tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

佐渡 2日目

2013-09-08 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
7:28 起床。部屋からの眺め。昨晩の夕食にイカの「姿造り」(つまりイカ丸ごとだ)と「陶板焼き」が出てきたと思ったら、朝食にも「イカそうめん」が出てきた。どれだけイカを食べさせたいんだか…。ちなみに2日目の旅館でもまたイカそうめんが。ここも2日目の宿も、肉はまったく出てこなかった。島内に牧場・養豚場がないとすれば、肉は本土から航路で調達するほかなく、それゆえ肉は高価で希少となり、旅館の食膳にもあがってこないのだろうか…?などと考えてしまった。また夕食のデザートも、ここも2日目の宿も、示し合わせたように「カキのシャーベット」。おいしいとは言え、宿のオリジナリティーのこだわりはないのかな?と思ってしまう。

8:20 宿から車で10分ほど、佐渡金山へ。「道遊坑」「宗太夫坑」の2つの採掘跡があるが、母が「1つだけ見ればいい」というので、明治から平成元年まで操業していた新しい方、道遊坑へ。「約70体の電動人形を配置し、音声や効果音により江戸時代の採掘の様子を忠実に再現!」という宗太夫坑の方は、テーマパークのように手が加えられすぎている気がしてあまり乗らなかった。それよりも「現役」の名残りを見てみたい気がしたのだ。中に入ると寒いくらいにひんやりとしている。トロッコの軌道が通っている。地中には上下30m間隔でこうした坑道が無数に通じているといい、中には海面下に到達するものまで、その総延長はなんと400km。新潟―佐渡航路3往復分だ。

トロッコの信号。単線のため、通過する際にスイッチを入れて、現在地の信号を青に、奥の信号を赤にし、衝突を防止する。

この真っ暗な奥には、江戸時代に坑道内の排水作業に従事していた「無宿人」の休憩所があったという。江戸や大坂などの大都市にあふれていた戸籍のない人々、それが「無宿人」。彼らをここに連れてくることで、「水替人足」としての労力供給と、大都市の治安維持の“一石二鳥”を狙っていたそうな。それにしても、真っ暗な中での水浸しの力仕事、考えただけでも気が滅入る。

坑を出る。中があまりにもひんやりとしていたので、外は“あったかい”と感じる。

8:44 坑口から少し歩いたところにある「道遊の割戸」。山頂が真っ二つに割れている。鉱脈が地表に露出していた部分を鏨(たがね)と鎚で掘り進んだもので、幅は30m、深さは74mに達する。江戸時代に手で掘られはじめ、明治、昭和と時代を超えて採掘が続けられたという。先ほど坑道内では、この割戸の「真下」だという空洞もあった。

少し離れたところから見る割戸。垂直に近い絶壁をなすこのような採掘跡は世界にも例がないそうで、“佐渡金山のシンボル”と。
金山は1601年に文字通りの「山師」によって発見された。それから平成元年の操業停止に至るまでの388年間に、金78トン、銀2330トンを産出。それらの金銀は今も形を変えて世界のどこかに出回っているのだろうか。

破砕場。トロッコの車体を傾けて積み荷の鉱石を真下に落とせるようになっている。

破砕場から伸びるトロッコの線路。

蓄電池式の機関車と貨車(鉱車)。機関車は最高時速12、3㎞で1トン鉱車を最大10両牽引したという。

立坑のやぐら。今日も雨は降り続いている。

10:22 金山から相川、河原田、真野と海沿いに走り、五重塔のある妙宣寺へ。佐渡島内のみならず、新潟県唯一の五重塔。日光東照宮の塔を模しているという。

境内はなかなか広い。

11:18 島をさらに南下。小木を通過し、島の最西端(昨日の弾崎からずっと南下してきたわけだから「島の南の端」と言いたいところだけど、地図上はそうではない)、沢崎鼻灯台へ。

