宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。
 藤田幸右 管理人

このままでは復興計画そのものがあぶない。机上をやめボランティアにつづこう。

2011年06月15日 | どうなる復興計画

国も県も市町村も、被災地ではそれぞれ復興計画に取りくんでいる。たてまえとしては地元住人の意見を尊重してということになっているが実際問題としては上の方で基本と言うか骨格と言うか、かなりの部分を先行させざるをえない。ある意味でしかたのないことである。上の方には手段があり下の方には手段がないからである。下の方は十分に吟味し、批判し、納得するまではOKを出さないことが重要である。主権(在民)とはそういうものである。今回の津波の被害の大半は主権が及ばなかったところで発生したと言える。せめて熱いうちの復興計画の策定である、せめて復興計画にははじめの方から声を出して行きたいものである。


たしか岩手県の計画だったと思うが、このイメージ図のような復興計画案が主流でなかろうか?結果論と世論受けをねらった安易な復興計画案であると思う。今回の津波で平地の家屋は流されたから高地への移転だという。木造より鉄筋ビル、職住の分離、使うエネルギーは原発や化石ではなく太陽光エネルギー。津波被害を単に裏返したような結果論のイメージである。また福島原発に対する世論やマスコミの意見を無批判に受入れたいいとこ取りのエネルギー対策。非常にイージーな机上の復興計画であると言わざるをえない。このマンガ絵みたいな図をあげつらうつもりはない。その依ってくる背後の思想、そこから派生する具体的な復興計画案なるものの不毛性について言いたい。

個々の事を言っているのではなく無反省に事実を並べていることをナンセンスと言っているのである。高台の仮設住宅をキャンセルして低地のわが家を修復ないし再建する住民のニュースも届いている。住宅移転にはまだまだ表に出てない複雑な事情が横たわっている。
図には海端に防潮堤らしきものが描かれているが、計画立案者たちはまだ津波という自然災害を甘く見ている。というか、津波被害を十分にはまだ反省していない立案者たちの姿がそこにある。奥尻島の漁民は「人工物は役に立たない」と津波の反省を口にした。鍬ヶ崎防潮堤は実現する前に計画そのものが反古になったが、あのまま実現していたら鍬ヶ崎の人的被害は、特に人工物に寄せる信頼と避難の軽視などによって人身被害は膨大になっていたろうと思う。思うだけでもぞっとする。

そもそも町の再生は可能なのかどうかの問題も抱えざるを得ない状況が続いている。私は、特に沿岸の復興は、盛岡の役人や政治家、学者では無理だと思っている。海彦に山の事はよく分からないように、やまご(山彦)には津波の災害、津波の被害の広がりはよく分からないようだ。

政治家や県庁の職員や大学の先生・生徒、有力企業のしかるべき部署や農協の連合本部職員、連合漁協職員はもちろん、能ある人材を大量に、数年間、被災現地に、沿岸地区に派遣する事は災害復興に取って最低限必要なことであると思う。否、被災地地元の各分野、各階層、各レベルにおける能ある住民との充分な接触・コミュニケーションが復興の成否を分けるものと思う。

能あるボランティアはすでに現地に入り地元住民と接触し、対話し、コミュニケーションを取っている。ボランティアに続いて分野のプロの現地入りを望みたい。全般的な復興計画を机上の計画から脱却させるために一つの方法でもある。

現行の計画ではダメだ。そんなつくりもの!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする