the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESを線香代わりに供えたい。
それとは無関係に・・・。


ここ、SGC(SmokyGitanesCafe)は、正確にはSGCではなく
The other side of SmokyGItanesCafeである。
The other side of というからには、本体も別に存在する。
まだブログというような言葉も形態もなく、HTMLエディタで
せっせと更新するような時代に本体のSGCはスタートした。

いくつかのコンテンツがあり、その中のGitanesnotesというのが
このSGCの原型だ。
記念すべき第一回は1999年7月15日。
そして記念すべき最初の登場人物は、マッドアングラークラブという
釣り組織を主宰するAscot氏だった。
名古屋在住の、私が敬愛する兄貴分の一人である。



この世の中に、私が「兄貴分」と認める人が幾人かいることは、既に何度か
書いたことがある。仕事上の、洋服関係や広告関係の人がほとんどである。
悲しいことに、そのうちの一人である山形のI氏が昨年亡くなったことも
書いた。
そして今日は、Ascot氏が亡くなったという報せが入った。

最後に電話で声を聞いてから、まだ丸5日も経っていないのに。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
Ascot氏と初めて会ったのは、平成元年の11月。
仕事の関係で私が勤める会社を訪問されていた時である。

私は入社1年目の新人で、撮影用に使う服のコーディネートの作業を
夜遅くまで手伝っていた。
その作業場へ、見知らぬ男性一人を伴って上司連中が入ってきた。
私以外の人間はその人がどこの誰であるか知っている様子だったが、
新人のぺーぺーである私にその人を紹介してくれる訳もなく、
どうやらこの撮影関係の仕事で関わりのある取引先の人物だろうと
考えた。名前など聞いてもどうせ日常にはまったく関係なさそうな
人だろうし、どうでもいい。
とにかく、会釈しながら入ってきたその男性はわずかに照れ臭そうな、
そして面倒臭そうな微笑みを浮かべていた。
私がコーディネートした何着かのスーツのセットの前に立ち、
彼は私が苦労してコーディネートしたつもりのポケットチーフを
片ッ端から抜き去り、全て取り替えてしまった。
『いきなり何をしやがるんだ、この男は。』
『失礼なヤツめ、どこのどいつだ?!』
という敵意を抱いた。
私はキャリア1年にも満たない新人で、彼はそのとき既に業界20年ほどの
脂の乗り切った人間だった。

その男性がAscot氏である。
そのときの悪い印象をそれから10年以上抱き続けることになるのは、
それからしばらく顔を合わせなかったせいである。




9社ほどが寄り集まって運営する、洋服に関する撮影プロジェクトに
私が勤務先の担当者として関わるようになったのは、私の上司が
会社をクビになり、たまたま順番が回ってきたからだった。

ほぼ月に一回、その組織は東京で打ち合わせを開いていた。
初めてその打ち合わせに出向いたときのことも覚えている。
某所会議室でドアを開けて入っていくと、窓を背にしたところに
座り、なんとなく微笑んでいるような男性がいた。
その逆光の男がAscot氏だった。
ちなみに、昨年亡くなったI氏はその隣に座っていて、結構な眼力で
こちらを睨んでいたような気がする。
Ascot氏はその組織の実行委員長というポジションだった。
議長は持ち回りだが、実行委員長はフィックスだった。
構成各社のオーナー諸氏に対しても様々な意見具申や
やり取りをするのは彼が適任だろう という考えだったらしい。

