なんとかしてきてなんとかなった

つれづれなるままに、つぅつぅれろれろ

貧困の日本。

2014-10-28 21:02:52 | 日記
実は先進国トップの貧困率だった日本。貧困の波は年収500万円サラリーマンにも押し寄せている

というタイトルなのだけど、どう押し寄せてるかは書いてない。
まぁ、今日発売SPAの宣伝記事だから興味がわいたなら雑誌を買ってね、といってるに過ぎない、のだけどね。

ここにでてる貧困線は以前調べたことがあった。それは、この記事にも出てる片親家庭の子供の貧困率を調べたときだ。
子供の6人に一人が貧困家庭であるという。
30人クラスだと5人は親の年収が200万以下の貧困家庭だという。ほとんどが母子家庭。

酷いことになると、食事もまともにできない子供が給食で命をつないでいるという。
健康保険も払っていないから、学校の保健室でなんとかしてもらおうとする家庭もあるという。

貧乏は自己責任だと頭の悪そうな連中が言ってるのだけど、子供にはなんの責任も無い。
優秀で努力家の子供が貧困家庭に生まれただけで、将来に夢を見れなくなるなんて、先進国として恥ずかしい限りだし、塾ばかり行って頭でっかちな子供が成長してこの国の中枢を握ってる、そんな薄ら寒い現実をこれ以上未来にまで残してはいけないだろう。何度も言うが頭の悪い人が言う自己責任はただの詭弁でしか無い。自己責任は完全な機会均等が大前提だ。出自で左右されるようではこの国には未来が無い。なにも対策をしてこなかった、それが自己責任というものだ。

格差社会が広がっているのは国民が感じてることだろう。
富裕層はより裕福に、そうでない人はだんだんと下層に落ちていく。
これも、また自己責任といい、思考停止状態になるのだけど、考えてみると、ベクトルが上に向かってるときならばいいけど、組織自体がマイナス評価でベクトルを下に向けている。その時の集団の心理は、自分が助かるために、どう他人を引きずり下ろすかに向かう。つまりは、有能な人が上に向かうことが当然な社会では無く、上に行くには自助努力とはかけ離れた他人の足の引っ張りあい、に力が注がれる。結果、有能だけどそんなことに無頓着なお人好しは上にはなれない。あるいみ仕事とは関係の無い無能な人たちが上に立つことになる。

上に立てる人、それは一種の才能だとおもう。仕事上の有能さももちろんだけど、それだけではない、まともに仕事をしてる人は解ってることだ。
そんな人がリーダーとして能力を発揮できない集団、しかも、上に立ってはいけない人が上に立ってしまう。集団としては機能不全になる。
これも今ではよく見かけることだ。
会社の成績が第一目標で、それ以外は雑用、無用の事柄だと思い込んでるような人。
社員のスキルをあげることが、ひいては会社のためにかなり有用になることが理解できてない人。

いまの社会全体の閉塞感と行き詰まり感は、ここ何年もこんな状態を続けてきたからだろう。
いかんともしがたい。

貧困のなか、日本は崩れ去っていくのだろうか。



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