the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 

PEN  




GITANESを常に持ち歩いているなら、デザインは決めやすいのだが。
それとは無関係に・・・。


祖父も父も、万年筆を愛用していた。


祖父の書斎には、それなりに木が茂っている庭に面した大きい窓があり、
それに向かって置かれたデスクの上には、いつも新しい頁の便箋と万年筆が
セットされていたように思う。メーカーまでは覚えていない。

父は書斎を持つことはなかったが、文箱の中や背広の内ポケット、
テレビの横の小物入れや抽斗、箪笥の上のペン立てなど
いろんなところに万年筆を置いていた。
モンブランの万年筆は特に気に入っていたようだ。

二人に共通していて、私に引き継がれていないのは
「字がうまい」という点である。そこについて私はもう随分前に諦めている。

万年筆で書いたら、きっとあのように上手に字が書けるに違いない!
と思った少年時代の私は、父不在のときにそうっと万年筆を文箱から取り出して
チラシの裏に自分の名前などを書いてみた。
当たり前だがその文字は、私がいつも書いているような文字でしかなかった。
それでもあの、紙の上を滑るような書き心地は
愉しくもあり、恐怖でもあった。
恐怖というのは、「こんなにスイスイ書けてしまったら、下手が余計に下手に見える!」
というものだ。


万年筆に達筆の魔法など宿っていないことは呆気なく判明した。
冷静に考えれば、筆でも万年筆でも鉛筆でもサインペンでも、
祖父や父の文字は上手で、私の文字は本人ですら納得し難いものだったのだ。


大人になってから兄に
「万年筆は使わないの?」と尋ねたことがあった。
「あんな面倒くさいもの、使わん。」と一言だった。
非常に合理的だ。
ちなみに、生前兄は一応教師をやっており
書道の時間を受け持ったこともある。それなりに字は書けたのだろうが、
「ボールペンで十分。」とのことだった。



父の万年筆は遺っていない。
父を収めた棺にすべて入れてしまったからである。
一本ぐらい残しておけばよかったと思う。
最近、万年筆が欲しいからである。

ところがこの選び方が難しい。

安いのは下手が5割増しになりそうだ。
高いものは手が出ない。
ちょうどいいのが欲しいのだが、ちょうどいいという基準がどこかわからぬ。
太字と中字の間がいいと思っているが、それでいいのかどうかもわからない。


とても難しい問題だけど、まったく重要ではないというのは
なんだか愉しいではないか。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )