明治の説得王・末松謙澄 言葉で日露戦争を勝利に導いた男

2021年06月30日 09時32分26秒 | 社会・文化・政治・経済

山口 謠司 (著)

明治の国難を救った知られざる偉人!

言葉で日本を創り、日本を守った男がいる。末松謙澄(すえまつ けんちょう)、福岡県行橋市に、日本がアメリカと不平等条約を結んだ翌年(1855年)に生まれた。
明治になってもまだ江戸の匂いの濃かった時代、日本という国の名前はあっても、ひとつの国としての形はまだ何も定まっていなかった。国としての「歴史」も、「議会」も、「憲法」も、「新聞」も、それらを書き記すための皆が分かる標準語としての「日本語」すらなかった。
日本をどんな国にするのか――政治家として、また多才な文化人として、西郷隆盛への降伏勧告状、大日本帝国憲法、下関条約の締結文の草案を書き、明治維新史『防長回天史』を編纂。日露戦争では日英同盟の強化などにより日本の窮地を救い、近代日本の礎を作った。
謙澄の作った道を今の私たちは歩いている。彼は何を目指し、何をしたのか――世界を舞台に活躍し日本の国際化と近代化に果たした謙澄の足跡を辿る。

【末松謙澄(安政2〈1855〉~大正9〈1920〉)主な業績】
●西南戦争において、西郷隆盛への「降伏勧告状」の草稿作成
●「大日本帝国憲法」の起草
●『源氏物語』を初めて英訳出版し世界へ紹介
●ウィリアム・アンダーソンによる日本美術史の先駆的研究書“The Pictorial Arts of Japan” の編纂に寄与。後に日本語に翻訳出版して日本美術史の発展に大きく貢献
●「演劇改良会」を主唱発足し演劇の近代化を推進
●日露戦争では渡英して黄禍論を抑え、ロビイストとして日本の勝利に大きく貢献
●晩年には、司馬遼太郎も数々の歴史小説執筆にあたって参考にし、いまなお明治維新史研究の第一級の基本史料とされる『防長回天史』(全12巻)を出版

【末松謙澄をめぐる主な人物】
義父:伊藤博文/生涯の友:高橋是清/ケンブリッジ大学の学友:オースティン・チェンバレン/西南戦争の際の上官:山縣有朋/「日朝修好条規」締結の際の上官:井上馨/「東京日日新聞」時代の先輩:福地桜痴など】

■著者略歴
山口謠司(やまぐち ようじ)1963年、長崎県生まれ。大東文化大学文学部教授。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。大東文化大学卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。

『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』(集英社インターナショナル)など著作多数。『日本語を作った男 上田万年とその時代』(集英社インターナショナル)で第29回和辻哲郎文化賞受賞。

 

著者は明治期の人物を中心に研究しており、『日本語を作った男 上田万年とその時代』などの著作で知られる。
 本書は、伊藤博文の女婿で、政治家やジャーナリスト、歴史家としても活躍した末松謙澄の生涯を総合的に紹介したもの。
 名前はときとき目にするのだが、どんなひとかはよく知らなかった。本書を通して、その人物や業績を理解できたのはありがたい。とくに若き日のイギリス留学時代や、のちに日露戦争工作で再訪したときのことなどは、詳細にとりあげられており、当時の日本とイギリスの関係についてもよく分かる。
 演劇改良運動や『源氏物語』の英訳なんてこともしていたのか。
 長州の歴史をまとめた『防長回天史』の執筆を巡っては、日本近代史をいかに描きだすかという葛藤も見えてきて、興味深い。

 

本屋での立ち読みから購入したことをお断りします。
末松さんのお名前は、幕末から明治に活躍された方々について短く紹介されていた文庫本(本の名は失念しましたが、15年くらい前に読んでいました)により、知っていましたが、その際の知識は、伊藤博文公のお婿さんという程度のものでした。
本書により、この方の、政治外交学術から文学演劇にまで至る、素晴らしい業績を知りました。
この方についての良いことしか記載されていないご本かもしれませんが、このような方がいらっしゃった明治時代の日本の幸せをしみじみと感じました。

 

 

 

 

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