今から半世紀ほど前。父親ほか一同様あてに、私が旅行先から送ったはがき。
実家のたんすの中から妹が見つけ送ってきました。
亡き母がいろいろな写真やその他もろもろ、大切に仕舞ってあったらしい。
稚拙な文ですが、あまりなつかしいので披露します
7時三十分に網走を出発し一路、美幌峠へと向いました。
美幌峠はものすごい曲線の道で、その上、ものすごいスピードでバスを走らせました。
この気持ちは丁度、東京の後楽園でのったコースターの上、下、のないようなものに
乗っているようで、遊んでいるようでした。
美幌峠の展望台は屈斜路湖が一目で見渡されました。
これは、数百日ぶりということです。
硫黄山ははげしく煙が吹き出ていました。これは亜硫酸ガスなので、
風上からみないと、のどを痛め、声がでなくなります。
摩周湖へ向っていく途中は、ものすごい崖で、おまけに曲線路なので、
私の座席の後ろでは男子が「南妙法蓮華経ポンポン」なんて、へんな念仏を
唱えていたので、みんなで大笑いしました。
(摩周湖と)別れる時も「さらば」をねじって「さばら、さばら」などといって、笑わしていました。
摩周湖は深い深い霧のために、とうとう見る事が出来ませんでいた。
美幌峠・摩周湖へ行く途中は時々耳が丁度飛行機に乗って上・下のときになる
現象とおなじでした。
でも元気に弟子屈につきました。
28日 曇りのち雨 ○○子より
このハガキでしばし中学時代の思い出に浸りました。
当時は、舗装もされず、道幅の狭くぎりぎりの道を、埃にまみれて
バス旅をしたものです。
今のように車同士の事故ではなく、がけ下の落ちたとか、がけくずれの事故で、
命がけでした。
携帯などもないので、ハガキで知らせたのですね。なつかしいー。