the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 

仁義  



GITANESの匂いから解放された周囲の人々は
さぞ喜んでいるだろう。
それとは無関係に・・・。


ますます喫煙者には厳しい環境になってきた。
私は非喫煙者ではなく、ただのGITANES休止者なので
喫煙非喫煙どちらも擁護したいような、どちらにも
反論したいような、不思議な感覚である。

ただ、今後再びGITANES嗜好者になったとしても
おそらく完全に一人の場所か、あるいは周囲が
重度のヘビースモーカーしかいないことを確認してからでないと
吸うことはないだろう。


で、喫煙習慣を撲滅したい側の人の主張はしばしば
ヒステリックに過ぎ、喫煙者をただ苦笑いさせるだけで
終わってしまうのだが、
タバコを吸いたい側の人間の主張の中には、どう考えても
バカ丸出しとしか言いようがないこともある。

下記は引用だが、文章でメシを食っている人間らしからぬ
というか、だからこその悪い部分がすべて出尽くしている内容だ。


」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
2007年4月29日中日新聞15面 
4月を送る 中日新聞常務・編集担当 小出宣昭

 世をあげて禁煙の時代だが、私は今も、たばこのみである。
中日新聞では少数民族「スー族」(吸う族)と呼ばれ、
細々と伝統の香りを守り続けている。
 うまいコーヒーを飲み、ぷかりと煙をくゆらすときが、多数民族
「スワン族」(吸わん族)の方々には申し訳ないが、
至福の瞬間なのだ。時間が止まり、精神の静寂が訪れる。

 たばこは、吸うよりも、ふーっと吐き出すときが落ち着きをもたらす。
禅の呼吸とよく似ている。五臓六腑が空っぽ
になるまで息を吐くと、後は自然に空気が入ってくる。この繰り返しに
よる落ち着き。「無一物無尽蔵」と禅はいう。
 こんな心境にご理解をいただき、スー族とスワン族の静かな共存を
願っていたのだが、がぜん、
とんがった事態が起きた。五月から名古屋のタクシーをすべて禁煙にする
というのだ。
 いやはや。少数民族は多数民族の決定に従うほか術はないが、その決め方
にいささかの薄っぺらさを 感じるがゆえに、スー族としての反論を書き
とどめる。

 名古屋タクシー協会によると、全車一斉の禁煙に踏み切った理由は、
時代の流れに加え、女性や高齢者から「車内 がたばこくさい」との苦情が
増えたからという。私は、他の理由はともかく「くさい」というのは
なんとも容認できない。

 私たち日本人は、かつて朝鮮半島の人々を「ニンニクくさい」といい、
欧米人を「バタくさい」といって世界から友人を失ってしまった。
自分たちが「魚くさい」「醤油くさい」と思われていることも知らずに、である。
世の中、においはお互いさまなのだ。

 たばこくさいと非難する女性は、厚化粧のくさみをご自覚だろうか。
たばこの煙が健康を害することはあっても、 たばこのにおいで肺がんに
なることはない。子供のいじめの「くさい」と同じではないか。
 タクシーは公共交通機関といっても、あくまで個別選択的な乗り物である。
車内でのたばこは運転手さんや同乗者の同意を得れば不特定多数の人々に
迷惑をかけることはありえない。まさに私的空間なのだ。
 そこへ禁煙の論理を持ち込むなら、なぜ、禁煙車を7割、喫煙車を3割
など喫煙率に応じた選択肢を与えないのだろう。全車禁煙という一律主義に、
スー族は本能的な危険を感じる。
世界で初めて国家的禁煙運動を始めたのは、ヒトラーである。「たばこは
赤色人種が白人にかけた呪いである」
と断じた彼は、ドイツ民族の純粋性を守るために徹底した禁煙を求めた
(健康帝国ナチス、R・N・プロクター著、 草思社)。
同時代の独裁者、ムッソリーニもフランコも禁煙主義であり、彼らに対抗した
ルーズベルト(紙巻き)、チャーチル(葉巻)、マッカーサー(パイプ)
はいずれもたばこのみだった。
禁煙は、下手をするとナチスのように他者の存在を認めない原理主義に陥って
しまう。
スー族はいま、それを憂えているのだ。

」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

色々満載だ。

○「少数民族は多数民族の決定に従うしか術がない」

 と、とんでもないことを書いてしまっている

○自分を納得させるために「禅」まで持ち出す。


○「くさいと言われるのがイヤ!」と言ってしまった。

 タクシーで吸わないか、あるいは乗らなければいいのだ。

○朝鮮半島と欧米の友人を失った理由が「ニオイ」だと
 主張している。

○タクシーが私的空間だと言ってしまっている。

○独裁国家まで持ち出している。


私もいずれは再びGITANES嗜好者の道を進み始めるかも知れないが、
それこそタバコは密かな、誰にも邪魔されない空間での愉しみに
留めた方が、一層美味い筈だ。

そして、タバコを吸いたいのならば嫌煙者からの譲歩は
最早何も期待できず、吸う側が棲息地を必死になって
探すしかないと自覚している。




いずれにしても、こういう人が喫煙愛好家を「代表している」と
誤解されることは、喫煙者にとってこの上ないダメージだ。
この独り善がりの主張は、嫌煙者にとってはますます
追い風になるのは間違いない。

世の喫煙者よ、

「お前は黙っていてくれ!」と彼に言うべきだ。








コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )