現代へのまなざし

日本とはなにかを探求します。

日本神話(アマテラス、スサノオ、タカミムスヒ)について

2013-01-07 14:21:30 | 日記
 日本書紀、古事記(記紀神話)について考えてみたい。
 記紀神話による日本の成立は、概ね次のとおりとなっている。

1 イザナギ(伊弉諾)、イザナミ(伊弉冉)
 イザナミは出産時、陰部に火傷を負って死亡するが、イザナギは黄泉の国にイザナミを訪ね、腐ったイザナミの姿を見てケガレたため、日向の橘の阿波岐原でケガレを禊(みそぎ)で清め、その際に、左の眼からアマテラス(天照大神)、右の眼からツクヨミ(月読尊)、そして鼻からスサノオ(素盞嗚尊)が生じた。

2 アマテラス
 アマテラスは、高天原の統治を命じられ天に昇る。スサノオが根の国に行く際、アマテラスのもとへ赴き誓約(うけい)を行うが、アマテラスとスサノオは互いの玉と剣を交換し呪的なやり方で誓約生みを行う(このときアマテラスの御統(みすまる)の玉から生まれたのがアメノオシホミミノミコト(天忍穂耳尊)であり、その子ニニギノミコト(瓊瓊杵尊)が地上界である葦原中国の統治者になったとされる。)。
 このとき、スサノオの乱暴(田の畦を壊し、御殿を糞で汚し、さらに、機織りをしているアマテラスたちに屋根の上から死んだ馬の皮を投げ入れ、驚いた機織りの女性が機織りの道具で自分の陰部を突いて死んだ。)に怒って天の岩屋戸にこもると世は暗闇となり、出てくると光があふれた。
 その後、自分の長男であるアメノオシホミミノミコトに葦原中国を統治せよと命ずるが、アメノオシホミミノミコトは葦原中国に赴かなかった。そこで、アマテラスはタカミムスヒ(高皇産霊尊)と相談し、アメノオヒ(天穂日命)を派遣した。しかし、アメノオヒはオオクニヌシと親しみ3年経ってもアマテラスに復命しなかった。次に、アマテラスは、アメノワカヒコを葦原中国へ派遣したが、アメノワカヒコはオオクニヌシの娘のシタテルヒメ(下照比売)と結婚し、8年間復命せず、ついには高天原からの矢にあたって死ぬ。最後に出雲に天降ったタケミカヅチ(建御雷神(武甕槌神))とアメノトリフネ(天鳥船)がオオクニヌシに国譲りを迫った。オオクニヌシは自分の2人の子が服従を誓ったので、2人の息子の言葉どおりに中津国を献上し、その代りに出雲大社を創建させてそこに隠れる。

3 スサノオ
 イザナギは、スサノオには海原を分治させるが、スサノオは母の国に行きたいため、命令に従わず激しく号泣するばかりだった。そのため、イザナギはスサノオを神の国から追放した。スサノオは根の堅州国(根源の国、冥界、黄泉の国)に行く際、アマテラスのもとへ赴くが(このときアマテラスはスサノオが自分の国を奪いに来たと考え、武装してスサノオを迎えた。)、その際にスサノオは乱暴を働き、出雲国に追放される。出雲の国でスサノオは八岐大蛇を退治し、退治した大蛇の尾の中から草薙剣が出てきた。その後、スサノオは出雲の須賀に宮を造り、クシナダヒメ(奇稲田姫)と結婚して葦原中国の基を開いた。つづいて登場する国作りの神であるオオナツチ(大己貴神)=オオクニヌシ(大国主神)はその5世の孫に系譜づけられている。

4 考察
 八岐大蛇は、身にはコケやヒノキ、スギが生え、八つの谷、八つの丘にまたがっており、腹は血でただれていたとされるが、たたら製鉄で赤錆びた流れ、腹から出てきた「草薙の剣」など、タタラ製鉄が盛んであった島根県に流れる斐伊川の特徴を表している。スサノオは川の氾濫を押さえ、たたら製鉄を支配し、クシナダヒメ(奇稲田姫)を妻としたことから、稲作を繁栄させたものと考えられる。日本の各地にスサノオ神社があることから、土着の人々から強い信仰があったことも想像できる。しかし、なぜこのスサノオがイザナギから生まれ、ニニギの祖母であるアマテラスと姉弟になり、アマテラスとの諍いで高天原を追放され、さらに、その子孫が国を譲る国津神であるオオクニヌシ(大国主命)となったのか。

