なんとかしてきてなんとかなった

つれづれなるままに、つぅつぅれろれろ

無国籍・・・・・

2014-08-31 13:50:27 | 日記

無国籍、といってもエースのジョーが出てくる話ではない。

最近、行方がわからない子供の話題がニュースでもあっていた。
「所在不明な子供」と言われるのは、住民票はあるのだけど、乳幼児健診や予防接種、などを受けず、小中学校にもいっていない子供の事。
YhooNewsでは5月時点で全国で2900人だと厚生労働省の調べでわかったという。
実は去年文科省でも「所在不明な児童」という小中学校に行っていない子供の数を調べてる。
こちらは1200人くらい。
どちらにせよ、約3000人の子供の行方がわからない。必要な免疫も基本的な教育も与えられずに、生きているか死んでいるかもわからない。
平和で安全で貧富の差がさほどない、そうイメージされてきた日本国、なんだか嫌な気になる話だ。
しかも正確な数なんかたぶんわかりっこないし、本当は少ないという可能性は低いと思う。
厚労省にしろ文科省にしろ、全国の自治体や教育委員会などに調査と数の取りまとめを依頼して報告させてる。
で、そのデータをどうするのかは不明瞭なままだ。
うがった見方をすると、いないから探さなきゃならない、どうせその作業はこっちに回ってくる、それはさける人もいないから~って数をチョメチョメする人(あくまで個人)が絶対いないとは、自分は言い切れない。
しかも、これは住民票がとりあえずはある人で、表題の「無国籍」に至っては、その手がかりすらない。
手がかりがないから推定でしかないけれど、万の数はいるのではないか、といわれてる。

これは出生の時の親の状態で籍を入れなかったとか、籍を入れられなかったのに由来する。
離婚後300日以内の出産は元夫の子供になる、というところが籍をためらう要因だという。
しかも、毎年500人くらいの無国籍な子供が増えているらしい。
確実な数値が誰もわからないから、全部「らしい」としか言えないのが現状だ。
なんとも情けない話。子供に限ったことではないが、国籍がどうであれ、個人が生きていく上で、必要となる教育、伝染病を未然に防ぐ接種、避けては通れない社会性、これらが与えられないと、国という塊での話だけではなく、コミュニティーとしての社会集団にとってかなりの危険因子ともなりうる話だ。
すべての人の幸福を目指す(それが可能かどうかはおいとくとしても)そのために、個人→家族→市町村→都道府県→国とシステムレベルと必要経費が高度になっていくべきだ。
そのコミュニティーから外れるからといって、社会から疎外されることは社会そのものにとってもマイナスでしかない。
もちろん、この人々が犯罪に走るという話ではない。公共からの離脱を好んでする人もいる。
だけど、それは大人になって自分の意思で距離を置くことはなんら問題は無い。
しかし、仕方の無い事情があるとはいえ、子供、しかも乳幼児にそれを強いてしまう、しかもそれを放置するのは、先進国、文明国として恥ずかしいと思う。

さて、この「無国籍者」の調査を今度は「法務省」が行うらしい。
もしかしてこの日本はすっごい無駄な手続きでできてるのでは無いだろうか?

とにかくも、子供の数が減っているのは間違いが無い。
生まれてくる子供を大事にしない社会に少子化対策も明るい未来もありはしない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死刑廃止論者ではない。

2014-08-30 11:18:48 | 日記
ネットニュースで見かけた。
宮崎の死刑囚の親族が上申書を提出した。
自分の5ヶ月の子供と妻、義母の三人を殺害したという。

3人の命を奪った人間の命であっても、大切な命に変わりはない

そう、上申書で述べている。
これに対しての自分個人の感想は

「はげしくふ~ん」

でしかない。
元々が3人の命と一人の命、どちらが大切かとか、どちらが重いかとか、そんな比較できる話ではない。
このニュースを見たひとの考え方の違いで反応のしかたも想像できる。
死刑廃止を標榜する人は生きてる犯罪者の命が大切、と思うだろうし、死刑存続の人は3人の命を奪ったなら命で償えべきだと考える。
自分はどうかと考えたら、これはどちらも正解だし、どちらも間違ってる。
長くなりそうだから、割愛するけど、ざっといえば。
「命は個人所有である、それは唯一無二なので失えば取り戻せない」
という立場に立てば、社会的な制裁はいきすぎだとも思うけど
「他人の命も同じように唯一無二の存在だ。だから奪うことは奪われる事となんらかわらない」
と思ってもいるから死刑も当然だとも思う。

で、このニュース。
さして話題性もないし、宮崎で事件があった事すら覚えていない。
なのに、申し訳レベルだけどニュースになるというのは、死刑という暴力に対しての話題作り?って感じる。
自分が見たのは東京新聞、そこが死刑に対してどういったスタンスでいるのかはわからないけど、
「議論してください」
とおもって取り上げたのなら、それはマスコミとして評価できると思う。
情報はお金と一緒で流通してからこそ、国民の価値になる。
都合の悪いことは隠蔽、となれば国民にとって議論すらできない事態になる。

それは本当に恐ろしい事だ。
マスコミにおける唯一の使命、ジャーナリズムを死滅させないためにも必要だと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジブリ解体か?って記事

