tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

佐渡 3日目

2013-09-09 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
6:34 起床。今日は晴天だ。カキ筏の作業だろうか、トクトクトク…と小舟が湖面を行く。朝風呂に入りに行こう。

9:20 天気もいいので、今日は歩きたい。車で標高およそ900mの「ドンデン山荘」まで上がり、ここからちょっとしたトレッキングを。
山荘前からの眺め。両津湾、加茂湖を望む。

国中平野を経て、島の西側の海も見える。

9:32 歩き始めてほどなくして見晴らしのよい稜線上に出る。木々が少ないためだろうか、標高900mにしては雄大な眺め。

可憐な花が咲いている。いつもの登山のように行程が長いわけではない。のんびり写真を撮りながら行く。

青の輝きが綺麗な実。名はわからないけれど。

この名はわかった。根に猛毒があるトリカブトだ。深い紫色は美しいが。

赤い実。

白い花。

9:45 尻立山頂(940m)。苦もなく到着。「山登り」というより「山歩き」だが、「歩き」というほどでもないくらい。

島の西側の海が見える。1日目に雨の中ドライブしてこの下を横切っていったのだ。

北側には山並みが続く。ここを下りたところにはドンデン池と赤い屋根の小屋が。

紅白の花。

ドンデン池。訪れる人もほかになく、とても静かだ。このあたりには牛が放牧されているとガイドに書かれていたので、赤い屋根の小屋も牛舎かと思ったら、避難小屋だった。牛はまったく見かけず。

ドンデン池からは林道を歩き、「アオネバ十字路」という不思議なネーミングに惹かれてそこまで行ってみたものの、特に何があるわけでもなく引き返し、出発地点のドンデン山荘へ。
11:30 山荘前のウッドデッキで、この景色を眺めながら、宿のそばのコンビニ(チェーンではない「食料品店」めいた商店)で買ったマーガリンたっぷりのレーズンパンやおにぎりを食べる。両津港を出入りする船が見える。自分ももう間もなくあれに乗って島を出るのだと、帰りのことが頭をよぎる。

少し早めに港に着いた。レンタカーを返し切符売場に行くと、旅行会社であらかじめ決められていたのより1本早いジェットフォイルに空席があり、乗ることができた。
【両津港13:20―(佐渡汽船ジェットフォイル)→14:25新潟港】
昨日立ち寄った姫崎灯台も見えた。海に浮かび、島?と見えたのは、弥彦山。

さすがはジェットフォイル、カーフェリーをあっという間に抜き去る。本当にあっという間だった。所要時間はこちら1時間5分、あちら2時間半。のんびりした船旅にも憧れるが。

新潟に着いたが、まだ2時をまわったところ、日も高い。市内には見どころがあるのだろうか?信濃川のクルーズ船とか、市内を循環する観光バスとか、いろいろ考えは浮かんだものの(結局どちらも時間が合わなかった)、とりあえず、港のそばに立つ高層ビル「朱鷺メッセ」に上ってみる。これもネーミングライツというやつなんだろうか、「Befcoばかうけ展望室」という名の31階展望室。あのお菓子の「ばかうけ」だ。日本海に横たわる佐渡が見える。近く、大きく見える。

信濃川と弥彦山。

真下に新潟港のターミナル。直接海原に面しているのではなく、信濃川を河口から上流に入った場所に位置するので、航路は川の左岸の陸地を迂回するかたちになる。佐渡からのジェットフォイルで、朱鷺メッセのタワーに向かって進んで行くのかと思いきや、陸地が近づくと左に大きく逸れていったので、どういうことだ?と思ったが、上から見るとその迂回の航跡もよくわかる(画像左の沖合からやって来て、画像奥の河口から信濃川に入り、画像手前のターミナルに着く)。

信濃川沿いを歩く。朱鷺メッセを振り返る。陽射しが強い。

萬代橋。新潟には「柳都(りゅうと)」という別名があるそうで(かつては町内に堀が張り巡らされ、堀端には柳並木があったそうだ)、隣には「柳都大橋」という橋もあった。

新潟駅。帰京の途へ。
【新潟16:17―(とき336号)→18:20東京】

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佐渡 2日目

2013-09-08 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
7:28 起床。部屋からの眺め。昨晩の夕食にイカの「姿造り」(つまりイカ丸ごとだ)と「陶板焼き」が出てきたと思ったら、朝食にも「イカそうめん」が出てきた。どれだけイカを食べさせたいんだか…。ちなみに2日目の旅館でもまたイカそうめんが。ここも2日目の宿も、肉はまったく出てこなかった。島内に牧場・養豚場がないとすれば、肉は本土から航路で調達するほかなく、それゆえ肉は高価で希少となり、旅館の食膳にもあがってこないのだろうか…?などと考えてしまった。また夕食のデザートも、ここも2日目の宿も、示し合わせたように「カキのシャーベット」。おいしいとは言え、宿のオリジナリティーのこだわりはないのかな?と思ってしまう。

