自治会主催の歓迎会を催していただきました。会場は自治会館。100人近い村人は集まっていただきました。
私も挨拶するように言われ、前に出ました。
歓迎に心から感謝すると共に、日本語学校などの県の支援がアリアンサで頼りにされているとことを実感したので、帰国後、こうした支援策をどう充実していくか、伊藤議長や横山議員ら先輩議員の皆さんと考えてみたいと話すと、皆さん、大きく肯いていただきました。
料理は女性部の皆さんの手作り。本当に美味しかったです。感謝、感謝です。
幼稚園児の皆さんが、日本語の歌を歌ってくれました。本当に可愛かったです。
米子市の奥田課長補佐が銭太鼓を披露されました。本当に芸達者で、子ども達が目を輝かせて見ていました。子どもたちが、しゃんしゃん傘踊りを披露してくれました。
訪問団も踊りの輪に加わりました。
最後は、子ども達と「ふるさと」を大合唱しました。
料理を作っていただいた女性部の皆さん。本当にごちそうさまでした。
中尾養鶏場から戻った私たちは、アリアンサの移民収容所に案内していただきました。
移住してきた人たちが、森を開拓し、自分の家ができるまで住んでいた家だそうです。その横には移住者の世話をしていた組合の職員の家も残っています。
アリアンサの開拓史にとって大切な場所なので、開拓者の子孫が自分の好きな時に集まって楽しみ、歴史を伝承する場所にしたいと思われているそうです。
日本語学校では教育委員会次長の生田文子さんの授業が始まりました。
授業は習字で、課題は「平和」です。生田次長は筆や硯、墨汁などをスーツケースに詰めて持ってこられたそうです。硯の足りない分は味噌汁椀で代用です。
なかなか上手に書けています。藤山先生も生田次長と共に指導されました。
授業が終わったら、訪問団が鳥取から持ってきた様々なプレゼントを子どもたちに贈りました。
アリアンサで三件目に訪れたお家が中尾養鶏場。中尾喜代治さんが1927年に鳥取から移住してこられて、コーヒー豆、米、トウモロコシ、落花生などの栽培を始められたそうです。
現在の当主は中尾秀隆さん。お孫さんまで5人家族でお暮らしです。
1つのケージに三羽ずつ飼って居られました。
1950年代から養鶏を取り組み、現在は1万3000羽の鶏を飼っておられます。鶏肉ではなく、卵を生産されています。
50ヘクタールの農場では100頭の牛も飼って居られます。
左から4人目が中尾さんです。中尾さんの家にも綺麗な花が咲いていました。
アリアンサはどこに行っても、花が美しく咲いています。
次に訪れたのは佐藤農場です。
左端が佐藤さんです。
佐藤さんは十数年前から、農機具や写真などアリアンサの史料の収集をされており、自宅の一部を資料館として公開されています。
水くみポンプです。
1958年製のオーブンです。
音響機器は真空管です。
照明器具も展示されていました。
佐藤さんが以前使っていたトラクターです。
このあたりにはワニもいたそうです。写真も展示されていました。
ブラジル移民100周年を記念して2008年に平井知事らが訪れた時の写真もおありました。
上の写真が平井知事、下のは写真は元教育長の中永さんです。2006年に催されたアリアンサ入植80年を記念式典で藤井副知事がスピーチしているところを撮した写真もありました。
ジャタイ小蜂の巣です。木の穴を利用して巣を作る小さな蜂で、巣からは蜂蜜が取れるそうです。
手製のリヤカーです。庭には果樹がたくさん付いていました。
パパイヤです。
マンゴです。もう少しで食べられるそうです。
見たことのない実もありました。ジャカというのだそうです。佐藤さんは20年くらい前からゴムの栽培も始められました。
ゴムの木に切り込みを入れると、樹液が出てきます。
樹液を貯めていきます。
貯まったゴムを伸ばすと、ビーンと伸びて、ゴムだと分かります。天然ゴムです。
手にしているのは米子市市民自治振興課課長補佐の奥田さんです。
アリアンサに来て、自治会館、日本語学校に続いて訪れたのが大森農場です。農場主は日系2世の大森聖也さん。孫を含み、6人家族だそうです。
120ヘクタールに500頭の牛を飼っておられます。
背中に瘤のある肉牛を飼っておられます。この瘤は「クッピン」と呼ばれ、シュラスコにすると美味です。トウモロコシやキヤボなども灌漑設備をつくり、50ヘクタールで作っておられるそうです。
トウモロコシの茎や葉っぱを細かく砕かれ、餌として牛に食べさせておられました。
土塁のように積まれているのは牛の糞です。堆肥にしているのですが、発酵すると牛たちが食べるので、電線を巡らせ、電気を通しているそうです。庭にはタマリンドという果実がなっていました。
果肉を搾ってジュースになるそうです。最後に記念撮影。
右から3人目が大森さんです。
午後3時過ぎ、やっとアリアンサ鳥取村に到着しました。まず、自治会館にお邪魔しました。
玄関には鳥取県のマークが光っています。
