GITANESは読書のお伴。
それとは無関係に・・・。
同じ本ばかり繰り返し繰り返し、親がその様子を傍から見て呆れるほど
繰り返し読んでいた頃があった。小学生のころだった。
それはそれで十分に幸せだった。
ロビンソンクルーソー、十五少年漂流記、チョコレート戦争などが
そうだった。何度も読んで何度も同じ個所で気分が上がったり
下がったりした。
これもひとつの、正しい読書の在り方なのだろう。
そこそこ自由に本が買える今は、未読棚にあふれかえった本を
読むのに忙しいのだが、それでも再読する本も年間に20冊ぐらいは
ある。その行為は今でも愉しい。
もうチョコレート戦争を読むことはほぼないが、毎年1回ぐらいは
読んでいる。
これはもう本を読んでいるというより、昔読んでいた自分の姿を
ビデオのように再生し、「あの頃これを読んでいたときは近くに
姉がいて兄がいて、母がいて父もいて、『お前またそれ読んでるの?』
と笑われていた。」という光景ばかり頭に浮かんできて、
物語の内容に没頭するのが難しくなってきた。
「のらくろ上等兵」「のらくろ伍長」を開くと、それを買ってくれた
母方の祖父・茂さん(某大法学部を出て戦争に行った後植木屋)が
浮かんでくる。一升瓶を抱いている。
ロビンソンクルーソーを読めば夕食の支度をしている母のシルエット
が出てくる。
そうやって、懐かしい本の再読は当時の自分の再生スイッチが
入り、結びついた場所や人も、匂いや音付きで映像が再生される。
だから嫌なのだ、という日もあるし、別に何が思い出されても
平気な日もある。自分の内部の問題なのに自分でコントロール
できることではないようだ。
」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
ドミニクチェン/未来をつくる言葉_わかりあえなさをつなぐために
というタイトルなのに私とはわかりあえなかったようだ。
興味もないのに何の気なしにその本を買ってしまうという大失敗を
私は何度経験すれば身に沁みるのか。
本には何種類かタイプがあって、
●はじめは退屈なのに、終わり際になって怒涛のように面白くなる本
●つかみからぐっと掴まれ、最後まで行く本
●はじめは面白かったのに、どんどんしぼんでいく本
●はじめは退屈で面白くなく、とうとうそのまま終わる本
などに分かれる。
この本は・・・どうだろう。
とにかく世の中には「難しく難しくしか書けない人」がいて、
それは頭がよろしかったりするんだろうけど、さぞ不自由だろうなあ
と思う。
エッセイ集/ロイヤルホストで夜まで語りたい
タイトル通り、ロイヤルホストにまつわるエッセイを17人が
書いた本。前述の本を読んだ直後に読んだこともあって、こんな
分かりやすい本は助かるなあと単純に思ってしまった。
中には「お前、それほぼ全部嘘だろう?」というのも紛れ込んで
いたが、皆ロイヤルホストに思い入れがあって、かつ読めば
腹が減る。
一日で読める本という存在も重要なのである。