島の果ての海。

11:40 再び小木方面へ戻り、「千石船と船大工の里」宿根木へ。入江の狭い地形に家屋が密集している。小川と石畳のある路地。

路地に挟まれた三角形の敷地に沿って建てられた「三角家」。

この家にはつい数年前まで一人暮らしのお婆ちゃんが住んでいたそうだ。室内には風呂やトイレも備え付けられ、生活感がまだ生々しかった。「保存のための保存」ではなく、ちゃんと現役で使われ続けてきたというところが素晴らしい。

集落の家の腰板は、千石船建造の際に余ったものや、廃船になったものが利用されている。厚さは薄くても1寸2分(36mm)以上あり、虫害を防ぐために船では数年で取り替えられたものが、家屋で「宝の材」として再び活かされたのだという。

扇に「石」(この家の姓の一部だそう)。細かい意匠も凝っている。

「清九郎」家(建物はこうした屋号で呼ばれている)。廻船2隻を所有した船主の家。外観は板張りでいたって質素だが、内装は柿渋塗り・漆塗りでピカピカ光り、なかなか豪華。2階まで吹き抜けになっている「オマエ」(居間)。2階に上がると、婚礼も開けるという床の間付きの広い座敷があった。

梁にかかる「小」の札。この家は金貸しもしており、日割りの利息計算のため、その月が日数の短い「小の月」であることを表わしている…といったことを、係の女性の方(この集落にお住まいだそうだ)が解説してくれる。

裏庭の岩山が掘られ、倉庫になっている。母はまさにこれを、佐渡とも知らず偶然テレビで見たことがあったとかで、思わぬ符合に驚いていた。

集落の旧家の、似つかわしくないなぜかパスタのレストランで昼食をとり(美味しかった)、駐車場へ戻る。日本海の潮風から集落を守る竹製の垣「風垣」。

13:33 小木民俗博物館に展示されている「白山丸」。江戸時代に宿根木で建造された千石船(大型の廻船)の復元。全長24m、帆は広げると155畳になるというが、屋内に納められ、どこか窮屈そうでもある。

博物館は旧・宿根木小学校の木造校舎が転用されている。

漁具や生活道具が所狭しと展示されている部屋もあるが、教室として残されている部屋もある。

「前垂れ紙」という正月飾り。先ほどの「清九郎」家にも神棚の下に貼ってあった。高野山が発祥で、佐渡には江戸時代に廻船によってもたらされたという。漁師の家なら恵比寿や鯛があしらわれるなど、各家ごとの生業でさまざまなデザインが凝らされたそう。「正月は冬の長い雪国の人々にとって祝福すべきものであり、清浄無垢の白い前垂れ紙に新しい年を迎える喜びが表現されている」と。なるほど。

宿根木集落の模型。「1ヘクタールに100戸あまり」という密集度がよくわかる。中世から廻船業で栄えた宿根木は、「佐渡の富の3分の1を集めた」と言われるほど繁栄し、やがて小木港が江戸幕府によって整備され、商業の中心が小木に移ると、今度は造船技術者が移住して集まり、千石船産業の基地として発展した。

宿根木の後は小木で「たらい船」乗船を考えていたが、雨の中ではちょっとね…という話になり、両津へ向かって島の東側の海沿いを北上。
15:27 漫然とドライブしているだけだと眠くなる。ちょうど雨もやんだので、海に突き出た「風島弁天」の山に登ってみる。

山の上から、海岸線、来た道を振り返る。通る車もとても少ない。

海に突き出した崖上の展望台(ここに登ってくる人もあまりいないようで、草が生い茂っている)から、水平線を望む。

15:55 さらに北上、姫崎灯台へ。佐渡島の形を「斜めに傾いたカタカナの“エ”」と表現するなら、“エ”の「書き終えたところ」にあたるのがこの姫崎灯台。この島めぐり、灯台ばかり訪ねているな。

灯台からは、昨日両津から走り出した内海府の海岸線が見える。間もなくこの島もぐるっと一周結ぶことになる。

17:40 両津の旅館にチェックイン。窓から望む新潟県最大の湖・加茂湖(周囲17km)と、佐渡最高峰・金北山(1172m)。昨日今日と、宿泊は温泉。

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