一人静かな読書のお供は、どう考えてもGITANESなのに。
それとは無関係に・・・。
中学生の頃以来、人様に(図書館除く)本を借りて読むことは
なかった。
本を借りて読むというのは、どうも他人の肌着を借りて
着用しているような感じがして、どうにも居心地が悪い。
他人の箸で飯を食っているような感じでもある。
それでも、会社のオーナーに、
「これ読んだか?まだなら読んでみれば?」と言われると
「いや、自分で買いに行きます」とは言わないし、
逆に、本を薦められることがかなり新鮮だ。
自分で買ってまで読まない本は、借りなければ読まないという
ことを再認識した。
これがその本・
武田邦彦 環境問題はなぜウソがまかり通るのか
内容は書かないが、強引な論理がいくつかあったり、
「そんな結び方、アリ?」という結論部分には違和感があったが、
「『環境問題』問題」を認識するにはいい本だった。
半年ほど前、
池田清彦 環境問題のウソ
という本も読んでいた。
これらの本を読むと、果たして本当なのか、本当ならばどうして
もっと騒ぎにならないのだろうか、と感じる。
「環境問題」より「『環境問題』という問題」の方が
かなり胡散臭い。
でも、
「環境のためにゴミの分別をやめよう!」なんて
言える雰囲気ではないなあ。
この「雰囲気」というのが、恐いところなのだが。
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