 「アマテラスの誕生-古代王権の源流を探る」溝口睦子著(岩波書店)の紹介文によれば、「日本の国家をつかさどる神はだれかと問われれば、多くの人は「アマテラス」、すなわち伊勢神宮にまつられている天照大神の名をあげる。事実、戦前の日本で、有史以来の「国家神」「皇祖神」として奉じられたのは、女神アマテラスである。しかしヤマト王権の時代に国家神とされたのは、実は今やほとんど知る人のない太陽神、「タカミムスヒ」だった。」のである。

 このタカミムスヒ(高皇産霊尊)は国譲り神話や天孫降臨神話でアマテラスと並んで采配をふるう男神であり、「日本書紀」ではタカミムスヒが主役になっているおもむきもあり、皇祖とすら書かれている。アマテラスは日本土着の神であり、大陸系のタカミムスヒが皇祖神であり、日本を支配する課程でタカミムスヒからアマテラスへの移行があったと考えられる。そこには、物部氏らの影響が強くあったのではないかと考えられる。

 記紀神話は、古代国家成立の時点でまとめられた皇室の正当性・絶対性を示す神話である。天空高く輝く超絶的な太陽を明確に神格化し、祖神として独占すること、それと結びつけて天皇家の始祖の地上界統治の由縁を語ることによって、支配者的地位の神聖性・絶対性の証としようとしたのである。
 朝鮮半島からの渡来系である天皇家は、土着の人々が信仰したアマテラスやスサノオを取り込み、本来皇祖神であったタカミムスヒに変えアマテラスを皇祖神とすることで、自らの正当性や絶対性を示そうとしたと考えることが妥当なのだろう。

 高天原とは、今の宮崎県日向地方であり、そこに王権を築いていた豪族が大和政権を樹立し、その正当性を示すとともに、土着の民から絶対的な存在として崇拝させるために作り上げたのが日本書紀であり古事記である。

 九州北部地方には奴国の勢力、出雲地方には強大な勢力を有する一族、近畿地方には物部氏などの土着勢力が存在していたため、朝鮮半島からの渡来系高天原族(天皇家)は南九州に上陸し、その後、宮崎県の日向地方に進出、その周辺を支配していたと考えられる。その後、勢力を強め各地に進出。日本書紀や古事記に邪馬台国あるいは卑弥呼の話が出てこないことから、これらの勢力は北九州地方をまとめていたものの、何らかの勢力との戦いで弱体化し、容易に高天原族に下ったのではないか。そして、出雲勢力との激しい抗争があり、それゆえアマテラスの長男が戦場に行くことを拒否し、何人もの関係者が勝てなかったという国譲りの神話が生まれたのであろう。最終的に、オオクニヌシは出雲大社を建設させ、高天原族の支配下に入るのである。

 天孫降臨については、アマテラスの子、出兵を拒否したアメノオシホミミノミコトに代わり、アマテラスがニニギを天下らせた話であり、ニニギが新たな王として即位することの神話的表現である。ニニギは、新たな王としての神話的な原型であり、未開の地である葦原中国は天孫が統治するにふさわしい五穀豊穣の国へと転化される。ニニギが降臨した場所は、宮崎の日向の高千穂であり、その地で儀式を行ったことを記述していると考えられる。
 日本書紀では、本来の皇祖神であるタカミムスヒ(高皇産霊尊)がニニギを天降らせたという記述がある。日本書紀が720年に完成した、高天原族(天皇家)の正当性などを記述したものであることから、アマテラスとタカミムスヒが混在するなどの混乱が生じていることは理解できる。
 その後、神武東征の物語で、九州の日向の国の高千穂を出発し、途中、宇佐(大分県)、筑紫(福岡県)、安芸(広島県)、吉備(岡山県)を経由し、瀬戸内海を東進して難波に到達。そこで敗北したため、南に迂回し熊野から吉野の山中を越え、大和の宇陀に出て、大和を平定し、橿原を都と定め天下を統治するに至った物語が語られることになる。

(参考)
 世界大百科事典(平凡社)

(年表)
・荒神谷遺跡(島根県)製作年代BC2世紀末~BC1世紀、埋納時期は紀元前後からAD1世紀
・西暦57年 福岡市東区の「漢委奴国王」の金印
・西暦146年~189年 倭国大乱
・西暦238年 卑弥呼が魏から親魏倭王の仮の金印
・西暦265年 倭の遣使が重ねて入貢。邪馬台国からの最後の入貢。
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