宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

福島原発事故の修復はなるのか、ならないのか? 「鵜住居の奇跡」を参考にして…

2011年06月24日 | どうなる福島原発

 <転載>
釜石市で、ハザードマップにみる浸水想定区域外での死者・行方不明者は大槌湾に面した鵜住居町などは419人(想定区域内、66人)と釜石市で最も多く、実に死者の8割以上が想定区域外の住民だった。市全体では住所が確認された死者・行方不明者868人のうち想定区域外の住民が65%だった。(市内小中学生たちの指導にもかかわっていた片田群馬大学教授の調査=6/21、ヤフーニュース)



この記事は前回このブログに書いた鵜住居の生徒児童のハザードマップから修正して脱出した再避難劇がいかに際だっていたかを示している。


地震の瞬間に避難を始める。高いところに避難する。という単純な原理。頭だけの知識ではない行動力。彼らは津波をそこまで深く知っていたのである。浜っ子の体験で波や潮や津波の動きをよく知っていた。地元でのそのような伝承。それに大学教授をふくめて学校で、教室で、教育訓練に接する機会も多かった。常日頃、津波についてよく知っていたから初期始動、想定外の事態に直面した時の行動修正ができたのであった。




鵜住居の児童生徒の対極をなすのが福島原子力発電所の事故に対する政府、安全委員会、東京電力の対応の不手際であった。(ここではその対比を述べたいと思っている。知の出てくる違いを比較したいと思う)



彼らには事故を制御する知識がないように思われる。大地震、大津波によって破壊された原発事故を一貫して「想定外」つまりどの分野どの段階であれ修復不可能として投げ出した避難ならぬ逃げの姿勢こそ彼らの知の貧困さを物語っている。(ウソでもいいから事故は想定内、福島原発は修復・再建可能なのだ、の声がどこからも起らない事も門外漢に取っては不思議な事態に思えるのである。ガンバレナイノカニッポン?※これはわたしの情報不足かもしれない…)

想定外の事態とは大地震・大津波の襲来の事なのかどうか?それとも、原子力に対する安全制御などの自分たちの専門分野における想定外の事態なのか?福島原発事故が深刻なのは、問題が後者にあるからなのである。鵜住居の子どもたちは津波の事をよく知っていたから想定外の事態に対し行動修正ができた。福島原発事故では原発についてよく知っていなかったから後々の修正、修復ができていない。そこのところは取りあえずはっきりさせておかなければならない。

原子力ないし原発の知性がなぜ原発事故に対応できなかったのか?いうまでもなくその分野の知識が日本ではいわゆる原発ムラの独占だったからである。純粋にエネルギー問題あるいは科学研究の問題というより経済的な利害の問題で日本の原子力行政、電力エネルギー生産は主導されてきている。したがって知識まで(歪み、硬直して)原発推進者のグループのものになってきた。原発ムラの住人は政治家、官僚、電力会社経営者・社員、地方自治体、あらゆる民間会社等々そして膨大な数の学者、マスコミ人までその構成員となってわずかな薄っぺらな原子力の知識を守って、もたれ合い、かばい合ってきたといえる。原子力の教科書的知識と、原発は今のところ安全に運転されているという程度の事例主義というか機能主義というか、そのような不確かな安全性をたよって、根拠の明確でない「原発=安全」というドグマをつくりあげてきている。「原発=安全」という考え方は科学的知識を越えてムラの政治的スローガンになり、神話的呪文になっている。どこから切っても安全性は証明されていない。今回の震災で「証明されていないのだよ」という事が証明されたといえる。もちろん昔から「反原発」ムラも存在しつづけたが、経済的利益の潤沢さと利権網の点では原発ムラの圧倒的優位は変わらなかった。今回の事故で反原発の世論は高まるかと思われるが油断はできないのだ。「事故は想定内、原発の再稼働は可能」というような事には完全沈黙してるのに、原発ムラの人たちは政治家から科学者まで(その動機はさまざまであるが)依然として「原発=安全」という信念は抱えたままである。何という矛盾の闇であろうか!めだたないところでは徐々に安全容認発言を始めている。0.1マイクロシーベルトでは健康に影響がないというような微風発言こそ狼男たちのかけるえん曲性のわななのである。




あるべき科学的知識ではなく経済的利害で日本の原子力発電は機能していたというわけである。福島原発事故の修復の局面で後手後手がつづき今だ修正が機能できていない理由がそれである。そのようなところでの原子力の知識の深化、危機管理の徹底と言っても、たかが知れて、期待が持てない事はよく分かるはずである。(わたしは素人であるがそのように理解している)。まさに「正常化の偏見」から脱していない。一般的な修正の気力さえなくしている。

原発事故に対する当事者たちの不手際については毎日のニュースで報じられているが問題はそれが直るかという事である。事故対応が行程表の進行をふくめて正常におさまっていくのかという事である。その後の状況を見ると配管やバルブ開閉の間違い、無人ヘリコプターの墜落などやる事なす事にコシが入っておらず、国民は無気力な不手際にイライラしている。他の原発の再稼働の方針も出てはいるが、安全対策も中途半端で上から下まで説明も訓練もパフォーマンスに過ぎないのではないかと、見える。到底信用できない状況が続いている。







コメント
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