Ascot氏は
「やあ、久しぶり。」と言ったと思う。

あ、あの男だ。
私は、
「どうも。」と言ったと思う。



それからほぼ月に一度会うことになるAscot氏は、私が抱いていた
イメージなどとは程遠く、付き合えば付き合うほど味がある人物だった。
できればあまり会いたくない・という数年持ち続けた印象などコロッと
忘れてしまった。
大声で冗談を交わしたり激論を交えたりすることはないが、比較的
穏やかな口調で、かつ非常にバカな話をやり取りしてもらえる間柄
になった。
いや、自然にそんな間柄になったのではないだろう。生意気不遜な
若輩者の私に合わせていただいただけだ。
それでも私は、随分と助かった。
月に一度、その集まりに出席することもそれほど苦にならなく
なった。その会議のためだけに夜明け前に家を出て
飛行機で東京に向かい、会議が終わったらすぐに飛行機でまた
飛んで帰って深夜に帰宅する。それがそれほどイヤにもならず
続けられたのは、メンバー諸氏のおかげであり、とりわけ山形の
I氏やAscot氏のおかげである。

あるときAscot氏に
「しかしアレですね、貴方はなかなかとっつきにくいが、
 段々味わい深くなるようなお方ですね。」と言ったら
大爆笑された。
「そりゃあ、こっちのセリフだわ!!!」

ある程度の社会的な、つまり人間修養的なキャリアを積んで初めて
面白みがわかるタイプの人がいる。
Ascot氏がそうだったのだろう。
彼の値打ちがわからなかったのは、出会った頃こちらにいろいろな
ものが足りていなかったせいだったのだ。




HTMLエディタでホームページをせっせと書いているような時期に
私もAscot氏も自分のサイトを開いたので、その辺りからも
さらに懇意にさせていただけるようになった。
住んでいる場所はちょっと離れているので、ほぼメールでのやり取り
だったが、SGCにはAscot氏がしばしば登場し、あちらの
サイトには私の名がたまに現れた。



Ascot氏の所属する会社の人事異動で、とうとうその撮影
プロジェクトから氏が抜けることになった。

最後に一緒に仕事をしたのは2001年1月26日。
広島でのスタジオ撮影2日目のことである。
ホテルロビー集合だったが、なかなかAscot氏が部屋から
出てこない。
二度寝してしまって遅刻したとのことだった。
「すんませーん。前日飲み過ぎたからねーー。」と
苦笑いのような照れ笑いのような表情だった。

ウソつけ。
前の日はホテルのラウンジで、他の皆が酒を飲んで盛り上がって
いるのを横目に、私と二人酒を飲まない者同士でコーヒーを
飲みながらチーズを齧っていただけだったでしょうが。



Ascot氏が遅刻したにも関わらず、スタジオ撮影は
ほぼ予定通り終了した。
帰りの新幹線の時間まで、ちょっと腹ごしらえでもしようかと
駅のカレーショップでカレーライスを食べた。
精算のときになって「奢るわ。」と言われ、一瞬戸惑った。
この仕事でAscot氏と一緒になることはもうないだろう。
それで奢ってもらうというのはどうなんだろうか。
「でも、しばらくお会いできないかも・・・」
「ははは、数百円貸しとくわ。」


それからは本当に直接会うこともなく、そればかりか
電話で話をすることもなかった。
その代わりメールの交信はしばしばあった。



写真家K.Hopper氏から
「実は、Ascot氏の健康状態があまりよくない。」
と最近聞いていたが、
「かなり悪い状況だ。」と聞いたのはつい先日、五日前だった。
余命云々というような状況だとは思ってもいなかった。


何か、Ascot氏がびっくりして寝床から飛び起きるような
ネタはないものかと考えたら、たまたまピッタリのネタが
身近にあったので、それについてメールで送った。
多少でも元気がでればいいなという心境だった。

8時間後、携帯に着信。
Ascot氏からだった。
え、電話できるの?

