福島県いわき市にある小玉ダム。
このダム湖の壁面に鬼の絵がある。
写真を拡大すると…
この地域に伝わる鬼ヶ城伝説にちなんで作られた物らしい。
その伝説というのは、ダム湖岸の駐車場にプレートがあって、そこに書いてあるのを読んだんだけれど、写真を撮らなかった。
なので、細部をはしょってとても簡単に説明すると、次のような感じ。
近くの山に鬼が住み着いていて、里に下りて来ては悪さをする。
征夷大将軍として有名な、あの坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が鬼を退治するということになった。
鬼の方も仲間を集めて迎え撃つ構え。
坂上田村麻呂が鬼との戦いに勝利し、以後鬼達に悪さをしないように誓わせた。
めでたしめでたし。
これ、鬼ヶ城伝説なんていうファンタジーなベールに包んでいるけど、もう明らかに坂上田村麻呂が蝦夷を武力で制圧した話じゃねぇーか。
こういうのを無批判に垂れ流してへこへこしてるような根性だから東北はダメなんだよ、超ムナクソ悪いぜ。
…と、思ったんだけど、本当にそうかな? と、家に帰ってから色々調べてみた。
すると、坂上田村麻呂の時代、蝦夷の居住地は、現在の岩手県奥州市より北方。
つまり、小玉ダムは福島県にあり、福島県は岩手県よりずっと南にあるわけだから、小玉ダム周辺地域はすでにこの頃、坂上田村麻呂を派遣した奈良だか京都だかの奴ら(※)の支配地域だった。
また、この鬼ヶ城伝説というのは、小玉ダム周辺ではなく、同じいわき市内にある「鬼ヶ城山」の方が主流で、さらには近隣の田村市にある「大滝根山」にも同じような伝説が残っている。
もっと深く調べれば、他にいくらでもありそうである。
というわけで、推測。
坂上田村麻呂の時代、蝦夷の居住地は現在の岩手県奥州市より北方だったというのは大雑把な区分けで、例えば今の福島県のように、だいぶ南に位置する地域にも蝦夷が点在して居住していた。
ただ、坂上田村麻呂に好意的な伝説が残っているということは、あくまでも蝦夷は少数派だった。
そして、西国(※)に恭順した住人と少数派の蝦夷との間に、それなりのトラブルがあったのだろう。
※あくまで文脈上の表現です。冗談です。この時代は桓武天皇。
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