2014-08-29 17:48:40 | 日記
何の気なしにトップページを見てたら目についた。

宮崎駿が米国アカデミーの名誉賞をもらうというニュースを朝からテレビで見てて、そのことをどこかのブログで書いた。
いくつか平行でブログの書き込みをしてるからよくわからない(笑)

とにかくも、たしかこの話題は5月くらいから言われてたと思う。これもうろ覚え。
なぜうろ覚えなのかは、ニコニコ動画の岡田斗司夫なんとかゼミって番組をyoutubeの方で見たとき(笑)にはじめて知ったから。
それが5月の番組だったような気もするし、違ってたような気もするし、ってあまり興味もなかったからうろ覚えのままで,この記事を書き始めた。

で、そこで岡田斗司夫が言うには
「特別なアニメ制作会社を目指してたジブリが、普通のアニメ制作会社に落ちてきただけ」と分析していた。
アニメーターの悲惨な状況は今はじまったことではなく、ジブリが特別で、正規雇用していたのを止めますってだけの話だと。
その特別を目指していたけど、宮崎駿の引退でそれも難しい状態になっただけだとも。

なにかしら、ジブリが宮崎駿で宮崎駿がジブリだったってことが如実に表れたはなしだ。
ひとりの天才が率いていた集団は、天才がいなくなればただの集団だ。
ここ10年くらい、宮崎駿にかわる人材をジブリも模索してきた感じではある。
しかし、さすがに宮崎を継ぐ者は現れてない。それくらい巨人だったということだ。

思った。
手塚治虫は漫画家ではない、手塚治虫というジャンルだ。
黒澤明は映画監督じゃない。黒澤映画というひとつのジャンルを作った人だ。

これはハーレー・ディビットソン乗りが
「ハーレーはバイクじゃない、ハーレーという乗り物だ」と
こまっしゃくれたことを言ってるのとおなじだけど、
宮崎駿はアニメ監督ではなく、宮崎アニメを作る人なのだ。
宮崎駿が作らねば、宮崎アニメにはなりはしない。
いくらジブリで画を似せようが、それはやっぱりジブリ作品であって、宮崎アニメではない。
宮崎駿のいないジブリが本当の意味で勝負するのはこれからだと思う。

なんか畑違いのことを延々と書いたけど、的外れかもしれない。
それでもアメリカアカデミーで評価され賞をもらう事は、純粋にすごいと思うし同じ日本人として誇りに思えることだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふと立ち止まって考えてみた

2014-08-28 09:30:12 | 日記

ふと考えた。
あと何年生きれるのだろう。

日本人人の平均寿命が男で80歳女で85歳くらいだったはず。
そのうち、体力や健康を勘案すると男は75くらいであとは着陸態勢に入る。
子供のころ、自己の形成されるまでを15歳だとして、本当の自分が生きた人生は60年くらいか。
となると、人生の折り返しは45歳くらい。あとの30年どう生きればいいか。

ちょうどそのくらいの年齢だが、あるアンケートに人生のピークは何歳?って言うのがあった。
一番多かったのが18~25くらいだったとうろ覚えてる。
たしかに、大きな人生のイベント事がある時期ではある。
就職だったり結婚だったり出産だったりと、社会の一人として収入を確保し家族を持ち家族を守る、そんな基礎ができる時期だ。
それはその後の人生の基礎となり、その後の人生はその基礎を堅持することに費やされる。

それを維持することはもちろん勇気が要ることだし、高尚なことだ。
自分もそれをわざわざと否定するほど中二病でもない。

しかし、あと30年、自分の人生を考えるとき、今のままでも十分だけれども、滑空して行く感は否めない。

もうひとがんばりできる時間もすくなさそうだ。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マツダつながり

2014-08-26 21:57:32 | 日記


べつだんムンクは関係ないのだけど、マツダの点検も滞りなく終わり、待たせていた子供をゲームセンターに迎えに行った。

一時間余りゲーセンに子供を置き去りにするのは考え物だけれども、本人もゲーセンのほうがいいと言うし、GPSつきの子供ケータイも持たせていたし、かなり明るめの大きなところだし小学6年生にもなればそうそう誘拐するのも苦労するだろうから、とすこし心配しながらだけどもゲーセン内で子供を探した。(ここでムンク)

親の心配もどこ吹く風で、太鼓の達人みたいなリズム系のゲームで遊んでた。

さすがに普段から全くゲームをしないから、なにが面白いのかがよくはわからないのだけど、周りを見れば、夏休み中だからちょこちょこ小学生っぽい子供が友達と群れをなして遊んでる。
まだまだ遊びたいというから、そのままにしてゲーセン内を探索。何年振りだろうってくらいのゲーセンだ。

相変わらずのUFOキャッチャー。これは本当に取れるのか?と。
めだまのでかくなるプリクラに入ってみたくなるのをぐっと抑え、人がしてるレースゲームの画面に酔いそうになる。

それにしても、学生ではない人にとっての月曜日の平日午前中、おっきなお友達もそこそこいた。
それは個人の自由、とやかく言うつもりもない。
というか、うらやましくもある。

パチンコ屋みたいな騒音ぽい音もしない。(パチ屋にもここ10年いってない)
黙々とみんなそれぞれの時間を過ごしてる。昔のゲーセンとはなにか一味違う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする