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それとは無関係に・・・。
 





GITANESをシガーケースに入れる愚。
それとは無関係に・・・。


気になったときにすぐに調べられるという環境を
ほぼ手に入れた現代人の生活。
携帯電話などの発達により、どこでもどんな時間帯でも
ちょっと手軽に語句の意味ぐらいは調べられるようになった。
もちろんだからと言って、調べ物自体が常に有益な有意義な
訳ではない。それは調べる人の資質の問題に左右される。
当たり前だ。どんなものでも使う人次第である。



おお、そうなのか。

と昨夜ケータイで調べてわかったことがある。
ふと気になったのだが、いくら考えても思い出せなかった。
私だけではあるまい。


私バカよね

で始まる細川たかしの曲は何というタイトルだったか。


まさか、私バカよね ではあるまい。では何だったか と気になった。
歌詞の中にヒントを見つけようとしても、オバカさんと後ろ指の後は
まったく記憶が霞んでしまって、手がかりにならなかった。


で、検索するとあっけなく判明

心のこり

だった。

歌詞のどこかに『心のこり』というフレーズが出てきたのだろうか。


歌詞を検索したが、どこにも『心のこり』という言葉は出てこない。
ただ、全体的にさぞ『心のこり』なのだろう という雰囲気には
満ちている。


で、Wikiによると
「心のこりは最初『わたしバカよね』というタイトルになる予定だった」
とある。諸般の事情からタイトルが差し替えられたわけだ。



ところで、歌い出しこそ

私バカよね

であるが、その直後

オバカさんよね

と歌われる。これは紛れもなく「トーンダウン」である。

私バカよね と主人公は他者の同意を求めつつ力強く宣言
するのだが、すぐバカに『お』と『さん』をつけて
マイルドにする。

おそらく自己愛がそうさせたのだろう。
自分を『バカ』と発表したら、あまりにも自分が可哀想で
不憫になったのだ。
ちょっとマイルドに『おバカさん』に格下げした。

バカはバカ以外の何者でもないことに歌いながら気づいたのか、
『おバカさん』なら、そのウィークポイントは部分的に
チャームポイントにも感じられるではないか。
バカには近づきたくないが、おバカさん相手なら
「なんかちょっと手伝いましょか?」てな感じに
ならないとも限らない。


『不器用ですから。』と高倉健は、不器用であることに
至上の価値を与えてしまった。
世の男たちはそれに勢いを得て、不器用宣言を憚らなくなった。
不器用宣言がカッコいいのは高倉健だからである という前提を
まったく無視して。

私バカよね

と言ったのがもし高倉健だったら、日本にはバカブームが
やってきただろう。バカの壁どころの騒ぎではない。


と、そんなことはどうでもいい。
高倉健を引き合いに出しても、それは高倉健が『別格』であることが
際立つだけのことだ。


で、おバカさん  後ろ指さされても
ぐらいまではなんとなく分かるのだが、そこから途端に歌詞もメロディ
も曖昧な霧の向こう側に行ってしまう。

私なんか、この続きを思い出そうとしたら必ず
かまぼこの「別寅」のコマーシャルにいつの間にかすり替わってしまう。
あの鳥羽一郎が絶唱するヤツである。
(関西では観ることができるが、他の土地ではどうなのかわからない)


私バカよね  おバカさんよね
後ろ指 後ろ指 指されても
かまぼこ作りに 命を賭ける

あまりにもそのすり替わりっぷりがシームレスすぎて、自分の中では
まったく違和感がない。
もちろんシームレスといってもそれは曲調・雰囲気の話であって
歌詞がすんなりつながるという訳ではない。

こっちはかまぼこ作りに命をかける宣言の歌だから
自分をバカだの何だの言っているような柔らかいものではない。

かまぼこ作りに命を賭ける

と叫んでいるのだから、我々としてはリスペクトする以外に
ないではないか。

魚介の練り物のお世話になっていない人間など存在しない。
もしそれらがなかったら、例えばおでんが成立しない。
鍋の中はきっと消化試合の球場観客席のような有様になるだろう。




と、結局今日は何の話だっけ と考えると、

そうそう
ケータイをはじめ、便利な世の中になったなあ

というだけのことなんだけど。




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