8:20 宿から車で10分ほど、佐渡金山へ。「道遊坑」「宗太夫坑」の2つの採掘跡があるが、母が「1つだけ見ればいい」というので、明治から平成元年まで操業していた新しい方、道遊坑へ。「約70体の電動人形を配置し、音声や効果音により江戸時代の採掘の様子を忠実に再現!」という宗太夫坑の方は、テーマパークのように手が加えられすぎている気がしてあまり乗らなかった。それよりも「現役」の名残りを見てみたい気がしたのだ。中に入ると寒いくらいにひんやりとしている。トロッコの軌道が通っている。地中には上下30m間隔でこうした坑道が無数に通じているといい、中には海面下に到達するものまで、その総延長はなんと400km。新潟―佐渡航路3往復分だ。

トロッコの信号。単線のため、通過する際にスイッチを入れて、現在地の信号を青に、奥の信号を赤にし、衝突を防止する。

この真っ暗な奥には、江戸時代に坑道内の排水作業に従事していた「無宿人」の休憩所があったという。江戸や大坂などの大都市にあふれていた戸籍のない人々、それが「無宿人」。彼らをここに連れてくることで、「水替人足」としての労力供給と、大都市の治安維持の“一石二鳥”を狙っていたそうな。それにしても、真っ暗な中での水浸しの力仕事、考えただけでも気が滅入る。

坑を出る。中があまりにもひんやりとしていたので、外は“あったかい”と感じる。

8:44 坑口から少し歩いたところにある「道遊の割戸」。山頂が真っ二つに割れている。鉱脈が地表に露出していた部分を鏨(たがね)と鎚で掘り進んだもので、幅は30m、深さは74mに達する。江戸時代に手で掘られはじめ、明治、昭和と時代を超えて採掘が続けられたという。先ほど坑道内では、この割戸の「真下」だという空洞もあった。

少し離れたところから見る割戸。垂直に近い絶壁をなすこのような採掘跡は世界にも例がないそうで、“佐渡金山のシンボル”と。
金山は1601年に文字通りの「山師」によって発見された。それから平成元年の操業停止に至るまでの388年間に、金78トン、銀2330トンを産出。それらの金銀は今も形を変えて世界のどこかに出回っているのだろうか。

破砕場。トロッコの車体を傾けて積み荷の鉱石を真下に落とせるようになっている。

破砕場から伸びるトロッコの線路。

蓄電池式の機関車と貨車(鉱車)。機関車は最高時速12、3㎞で1トン鉱車を最大10両牽引したという。

立坑のやぐら。今日も雨は降り続いている。

10:22 金山から相川、河原田、真野と海沿いに走り、五重塔のある妙宣寺へ。佐渡島内のみならず、新潟県唯一の五重塔。日光東照宮の塔を模しているという。

境内はなかなか広い。

11:18 島をさらに南下。小木を通過し、島の最西端(昨日の弾崎からずっと南下してきたわけだから「島の南の端」と言いたいところだけど、地図上はそうではない)、沢崎鼻灯台へ。

島の果ての海。

11:40 再び小木方面へ戻り、「千石船と船大工の里」宿根木へ。入江の狭い地形に家屋が密集している。小川と石畳のある路地。

路地に挟まれた三角形の敷地に沿って建てられた「三角家」。

この家にはつい数年前まで一人暮らしのお婆ちゃんが住んでいたそうだ。室内には風呂やトイレも備え付けられ、生活感がまだ生々しかった。「保存のための保存」ではなく、ちゃんと現役で使われ続けてきたというところが素晴らしい。

集落の家の腰板は、千石船建造の際に余ったものや、廃船になったものが利用されている。厚さは薄くても1寸2分(36mm)以上あり、虫害を防ぐために船では数年で取り替えられたものが、家屋で「宝の材」として再び活かされたのだという。

