県人会創立60周年記念祝賀会をちょこっと抜け出して、ブラジル日本移民史料館を訪れました。
ここは記念撮影スポット以外は撮影禁止なので、お見せできる写真は以下の1枚だけです。
右にかすかに見えるのは東郷青児画伯がブラジル移民史を描いた「移民開拓風景」で、横15メートル10センチ、縦2メートル10センチの大作で、圧巻でした。展示されている史料は、「コロノ」と呼ばれ、奴隷の代わりに農場労働者として酷使された初期移民時代から、原野を開拓して植民地「コロニア」を形成した時代、経済の主体と成って農業生産を担った時代、太平洋戦争で敵国となり苦労された時代など、時代ごとに農具や衣類、写真などが展示され、館職員の方の案内で見学させていだきました。
県人会でお会いすると経済的に成功されている人が多いので、豊かな日系人社会という雰囲気でした。しかし、それまでの移民の歴史がいかに苦渋に満ちたものであったかが、ここで改めて学ばせていただいたような気がします。
夜は鳥取県派遣経験者との意見交換会に参加させちただきました。本橋会長に加え、県費留学生5人、技術研修生3人、短期研修生1人、中堅リーダー研修生7人の計20人に参加していただきました。
県費派遣に対する意見発表は2人がなされました。1人目は2010年に県費留学生として来日し、鳥大医学部口腔外科で学んだ西岡コオジ・アンドレさんはサンパウロで治療にあたる歯医者さんです。
指導教授にアドバイスを受けながら日本の学会で発表したこと、治療や手術を間近で見られたこと、さらには最新鋭の医療機器に驚かされたことなどを話され、非常に貴重な体験だったと何度も何度も感謝の言葉を繰り返されました。
2人目は2009年に技術研修生として来日した荒木アレンシャンドレさんです。
サンパウロ出身の魁聖が大相撲で活躍していますが、荒木さんも巨漢です。慰霊碑参拝からずっとカメラマンとして私たちの行動を撮影されていましたが、県人会の記録にするのだそうです。荒木さんは中海テレビでカメラマンとして研修されましたが、大晦日の大山寺の取材が、とても寒かったが、いい勉強になったなどと話されていました。
お二人とも現在は県人会の理事。西坂さんは「鳥取県にお世話になったので、そのお礼のつもりで県人会のお世話をさせて頂いています。また、日本に行って勉強したい」と話されていました。交流会では現在は県人会副会長で、中堅リーダー研修で来県された末長正さんを中心にいろんな話をさせていtだきましたが、話した方は全員、鳥取県の支援に対する感謝を語られ、鳥取県の支援がブラジルの日系人社会のお役に立っており、しかも、そのことが県人会を超え、ブラジルの日系人社会に広く周知されていることが分かりました。今後、ブラジルは2014のサッカーのワールドカップ、2016年の五輪の開催が決まっており、経済大国へ成長していくことが予想されます。そして、ブラジルの日系人は「正直で勤勉」という高い評価を得て、ブラジル経済の中で大きな役割を果たしています。このまま支援を続けることで、大きなブラジル鳥取の友好交流の花が咲けば、これは鳥取が大きく発展する礎になるのではないかと感じました。場当たり的に予算削減するのではなく、将来への投資という視点から、継続すべき事業なのだろうと思いました。
午後からは60周年記念祝賀会が記念式典が開かれたのと同じ「ブラジル・鳥取交流文化センター」で開かれました。
開宴の初めに「キーワードは鳥取、とっとり、トットリ」と力強く横山議員が挨拶された後、マイクを握るように言われましたので、以下のように話させていただきました。
「県人会は鳥取大火へ義援金を贈るために創設され、温かい交流が続いていることに心から感謝申し上げます。本橋会長をはじめ県人会の皆様に心からの歓迎を受け、鳥取とブラジルの距離は2万キロ、来るには30時間余りかかりましたが、物理的な距離の壁は大きな問題ではなく、心と心の交流でいくらでもなくすことができると学ばせていただきました。交流がもっともっと盛んになるよう鳥取県ブラジル議員連盟の先輩議員の皆さんと県議会活動を通して頑張ることをお誓いして挨拶に代えます。オブリガード(ありがとうございます)」
「60」というケーキに立てられた蝋燭を吹き消し、ケーキカットです。高齢者特別表彰を受けたみなさんを中心にイベントは進みます。
皆さん良い笑顔をされています。
鏡開きのお酒は「東麒麟」。ブラジルで醸造されている日本酒です。下の写真は右から、本橋会長、サンパウロ日本総領事館の福嶋総領事、生田教育委員会次長、伊藤県議会議長、私、深沢鳥取市副市長です。
みんなで鏡を開いて、次の70周年へ夢と希望を開こうと木槌で元気よく叩きました。乾杯はもちろん升酒です
乾杯の升が、灰色のプラスチックのような容器で、これは初めての体験です。
祝宴ではブラジルの国民酒「ビンガ」で作るタンピリーナというカクテルを奨められましたが、さわやかで美味しかったです。料理はお寿司やお刺身など日本料理が中心。ここでも郷土への思いを感じます。
食事の後は、県人会のサークル活動の各グループの発表が続きました。子ども達の太鼓、笛の演奏と合唱です。
とてもかわいい歌声でした。しゃんしゃん笠踊りの披露もありました。
ブラジルで笠踊りは全土の日系人社会に広がっており、鳥取の郷土芸能というより、日系人社会の芸能になっているそうです。その原点は鳥取県からブラジル県人会へ、何度か大量のしゃんしゃん傘を贈ったことがきっかけで、藤井副知事が課長時代に担当したこともあったそうです。
ブラジルの人たちの歌の披露もありました。県人会のサークルの先生なんだそうです。
笠踊りありで、楽しそうな皆さんの笑顔が印象的でした。講堂の前は日本庭園です。
この庭の周辺に、前田兄弟のようなボトルパフォーマンス付きのカクテルコーナーや料理のテーブルなどが並び、アトラクションの披露の間もガーデンパーティーのような雰囲気で宴は進みました。やはり外国と言った雰囲気がしました。
前日あった本橋会長のご子息がたくさんの若い県人の皆様を紹介していただき、様々な話をしましたが、ブラジル経済を日系人と日本企業が支えていること、さらには、まだまだ成長する潜在能力をもった国であることなどを話していただきました。研修制度で日本語を学んだことで活躍の場が大きくなったと語る人が多く、厳しい財政の中ではなりますが、県費留学生制度などは継続すべきだと感じました。
米子市の訪問団から踊りの披露もありました。
野坂市長も登場して、とてもユーモラスな踊りを披露されましたが、余りに芸達者過ぎるので、写真の公開は控えます。
本橋会長は「議長以下3人の県議の皆さんが来て頂いて本当にうれしい。県議会が私たちを思っていてくれることが実感できましたから」と本当に喜んで頂けました。2日間かけて飛行機で飛んできて本当に良かったと思いました。
ブラジル・鳥取交流センターの3階では、県人会創立60周年を祝って県人会のサークル活動で創られた作品の展示もあり、県人会の皆さんに案内していただきました。
和歌や川柳の展示がありました。
バッチワークや染色した布で作った作品です。
絵画です。写実的で、まるので写真のようです。頑張って制作されているのが分かります。
和紙をちぎって、その繊維で描く紙絵だそうおうですが、まるで日本画です。水墨画の作品もありました。
習字もさすがです。慰霊碑参拝の記帳で、ミミズの這ったような名前しか書けなかった私としては、立筆な署を前にすると情けなくなります。ブラジル訪問のひつとの学びなのかもしれません。
日本文化を愛し、大切にしたいという思いが伝わってきました。