とにかく電話に出たが手が離せない状況だったので
「お久しぶりです!すぐにかけ直します!」

声を聞くのはあのカレーの夜以来。
10年以上も経っている。

かけ直した。
「お久しぶりです」
「久しぶりだねえ、元気だった?」
「はい、こちらは。そちらはあんまりお元気じゃないそうで。」
「そうそう、まあ大変だねえ。それにしてもメールびっくりしたよ!」
「気に入っていただけましたか?」
「そりゃあもうあんた、いやあ、いいメールだよ!」


随分息苦しそうだった。喋るのも辛いだろう。


ずっと話していたかったが、それでは身体に障る。
こちらから切り上げなければ、と思いつつ、話は
いろんなところに飛んだ。

最近産まれた二人目の孫の話、仕事の話、
共通の知人の話・・・。



「カレー奢られっぱなしですよ。」
「あ、そうだっけ?」
「そうですよ。今度お会いするときにお返しするつもり
だったので、それまでに体力の充電完了してくださいね。」

「ああ、ははは。・・・・
あのさあ、最近はさあ、別荘持ってるもんで、そこで
釣りしたりさあ、そんなことをしてるんだわ。
で、ヒマもあるもんでさあ、一度、会いに来てよ。」
「そんなこと言ったらほんとに行きますよ。」
「うん、おいでよ。顔見においで。」
「でも多分かなり痩せてるでしょ?」

痩せた顔は見たくない。

「いやあ、それが痩せないんだよ。最近いいクスリが
あるもんで。」
「ああ、そんなもんですか。」
「そうそう。」
「とにかく、必ず行きますから・・・」
「うん。」
「ではお体に障るとアレなので・・」
「はいはい。どうもありがとう。」
「いえ、わざわざお電話ありがとうございます」
「はいはーい。」
「では失礼します。」
「はーい、失礼しまーす。」






最後の会話だった。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

Ascot氏の訃報が入ってすぐ、携帯電話の通話履歴を
開いた。


電話をかけ直します というやり取りの通話が24秒。
その後電話をかけ直してからの通話が9分36秒。
合計、ちょうど10分間である。


まだ耳の奥にAscot氏の声は残っている。
これほど記憶に焼きつく10分間は他に思い当たらない。



この兄貴分にも、とにかく
ありがとう
しかない。それしか、ない。






コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )


« 三人ぐらいなら! アイロン »
 
コメント
 
 
 
Unknown (hopper)
2012-05-18 00:54:50
僕が「紳士ってこういう人の事なんだ」と感じた最初の人です。
ちょい不良オヤジの元祖、でも穏やか不思議な魅了を持つ人でした。
 
 
 
Unknown (tetujin28)
2012-05-18 09:23:42
広島でお会いしているか分かりませんが
ご冥福をお祈りします。
 
 
 
Unknown (SGC)
2012-05-18 09:38:29
いい先輩でした。
 
 
 
ありがとうございます (Ascot's wife)
2012-05-22 23:28:29
昔の主人に触れることが出来ました。
ありがとうございました。
ずっと同じだったんですね。

亡くなるまで、主人は変わらずダンディでオシャレで、かっこよかったです。私がこんなこと言ってはなんですがU+2022U+2022U+2022(笑)

10分近くのお話の後、興奮した様子で、懐かしい思いを話してくれました。メールを見てすぐにTELしたかと思います。メール見た時から興奮してたように思います。
主人とお話していただいて、本当に良かったです。

ありがとうございました。
ブログへの記載、本当にありがとうございます。


 
 
 
Unknown (SGC)
2012-05-23 10:27:58
慎んでお悔やみ申し上げます。
また、どうしてもお顔を見ることができないと思い
ご葬儀にも伺えず、大変失礼いたしました。


私の記憶の中に残る、ご主人の姿をなんとか残そうと
いう思いで書きましたが、失礼な表現も数々あった
かと存じます。お許しください。

若輩者の私に対して、本当に丁寧におつき合いして
くださる、そんな方でした。

洋服とは、広告とは、宣伝とは といった深い話を
淡々と語り教えていただいたり、
「どうして俺は白子を食べないか」を熱い語り口調で
教えていただいたりと、まだまだ書き尽くしては
おりません。お許しいただければ、また断片的に
思い出すたびに書かせていただきたいと思います。



最後にお話できた電話での10分間は、
今もはっきりと耳に残っています。

その10分だけは
私だけにいただけたメッセージだと思い、
大切にしたいと思います。


素敵な名前での書き込み、
ありがとうございました。
 
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