メザスヒカリノサキニアルモノ若しくは楽園

地球は丸かった 太陽が輝いていた
「ごらん、世界は美しい」

感動の映画と美しい風景と愛おしい音の虜

じいちゃんと僕

2011年10月19日 | 思い出
僕はとてもじいちゃん子だった。

江戸じゃないけど、じいちゃんは江戸っこ気質で義理人情の人だった。

どちらかと言えばチンピラ寄りで破天荒だが優しさと可愛さがあった。
それなりにお金持ちでもあったので我々家族はまさにじいちゃんのおかげでそこそこ豊かに暮らせた。


僕と兄貴はいつもじいちゃんの部屋でテレビを観ていた。

小学生な我ら兄弟とじいちゃんとでは嗜好があまりに違い、
我ら兄弟とじいちゃんとの熾烈なチャンネル争いは四六時中繰り広げられていた。

我らはじいちゃんの観る番組を無理やり鑑賞してかなり影響を受けたりした。
相撲中継とか面白ゼミナールとか世界ふしぎ発見とか。
じいちゃんは力士の崇高な精神をとても評価していた。

一方我らが観るひょうきん族やドリフ、プロレスをじいちゃんは酷くコケにしていた。

こんな奴ら馬鹿だ!低俗でくだらない!プロレスなんて八百長だ!

僕はジャンボ鶴田を例にだし必死にプロレスを擁護した。

様々な事から時に取っ組み合いの喧嘩になったりもした。
(子供な我らとじいちゃんとは結構いい勝負)

思えば僕と兄貴とじいちゃんと三人で居た時間は僕の黎明期に置いてはとても素敵なかけがえの無い時間だった。
日本全国三人で旅行したし、いつも同じ空間に居た。
じいちゃんは我らが知らない色々な昔ばなしを聞かせてくれたし、
子供に見せてはいけない物も迂闊に見せてくれた。

じいちゃんがこの世を去って15年程。
じいちゃんが可愛がっていた愛犬はじいちゃんが世を去った一月後に子供を産み、親戚の子供が我が家で暮らしたりその弟が生まれたり、兄貴が結婚したり、兄嫁が子供を生んだり、両親が老いたり、愛犬が老いたり。

時の流れや家族の流れを感じずには居られない。

先日僕は実家に帰ったついでにおじいちゃんの墓参りに行ってきた。

そういう行為は都会で暮らしている僕には、なだらかに時がゆっくり進んでいるように感じるのです。
どんどんゆっくりと。

そして僕はじいちゃんのお墓に話しかけるのです。

「じいちゃん・・・相撲だって八百長だったんだぜ・・・」
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