東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

お祓い

2021-02-06 23:28:42 | 日記
 明治神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

赤坂

2021-02-06 22:58:18 | 日記
 天皇は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ。
 
 京都にある伏見稲荷大社も愛知県にある豊川稲荷も、明治維新の後に変えられたかした気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 ウィキペディアで調べると、大嘗祭は天皇が即位して初めて行われる新嘗祭で、新嘗祭は収穫祭のような儀式らしく、その年に収穫した米を神に捧げ、食事をするみたいな儀式のようです。そのために身を浄めたり、儀式の建物を建てたりするみたいです。それだけじゃないのかもしれないけど・・・。
 
 令和になって、新天皇の即位で大嘗祭も行われたようだけど、この頃から精神的に調子を崩していったんだよなあ。30代前半の精神科や心療内科に通ったりヒーリングのようなところに通ってた頃と似たような精神的不調を感じる。
 
 頭痛はするし、眠くなってくるし、何かに憑かれたみたいに気が重くなってくるし、後ろから犬に吠えられて追いかけられてるみたいだし、精神から病んでいくかんじだ。
 
 愛知県豊川市にある豊川稲荷は圓福山妙嚴寺という曹洞宗の寺のようだけど、ダキニ天を祀ってるみたいです。豊川稲荷のHPを見ると、明治時代に有栖川宮家から「豐川閣」の額が与えられたみたいです。
 
 東京の赤坂にある豊川稲荷東京別院のHPを見ると、大岡氏が豊川稲荷を崇敬していて、江戸にあった大岡家の屋敷に祀られていた豊川稲荷が明治20年(1887年)に今の場所に移ったみたいです。豊川稲荷東京別院には大岡廟もあるみたいです。大岡氏は愛知県にあった西大平藩の藩主だったみたいです。
 
 豊川稲荷東京別院ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

氷川

2021-02-06 22:45:37 | 日記
 天皇は嘘の気がするけど、呪われた人生だったなあ、俺の人生は。
 
 田舎で孤立して、あとは死ぬだけってかんじ。
 
 俺は生まれが、ここじゃないし、中学と高校と今住んでるところから通ったけど親友と呼べる人なんて、いないし、20代の後半に戻ってきて、あとは精神を病んだり、一人で寺や神社を巡って、それが俺の人生なんだろうなあ、たぶん。
 
 東京にある曹洞宗の寺の泉岳寺には浅野内匠頭と赤穂浪士の墓があるらしい。泉岳寺のHPを見ると、大石内蔵助の銅像が大正時代に作られ、関東大震災で義士宝物館が崩壊したらしいけど、再建されたようだ。
 
 忠臣蔵の話も作り話の気がするけど、浅野内匠頭は江戸にあった田村藩の屋敷で切腹したことになってるみたいです、
 
 東京の赤坂には赤坂氷川神社があるようだけど、スサノオと稲田姫と大己貴命を祀ってるみたいです。HPを見ると、浅野内匠頭の妻の実家の邸宅があった場所に遷座したみたいなことが書いてある。
 
 埼玉県さいたま市にある氷川神社が氷川神社の総本社のようだけど、さいたま市の氷川神社は明治天皇が東京に来てから自分で祭儀を執り行った神社らしいです。
 
 明治維新の話も怪しいんだけど、スサノオということになってる人は誰なんだろう?。
 
 氷川神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

松江

2021-02-06 22:24:40 | 日記
 孤独な人生だったなあ。それに、世の中の人たちから俺の存在や俺の人生を否定されてるみたいだ。
 
 東日本大震災からだって、もうすぐ10年だもんなあ。一人で被災地を巡って、一人で寺や神社を巡って、復興祈願をしたり、震災で亡くなった人たちに手を合わせて、たぶん、自分のやってきたことなんて無意味だったんだろうなあ。
 
 今の20代ぐらいの人が結婚して子供とか連れて歩いてたりすると、特に、そう思うもんなあ。この人たちは、震災があった時は、まだ10代だったりするんでしょ?。
 
 俺なんて、震災から10年経って、40代半ばになって、50歳が近くなって、あとは年を取って死ぬだけって気がするもんなあ。夢とか未来とか希望とか、あほらしってかんじ。
 
 曹洞宗の大本山は福井県にある永平寺と神奈川県にある總持寺で、總持寺は明治時代に神奈川県に移ったらしく、江戸時代は石川県輪島市にあったようです。石川県輪島市に總持寺祖院があるみたいです。
 
 總持寺は明治31年(1898年)に火災があり、明治44年(1911年)に横浜市に移ったみたいです。
 
 總持寺の守護神は三宝荒神のようだけど、總持寺も總持寺祖院も三宝荒神の祈祷が行われるんだろうか?。
 
 島根県松江市にある熊野大社は出雲国の一宮で、松江市の熊野大社の祭神は櫛御気野命で、スサノオのことのようです。松江市の熊野大社のHPを見ると、日本火出初社といってるようです。
 
 出雲大社の祭祀をしている出雲国造家の人は世代交代して職を引き継ぐ時、松江市にある熊野大社に行って火継式という儀式を行ってくるみたいです。鑽火殿で燧臼と燧杵で火を起こし、その火で調理した食事を神前に供え、自らも食事をするみたいです。ウィキペディアで調べると、そのようなかんじです。
 
 これが、わからないんだけど、火継式というぐらいだから、火を受け継ぐんだろうなあ、たぶん。
 
 出雲大社の祭祀をしている出雲国造家の祖先は天穂日命で、天穂日命は天照大神の息子ということになってるらしい。天穂日命は大国主の国譲りの話に登場して、大国主のところに国譲りのために最初に送り込まれ、そのままいて任務を果たさなかったことになっているようです。
 
 古事記も日本書紀も嘘の気がするけど、なんで、天皇の祖先が天照大神ということになってるんだろう?。
 
 熊野大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

大分

2021-02-06 20:42:21 | 日記
 頭痛がする。
 
 インターネットで調べると、江戸時代の大分県は小藩分立といわれてるみたいだけど、中津藩と杵築藩と日出藩と府内藩と臼杵藩と佐伯藩と岡藩と森藩があったようだ。島原藩と延岡藩と熊本藩の飛び地もあって、日田市は幕府の直轄領で西国郡代の役所があったみたいです。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになってるみたいです。
 
 宇佐神宮のHPを見ると、宇佐神宮では仲秋祭が行われ、明治時代に放生会から仲秋祭に名称が変わったようだけど、奈良時代の九州には隼人と呼ばれる人たちがいて、隼人の人たちの慰霊のために放生会が行われるようになったみたいです。
 
 隼人の反乱を鎮めるために八幡神に祈願し、薦枕を神験にして神輿に載せ、宮崎県や鹿児島県のほうまで行ったようだ。これが日本で最初の神輿らしい。よくわからないが、宇佐神宮のHPに、そのようなことが書いてある。
 
 大分県中津市にある大貞八幡宮といわれる薦神社は八幡宮の総本宮の宇佐神宮の祖宮らしい。薦神社には三角池という池があるらしく、池が内宮で社殿が外宮のようです。隼人の反乱の時に三角池に自生する真薦で枕を作ったみたいです。
 
 八幡神社の祭神の応神天皇は誉田別命というようだけど、江戸時代は八幡宮は神仏習合で、八幡大神は八幡大菩薩ともいって、僧形八幡神像もあるし、宇佐神宮には弥勒寺という神宮寺もあったらしいけど、八幡神社の祭神が応神天皇に決まったのは明治維新の後とかって、有り得るもんなんだろうか?。
 
 薦神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか