5~6歳 童謡をすべて聞いていた
小2 ラジオから流れる浪花節のリズムと物語を
愉しむ。日本舞踊のおけいこで、長唄、端唄、小唄に
出会う。また会の関係で地方でオペラ「夕鶴」公演あり。
子役で出たので、全曲覚える。
小3 父がハイフェッツ演奏のメンデルスゾーンの
バイオリン協奏曲「ホ短調」購入
大好きになり、連日聞き続ける。父に感謝
小5 宮城流のお琴のおけいこ。自分で歌うのがいやで
「六段のしらべ」で挫折。
娘が高校の時、琴の授業があり、調弦と手解きはできたので
無駄ではなかった。
冬休み 家族旅行で上京
宝塚や浅草の国際劇場の松竹歌劇を見に。当時は実演といいました。
はつらつとして綺麗でしたよ。
ラインダンスがすばらしかった。
多分この頃だと思います
ウイーン少年合唱団主演の「のばら」という映画を
鑑賞。美声に魅せられ涙なくしては、みられないほど
感激。入団できないわが身の上を嘆いたものです。
中1~中3 音楽の時間。東京の音大の学生が突然教室に。
先生の教え子だったのでしょう。
狭い音楽室のグランドピアノで「月光の曲」を
弾きはじめる。まじかで聞く響きに涙がとめどなくでた。
決して忘れることの無い出来事。
中1でピアノのレッスン開始。
ツエルニー40番、ソナタ2、バッハ、
インヴェンションで、大学受験勉強に突入。中止
モーツアルト、ショパンが大好き。演奏者によって
右手と左手の音の強さが違ったりして、興味深く
いろいろ聞く。
この頃、イタリアオペラが来訪。ゴールデンアワーに
連日テレビ放映。堪能しました。
この頃、とてもユニークな授業が多かった。
英語の時間、脱線して、黒板、一面、社交ダンスのステップを
書いて説明していた。
「ハンカチーフ」を「ハンドカチーフ」などと
真面目に発音した教師も。資格あったのか不明
午後、担任が生徒を前庭に集めて、皆でフォークソングを
歌った。
高1~高3 深夜放送でビルボードのランキング曲を雑音まみれながら愉しむ。
その他、プレスリー。トロイドナヒュー。ナットキングコール。
コニ-フランシス。シルビーバルタン。二ールセダカ。サイモンと
ガーファンクル。ダステー・スプリングフイールド。プラターズ。
リッキ-ネルソン。パットブーン、ペリーコモ、フランクシナトラ
ポールアンカ EТC
近年、必殺仕置き人(鬼平だったかもしれない)のラストに
ながれたテーマソング。
ジプシーキングスのギター曲 「インスピレーション」が
有名ですが、南フランスの保養地でジプシーキングスが
「マイウェイ」を演奏中、片隅で涙を流して聞いていた
人が。シナトラだったとか。
男子学生は休み時間、裕次郎の「嵐を呼ぶ男」や
ポール・アンカの「ダイアナ」などをほうきのギターを
抱え歌いまくっていた。
当時クラッシクも大好きで、譜面片手に、シュウベルトの歌曲を好んで
聞いた。
大1~
マンドリン倶楽部に入る。演奏会で「ウエストサイド ストーリー」
全曲演奏。ポールモ-リアの曲も。
学生寮(楽しい格子無き牢獄)にいたので、隣りのへやにオラトリオ
倶楽部の人が。朝な夕な。「天地創造」「メサイア」「オラトリオ」を
原語でアルトのパートの練習を聞く。身に付きました
或る日、友人宅で、豪華なステレオでPPM(ピーター&ポール&マリ
ー)をきく。すばらしいハーモニーだった。
寮では、ウクレレが流行っていて友と、ハワイアンを愉しみました
時々仕事で上京する父に、大学時代も宝塚や芸術座に連れて行って
もらいました。良き時代でした