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88、言語について その2

2013年05月07日 | 魂の旅立ち
つづき

そんなわけで言語について考えひどく悩んだ。

僕から見ると同じような顔をした人々がちょっと国境をまたぐと全然違う言語を使う。

しかし時々同じ言葉を使う。
ドイツ語はオーストリアを貫きイタリア北部でも使われる。

フランス語はちょいちょい使われている。

公用語が二つあるような地域は沢山あった。
標識や看板がいちいち二ヶ国語で書かれている。

ヨーロッパなんて一見ちょっと大きい一つの国にも見えなくもないから、
日本人にはなかなか奇妙に思える状況である。

そして例えばイタリア語を話す人とフランス語を話す人がコミュニケーションを取るとき、
多くの場合英語でコミュニケーションを取っていた。
違う言語同士でコミュニケーションを取る場面では英語なのである。

なので言語がミックスしているヨーロッパは英語が出来る人が多い。
しかし言語が英語に統一されることはない。

またまた言語について考える。

どうして幾つもの言語が生まれたのか?
言語こそが民族なんだな?
言語こそが歴史なんだな?
と勝手に悟る。

やはり人間というのは人と人が繋がりそこで子孫を残す、家族をミニマムとするコミュニティの歴史だと思うのです。
コミュニティとコミュニティが合体し拡大していきやがて国になったり。
拡大しすぎたコミュニティは分裂したり。

強固なコミュニティできっと言葉は生まれる。

僕は自分で言うのも何だが思考的に自立した人生を送って来た。
笑いや文化にこだわり、それは小学校や中学校や高校の頃よくオリジナルの言葉を作った。
そういう学生時代は似たようなクオリティの人間は集まりコミュニティを作りがちなので、
影響力を持ったコミュニティで生まれる言葉はやがて広まる。

ひょっとしたらそんな事が言語の始まりなのではないか?

どの言語を喋ってるか?で民族がわかり歴史がわかる。
特にヨーロッパの人々は国が変わってもそんなに見た目が変わらない。

日本人と韓国人も外国で見ると区別がつかなかったりする。
そんな時僕はどうするか?
彼らが何語で喋ってるか?を確認するのです。
そう、言語こそが民族の証なのである。

僕は韓国人が好きだが、もしそうでない人が居たら。
または韓国人か?中国人か?の区別がつかなく言葉を聞いたら中国語を話しているとわかった時。
その人が韓国人は好きだが中国人が嫌いだった場合、言語の保つ役割は実に大きい。

ヨーロッパ人も同じであろう。
僕らは喋れなくてもイントネーションから韓国語と中国語の違いはわかる。
ヨーロッパの多くの人々も自分以外の国と自国の人々との区別がつかない場面があるだろう。
そんな時やはりそれぞれが話す言語で相手の国を理解するであろう。

それは日本人よりは遥かに優れた能力であろう。
島国じゃないし、人種のミッスク度は全然高いし、国家も言語も全然多い。
より言葉で民族を区別するであろう。

そしてそれが敵味方を区別することにも繋がることが多々あったであろう。

日本人は日本語さえ理解してれば一生を送れる。
しかし他国の人とのコミュニケーションの場面が多いヨーロッパ人は圧倒的にバイリンガルの数は多い。
どんな国でも都市部のお店、宿、公共機関で英語が通じないことはあまりない。

旅をしている最中、ヨーロッパに居ることが徐々に当たり前になるにつれて、
いかに日本のような島国が特殊なのか。
そういうことを深く実感した。

日本はガラパゴス国家である。

言事は民族を最も象徴する要素である。

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