扇に「石」(この家の姓の一部だそう)。細かい意匠も凝っている。

「清九郎」家(建物はこうした屋号で呼ばれている)。廻船2隻を所有した船主の家。外観は板張りでいたって質素だが、内装は柿渋塗り・漆塗りでピカピカ光り、なかなか豪華。2階まで吹き抜けになっている「オマエ」(居間)。2階に上がると、婚礼も開けるという床の間付きの広い座敷があった。

梁にかかる「小」の札。この家は金貸しもしており、日割りの利息計算のため、その月が日数の短い「小の月」であることを表わしている…といったことを、係の女性の方(この集落にお住まいだそうだ)が解説してくれる。

裏庭の岩山が掘られ、倉庫になっている。母はまさにこれを、佐渡とも知らず偶然テレビで見たことがあったとかで、思わぬ符合に驚いていた。

集落の旧家の、似つかわしくないなぜかパスタのレストランで昼食をとり(美味しかった)、駐車場へ戻る。日本海の潮風から集落を守る竹製の垣「風垣」。

13:33 小木民俗博物館に展示されている「白山丸」。江戸時代に宿根木で建造された千石船(大型の廻船)の復元。全長24m、帆は広げると155畳になるというが、屋内に納められ、どこか窮屈そうでもある。

博物館は旧・宿根木小学校の木造校舎が転用されている。

漁具や生活道具が所狭しと展示されている部屋もあるが、教室として残されている部屋もある。

「前垂れ紙」という正月飾り。先ほどの「清九郎」家にも神棚の下に貼ってあった。高野山が発祥で、佐渡には江戸時代に廻船によってもたらされたという。漁師の家なら恵比寿や鯛があしらわれるなど、各家ごとの生業でさまざまなデザインが凝らされたそう。「正月は冬の長い雪国の人々にとって祝福すべきものであり、清浄無垢の白い前垂れ紙に新しい年を迎える喜びが表現されている」と。なるほど。

宿根木集落の模型。「1ヘクタールに100戸あまり」という密集度がよくわかる。中世から廻船業で栄えた宿根木は、「佐渡の富の3分の1を集めた」と言われるほど繁栄し、やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木に移ると、今度は造船技術者が移住して集まり、千石船産業の基地として発展した。

宿根木の後は小木で「たらい船」乗船を考えていたが、雨の中ではちょっとね…という話になり、両津へ向かって島の東側の海沿いを北上。
15:27 漫然とドライブしているだけだと眠くなる。ちょうど雨もやんだので、海に突き出た「風島弁天」の山に登ってみる。

山の上から、海岸線、来た道を振り返る。通る車もとても少ない。

海に突き出した崖上の展望台(ここに登ってくる人もあまりいないようで、草が生い茂っている)から、水平線を望む。

15:55 さらに北上、姫崎灯台へ。佐渡島の形を「斜めに傾いたカタカナの“エ”」と表現するなら、“エ”の「書き終えたところ」にあたるのがこの姫崎灯台。この島めぐり、灯台ばかり訪ねているな。

灯台からは、昨日両津から走り出した内海府の海岸線が見える。間もなくこの島もぐるっと一周結ぶことになる。

17:40 両津の旅館にチェックイン。窓から望む新潟県最大の湖・加茂湖(周囲17km)と、佐渡最高峰・金北山(1172m)。昨日今日と、宿泊は温泉。

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佐渡 1日目

2013-09-07 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
【東京7:00―(MAXとき303号)→8:58新潟】
2泊3日で佐渡に旅に出る。今回は母を連れての旅。ひとり旅のような無茶はせず、予定も詰め込まず・固めず、まあ、のんびり。2階建て新幹線の1階席は窓の外が何も見えないな。もとより、トンネルも多いが。新潟駅からバスで佐渡汽船の新潟港へ。バスはパスモが使えた。
【新潟駅9:15―(新潟交通バス)→9:30新潟港】

生まれて初めて乗るジェットフォイル。車体には「BOEING」と書かれており、室内に轟くエンジンの音、シートベルトのある座席など、なんとなく飛行機を思わせる。そう言えば、船内アナウンスも「船長」ではなく「操縦士」と自己紹介していたな。キャンセル待ちも早々に締め切られた満席で出港。
【新潟港10:00―(佐渡汽船ジェットフォイル)→11:05両津港】

最高時速は80km/hとのこと。客席前方の電光掲示板に速度表示が出る。沖ではだいたい70km/h台で走っていたようだ(「走る」とは言わないのだろうけどついそう言いたくなる)。揺れはなく、海の上で窓外に近景がないこともあって、20km/hでも70km/hでも体感的にはあまり変わらない。パンフレットの写真を見ると、海面から相当立ち上がった状態で航行しているけれど、その「高さ」もあまり感じなかった。前方に薄く伸びて見えていた佐渡の陸地が近づき、始めは影のグレーだったのが、徐々に濃い緑色になっていく。

両津港到着。港でレンタカーを借りる。

島の東側の海岸(内海府)を北上する。両津の町並みはすぐに途切れ、海岸と山の崖に挟まれた細長い集落(どの家も外壁は木の板張りだ。島では建築資材も限られるのだろうか)をいくつか通り過ぎる。
12:20 島の最北端、弾崎灯台。「はじき野フィールドパーク」というログハウスの並ぶオートキャンプ場を抜けたところにある。この灯台は映画『喜びも悲しみも幾歳月』の舞台になったそうで、灯台守の夫婦を演じた佐田啓二・高峰秀子のブロンズ像が立つ。近づくと、映画の主題歌なのか、音楽が流れる。

12:43「二ツ亀ビューホテル」で昼食をとることに。窓の外に見える巨岩「二ツ亀」と、「2匹の亀」が石の上に乗ったホテルの土産物と。

刺身定食。焼き魚もあり、種々の海草もあり、なかなか盛り沢山。

食後、外へ出てホテルの裏から二ツ亀へ近づく。雨が降ってきた。

島の北端には「二ツ亀」のほか「大野亀」という標高167mの巨岩もあり、登ってみたくなる姿をしているが、雨だし、いいでしょう、と母は言い、車窓から眺めただけで通過。トンネルが続く海沿いの1車線の道路から振り返る。

大野亀から先は、島の西側、外海府海岸をひたすら南下。千本鼻の夫婦岩。雨は降り続いている。自転車の旅行者(佐渡には結構いるみたいだ。「島を1周」というのがサイクリストのロマンをくすぐるのかな)が、停滞を余儀なくされているのか、テントの中で休んでいる。

15:14 尖閣湾(達者)の遊覧船に乗る。

出港。こうして見ると沖合に飛び出しているかのようだが、岩場・断崖になっている陸地に沿って航行する。

女性の案内人が、あの岩は何岩で…と解説するが、紹介が多すぎて、目が追いつかない。方言とも違う、独特なイントネーションで喋る。台本も見ずに流暢に喋れるのは大したものだが、どことなく、慣れすぎて飽き飽きしたかのような倦怠感も漂う。

岩場の間を抜ける。出港時は船内の客席に座っていたが、船はやはりデッキが面白い。窓ガラス越しより、風を感じられる場所の方がいい。ただし、揺れは結構あるので、手すりにつかまっていないとよろけてしまう。写真撮影の時も、デジカメを海へ落っことさないかと冷や冷やする。

小島にかかる橋。ここ尖閣湾はNHKのドラマ『君の名は』の舞台になったそうだが、知らないのでピンと来ない。ここで折り返し。船着き場に戻る。乗船時間はおよそ20分くらいだったか。

尖閣湾から再び外海府を南下ドライブ。
16:01 佐渡金山の遺構。北沢浮遊選鉱場・精錬所跡。「浮遊選鉱」とは、油や起泡剤を加えた水に砕いた鉱石を入れてかき混ぜ、濡れにくい鉱物粒子を気泡に付着させて分離・回収することだそう。泡にして「浮遊」させて回収するということか。ここは月間7万トンの鉱石処理が可能な「東洋一の浮遊選鉱場」だったという。一番下には照明が据え置かれている。夜はライトアップするのだろうか。古代遺跡のように荘厳な景色が現れそうだ。

山にかかるインクライン。鉱山の坑口はこの山の上部にある。

直径50mの大きな丸いコンクリートの器。シックナー。「沈降濃縮装置」という訳語が。鉱石の泥入りの液が槽の中央に投入され、泥は底に溜まり、鉱物粒子の浮遊する上澄み液だけが槽外に溢れ、取り出せるようになるという仕組み。
本当はここから車で山を登っていったところにある佐渡金山の坑道に行く予定だったが、営業時間は17:30まで、もうあまり時間はないので、明日に持ち越し。相川の海辺にある今日の宿へ向かう。結局、雨はずっと降り通しだった。

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