なんとかしてきてなんとかなった

つれづれなるままに、つぅつぅれろれろ

クリスマス

2022-12-25 22:49:25 | 日記
クリスマスとはいえべつだんすることもないし、なにもする気も起きない。
耶蘇教のお祭りなぞ・・・・などと若い頃なら言ってもみたりしてたけど、そもそも周りにクリスチャンがいないから宗教的意味合いの希薄な商業イベントに心躍るような手合いでもない。
てな風にヒネクレモノを演出するのもメンドクサイ話なわけで、とにもかくにもただの休日、ただの日曜日だったわけで、子供がまだ小さい頃はそれなりに不憫なクリスマスってのもかわいそうだからってプレゼント等も用意もしたけどねぇ。
まぁ、自分が小さい頃、半世紀くらい前はそれほど盛り上がるイベントでもなく、どうやらクリスマスにはケーキを食べてツリーに飾りつけしていい子はプレゼントをもらえるらしい、というガッツリ物欲先行の新しいお祭りだったし、それほど裕福でもなかった我が家はクリスマスケーキを食べた記憶がほとんどない。父親が職場で買わされたらしいケーキを横向きにして持って帰ったという伝説は残っている。まぁ、大正生まれの父親はケーキの構造を知らなかったのも無理はないだろう。もちろんプレゼントが靴下に入っていたこともなかったと思う。そもそも両親がそんな風習を知っていたかという疑問もあるが、近場におもちゃ屋さんなども無かったし、田舎の子供には土台無理な話である。
しかも、家は浄土真宗って婆ちゃんも言ってたし、キリスト教以外は異端で邪教で人間としてダメダメじゃんてな宗教だから、邪教を信じる子供の所にわざわざプレゼントをもってサンタがやってくるなんておかしな話だし、煙突も当時お風呂を焚きつけるための直径数十センチの煙突しか家にはなかったから、映像で見るふくよかなジジイがあそこからは入れんだろう。などと子供ながらに考察してた。ほんと可愛げが無い。

で、いまのようにクリスマスが盛大にパリピ的なスタイルになったのはやっぱりバブル期だったわけで、そのころ若かった自分は・・・・・ああ、なんて馬鹿なことしてるんだ、と冷めた感じしか持ってなかった。宗教行事とはかけ離れてたから文化人類学的には歪としか言いようのない欲望まみれの状態だったわけで、民俗学で出てくる祭りの夜的なソドムとゴモラ状態がどうにも下品で不憫だった。いや、当時、べつだん恋人がいたわけでもないガチの陰キャだったけど、うらやましいなどとは本当に思わなかったなぁ。ま、人と騒ぐとか酒を浴びるように飲むだとか、そんなのが大嫌いだったからね。それなりに友達に付き合いもしてたけど、どんちゃん騒ぎってのが性に合ってなかっただけ。
バブル時期だったからそれなりのなんとかなる金額は持ってたけど、飲まない打たない買わないだった。それでも貯めるって方向に行かなかったから後々貧乏になっちゃったんだけど、あの頃散財してた人たちはどうしたんだろうな。
生活と遊びに無駄に金を使ってたらなかなか質素な生活には戻れないからさ。それももう四半世紀以上前の話だな。
あの頃、アルマーニのスーツだとかワンレンボディコンだとかリアルで着てた人たちも、いまや高齢者(65歳くらい)最近の若者は~などと高説垂れてんだろうなぁ。あの頃無茶してたしカオスだったし、あまり偉そうなことは言えないはずなんだけどね。
と、まぁ、クリスマスの思い出なぞ一つもないんだけど、そういえば母親が奮発して鶏のもも肉、それも骨付きを買ってきたことがあった。あれは未だに衝撃的においしかったって思ってる。贅沢だなぁってのを体験した初めての事だった。
なぜかあの当時からクリスマスにチキンを食べるという風習があったのだろう。ケンタッキーフライドチキンなぞ存在すら知らなかったはずなのにね。
たぶん生まれてこの方一度だけ口にしたことがある七面鳥は大阪のUSJで食べたターキーレッグで、子供の頃に食べた母親のチキンレッグもあの形だった。

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