引けて、やる気があるのかどうなのか疑わしい。個人には支援しないということか?これほど国をあげて復興支援をスローガンにしているのに…
復興とは地域を復興させる事で個人の復興ではないということなのか?かさ上げや防潮堤や多重防災が優先ということか?
そうではないであろう。これら公共事業というコンクリートの壁をこえて、まず家族が暮らせる温かい家をゲットする事が先決の先決である。いまのプランではそこのところが何も見えない。
被災者は親子何代にもわたってこの地に住み、子をなし親を見て、海や陸で働き、市や県や国民に奉仕し貢献してきた。市民税を払い、固定資産税を払い、所得税、たばこ税、自動車税、とどこおらずあらゆる税金を払いつづけてきたのである。それが一瞬に家屋、家財、海の景観、なによりも古くからのコミュニティ、地域や、ご近所や、学校や職場の絆をなくしてしまったのだ。家族を亡くしてこの地から離れがたい人もいる。津波被災は個人的な過失事故とはいえないのだ。個人と地域は分かちがたく結びついてきた。宮古市の集団移転計画はこれらの事に応えているのかどうか。
宮古市は、集団移転先の土地は被災者には売らない、跡地の土地は災害後の市価で買い上げる。家屋建設には個人的にローンを組んでもらう,など、普通の売買として被災土地や家屋を見ている。これでは市や県や国がただの不動産屋になって、性悪な財産没収を企んでいるように見える。
そして高地への集団移転を唱えながら、一方で、それはやらせないぞ、の意志がびんびん伝わってくる。快適な環境の移転候補地を必死にさがすでもなく、呼びかける訳でもない。そのインフラ、公共施設、交通、の青写真も示そうともしていない。はたして、本当に全壊被災地域の復興を考えているのか?
被災者にはもとの跡地に、自分のお金で家を建てて、前のように住んでもらう。生活困窮者は市の準備した住宅に収容する。──というのが本音でないのかと思ってしまう。国を追われて移動する国際難民、生活保護世帯や路上生活者を見る上からの目線を感じる。
こんなことでは、仮設住宅や、親兄弟子どもの疎開先から、鍬ヶ崎に人は帰ってこない。いまの人も鍬ヶ崎から出て行く事だけを考えてしまう。津波でばらばらになり、復興計画の失政によって再び鍬ヶ崎はばらばらになってしまうのではないか、と危惧されるのである。
(次回以降)
本論:予算は、被災住民とコンクリート族の取り合いである。
まず人命と本当の安心を高所移転で守ろう。その後に初めて諸策を打てる
復興予算はどこに行った。住民は地域復興の理想主義者たれ
死者への思い、被害を受けた人(被災者)、被害を受けなかった人(やまご)