今日はブラジル県人会創立60周年式典に参加します。今回の訪伯の主目的でもあります。ホテルから ブラジル鳥取交流センターまではバスで約20分でした。
通りは片側3車線のサンパウロのメイン通りですが、休日は片側1車線ずつをサイクリングロードにして開放し、市民にサイクリングを奨励しているのだそうです。これは環境イニシアティブ事業を進める鳥取県にとってひとつの参考になると思いました。
ブラジル鳥取交流センターに着きました。閑静な住宅街の中にありました。ここは高級住宅街なのだそうです。
早速、中に入ります。
玄関には大きな鳥取県の県章が輝いています。会場の準備が万端整っていました。
会場には、すでにたくさんの在伯日系人の集まっておられました。
祝宴は千田初美副会長の司会で始まり、日本、ブラジルの両国の国歌を斉唱した後、先没者の霊へ黙祷を捧げました。私たちが来賓として紹介された後、本橋会長が式辞を述べられました。何度も、「母国」「故郷」という言葉が出てきました。それだけ鳥取への思いが強いことが伝わってきます。
鳥取県が行政としてブラジル県人会を支えていくことは二つの意味で大きいと思います。ひとつはブラジル県人会は鳥取大火に見舞われた故郷に義援金を送るために設立した組織であり、その優しさを鳥取県民は忘れてはならないし、県人会の皆様が鳥取県を自分たちのルーツとして大切に思われている以上、私たちはその思いに応えるべきだと思うのです。もうひとつは、移民の皆様は密林地帯の開拓など大変な苦労をなされたわけですが、3世、4世の時代を迎えた今日、その多くが成功され、政治、経済、文化など様々な分野にわたってブラジルを支えている主要なポジションを占められていることです。確かに2万キロも離れていますがブラジルには多くの日系企業が進出しており、県人会の皆様との交流が鳥取の未来を拓く大きな鍵になるのではないか思うからです。
平井知事のビデオメッセージが映されました。砂丘や大山、三徳山など鳥取の風景がスクリーンに映し出さた後、来伯して皇太子殿下と県人会の皆様が踊るしゃんしゃん笠踊りを見たことは素晴らしい思い出として今も残っていまなどを話されるのを、皆さん頷きながら聞いておられました。
伊藤議長、藤井副知事、野坂米子市長が挨拶され、鳥取市の深沢副市長が市長の祝辞を代読されるなど来賓祝辞が続きましたが、鳥取ブラジル交流団体協議会の会長祝辞を代読するために登壇した石谷雅文民間訪問団長は、読み始める前に流暢なポルトガル語で挨拶され、会場から大きな拍手が沸きました。石谷さんは鳥取市の元副市長ですが、元々は新日鉄の社員で、3年近くブラジルで勤務されています。言葉は大事だなと素直に思ってしまいました。在サンパウロ総領事、県人会連合会会長も挨拶されました。
続いて、記念事業「サンパウロ・鳥取友好の森」植樹プロジェクトについて山添副会長から説明がありましたが、鳥取県民から多くの賛同の申し込みがあり、その結果、当初の計画を超え、70種300本の植樹が出来たそうです。サンパウロ州森林院のミゲール・フレイタス総裁も「本館横に植えられた木々は大切に世話をする。大きく育ち、友好の象徴になるでしょう」などと話されました。
平井知事からの在伯県人の皆様に贈られる特別功労賞、功労賞、高齢者表彰を藤井副知事が伝達。表彰を受けられた加藤恵久さんが「60周年に事業に鳥取県からブラジルまで来て頂いたことが何よりうれしい。受賞に感謝します」と謝辞を述べられました。
最後は県民歌の合唱で式典はお開きなりましたが、本当に温かい集まりでした。
県が贈った支援金の一部を使い、4基の放水設備のお披露目もありました。
普通は、県費を使ったのですから有効に使って欲しいと思うのですが、これだけは使うことのないように、火の用心をお願いしたいと思います。