この自治会館は鳥取県の援助で建設できたんだそうです。アリアンサへの入植は、信濃海外協会が1924年に5500万平方メートルの土地を購入したことに始まります。2年後の1926年には鳥取県海外協会が信濃海外協会と共営でで、5000平方メートルを購入し、第二アリアンサ鳥取村と命名。翌年には第一陣として、5家族26人が移住して開拓が始まったそうです。現在は31家族約140人が暮らしておられ、鳥取県人は3家族10人が居られます。
自治会館では結婚式の披露宴も開催されるほか、父の日、こどもの日、先生の日など様々な行事が催されているそうです。壁には平井知事の写真が、両陛下の写真と並んで掲げられており、驚きました。
2008年のブラジル移民百周年のときに、平井知事がアリアンサを訪問されたことを喜んでおられ、自治会館建設や日本語学校運営に鳥取県が応援していることを、とても感謝しておられました。自治会館の隣には日本語学校が併設されていました。
学校は1教室ですが、幼稚園レベルの2クラス、小学生から高校生までの3クラスの計21人が学んでいるそうです。
中央に写っているのが、鳥取市立美保南小学校から派遣された藤山馨先生です。夜は成人対象の夜学もあるそうです。
教室にはマンガもありました。まんが博を頑張ってPRしているだけに、伊藤議長と「うれしいですね」と話しました。
習字の学習もしているようでした。壁には教育委員会から贈られた時計がありました。
「日本製は正確で、いつまでも動きますね」と言われました。
アセロラドリンクなどを飲ませていただきましたが、とても甘いです。冷えた椰子の実もおもしろい味がしました。
自治会館の敷地内には入植の祈念碑がありました。手作り感たっぷりです。
ミランダポリスまでアリアンサ鳥取村の自治会役員の方々が出迎えに来て下さっていて、感激です。ブラジル県人会の本橋会長さんたちもそうですが、私たちの訪問を心から喜んでいただいていて、むしろ、恐縮してしまいます。
郡役場はバスセンターと同じ建物の中にあります。アリアンサ村はミランダポリス郡の中にあります。
ジョゼ・アントニオ・ホドリゲス郡長を表敬したところ、訪問記念のレコードを作成していただき、1人1人に手渡していただきました。私たちの名前、日付、そして、訪問を歓迎するとポルトガル語で書かれていました。
ミランダポリス郡の人口は約2万5000人。農業と牧畜が主産業なんだそうです。
この郡ではこれまで2人の日系人郡長が誕生しているそうです。
さて、またバスに乗ります。同じ景色が続きます。
眠たい。時差ぼけではありません。5時にコレクトコールが鳴り、ロービーには5時50分集合なんです。そう、今日はアリアンサ鳥取村を訪問するんです。
ロビーは薄暗いんですが、それでも、1人の寝坊する者もなく、定刻の5分前には全員集合しています。わたしたち県議団や米子市訪問団が1泊2日でアリアンサに行っている間、鳥取市訪問団はアリアンサに行かず、サンパウロ近代美術館や移民岸壁、コーヒー取引所跡などの視察つなっていて、この日のホテル出発も午前8時半なんだとか。ちょっと、いいなと思ってしまいます。
ホテルから国内線専用のコンゴニャース空港へはバスで約20分でした。バスから降りても、空港というより、駅といった感じでした。
ホテルで朝ご飯が食べられなかったので、朝ご飯はお弁当です。
横を向くと「お腹がすいたんですよ」と野坂米子市長がもう食べておられました。
この食欲がバイタリティーの源なんだろうと思いました。空港のロビーにはF1カーのゲームがありました。
ブラジルはセナを生んだ国なんだからなかと変に関心します。搭乗口前の椅子に座って、朝ご飯です。
でも、一列に並んで、同じものをほおばる姿はなんかちょっと変です。すると、突然、搭乗口が変更になると告げられ、慌てて移動すると、すぐ搭乗でした。
TAMという航空会社に載りました。席の間隔も狭く、エアバスという感じです。
水平飛行になったら朝食が出ました。LCCではないようです。さすがに私は食べる気がせず、これはお土産になりました。
約1時間のフライトでサンジョゼ・ド・リオ・プレト空港に着陸しました。ボーディングブリッジも、バスもなく、歩いてターミナルに向かいます。でも、暑い!!
空港というより、エアバスのバス停といった感じです。ここから4時間かけてバスでアリアンサに向かいました。
ずっとこんな風景が続きます。地平線が広がり、牧草地やトウモロコシ、サトウキビが畑が広がりますが、家はありません。途中でバス停でトイレ休憩しました。
コーヒーがサービスで振る舞われたのですが、これが甘いのなんのって。「ブラジルは珈琲の本場ではなく、珈琲豆の本場?」なのかなと思いました。
インスタントラーメンが売っていました。
ブラジルには日清が進出して以来、インスタントラーメンは人気で、地元企業も「Lamen」として売っています。1袋1.99レアルでしたから、日本円では約80円。日本より、ちょっと安いですね。
また、同じような風景が続きます。途中、訪れる予定のミランドポリス郡役場はまだまだです。