tokyo_mirage

東京在住・在勤、40代、男。
孤独に慣れ、馴れ、熟れながらも、まあまあ人生を楽しむの記。

新緑の京都旅 1日目

2015-06-06 23:00:00 | 旅と散歩と山登り
「紅葉の名所は、すなわち新緑の名所ですから。」とは、JR東海のCMもうまいことを言う。まんまと唆された。新緑の京都をめぐる3日間の旅。京都を訪ねるのは4年前の出張以来。旅行では、中学校の修学旅行も入れて4度目。すでに3日前に梅雨入りしている京都。雨降りも想定に入れつつ、ここ1週間ほど、ガイドブックを10冊くらいひっくり返して、どこをどのように回ろうかと悩んだ。

【東京6:43―(のぞみ201)→9:01京都】
泊まるホテルは京都北郊なのだが、京都駅構内に「ウェルカムカウンター」があり、預けた荷物をホテルまで配送してもらえる。これは便利。ただし、在来線へ乗り換える15分間で、荷物を預け、京都のバスと地下鉄に乗れる「京都観光二日乗車券」(バス車中では買えないのだ)を買わねばならない。なかなか忙しい。
【京都9:17―(山陰本線)→9:33嵯峨嵐山】

嵯峨嵐山駅に隣接する嵯峨野観光鉄道の「トロッコ嵯峨駅」で、トロッコ列車→連絡バス→保津川下りとつながる一連の切符を買い、トロッコの出発時間まで、駅舎内にある「ジオラマ京都JAPAN」を見学。「日本最大級」と謳う鉄道ジオラマ。トロッコの待ち時間潰しのための心憎い施設を作ったものだ。ただし、線路の全長が「2.7km」もあるというのに、走る列車は1編成しかなく、それは「他の列車はお金を入れて運転して」という意図のようなのだが、どことなく「やる気のなさ」が漂う。街並みも、いくら京都市街地が平安京の「碁盤の目」状であるとは言え、無機質に区切り過ぎで、同行者は「自動車教習所のコースみたい」と辛辣なことを言う。清水寺や平等院など、京都の名所の模型もあるが、縮尺が鉄道と合っていないので、「子供騙し」の感がある。京都駅舎に至っては、ただの「透明アクリルの箱」だし。20分で見学し切れるかと焦ったが、20分で充分だった。客も、僕らともう1組しかいなかった。

トロッコに乗車。保津川渓谷沿いの山陰本線の旧線を、亀岡までの7.3km。こちらは後ろ側。亀岡方向へは機関車が押していく。

走り出すとガツンガツンと地面から突き上げが来るのが、いかにもトロッコらしい。眼下の保津川渓谷には、後で乗る予定の川下りの舟が流れてきて、その乗客が全員ブンブンと手を振ってくる。ずいぶん一糸乱れず手を振っているものだなと思ったが、後で舟に乗ったら、船頭さんが「トロッコが見えたら一生懸命手を振って“営業”に協力してください」と言っていたのがおかしかった。5両の客車のうちの1両は側板や床が素通しで、その名も「ザ・リッチ」。見た目が素寒貧の方が「ザ・リッチ」なのだ。途中の保津峡駅からナマハゲのような恰好をしたおじさんが乗り込んできたが、その名前を紹介する車内アナウンスの音が割れていて、いったい「何さん」なのかわからない。車内をうろつくこのナマハゲさんを、乗客ももてあましている風。そのほか、カメラマンが通路を来て写真を撮らせてくれと言ってきたり、乗車時間20数分にもかかわらずいろいろ放り込んでくる。この景色だけで充分なんだけどね。
【トロッコ嵯峨10:07―(嵯峨野観光鉄道)→10:30トロッコ亀岡】

トロッコの終点駅で、駅前で待機している保津川下り連絡バスに乗り換え。バスは15分ほど走り、1階がくり抜かれた乗船場ビルの中へ。バスを降り、階段で2階へ上がって乗船の受付。番号札を渡される。ここまで、実にシステマチックなベルトコンベアに乗せられている。ロビーのビニールスツールに座って番号が呼ばれるのを待つのも、なんだか病院にいるよう。
舟が岸を離れると、折悪しく雨が降り出した。4人いる船頭さんが「あーあ」と言いながら、船の縁を伝って、柱に竹竿を渡し、その上にビニールの屋根をかける。出航前の船着き場にいる時ならもっと難なく作業ができたろうから、なんともタイミングが悪い。あの岩はスヌーピー、あの岩はミッキーマウス…などと(承服しがたい形状のものもある)、船頭さんはいろいろガイドをしてくれるが、いい意味で「観光地擦れした流暢さ」がなく(毎日毎日同じことの繰り返しに慣れすぎて、隙なく完成されてはいるけれど、どことなく飽き飽きした空気が漂う…のではなく)、気さくで、ユルい。船頭同士で雑談もするし、あまつさえ、水底を竿で突く勢いが余って、水に落ちそうになった船頭さんさえいた。なんだろ、これが関西、京のノリなのかな。(この画像前方のトロッコ保津峡駅の吊り橋の下には、カメラマンが三脚を立てて待ち構えていて、舟の乗客をパチリと撮る。スプラッシュマウンテン方式ね)

…とは言え、ところどころに現れる落差のある細い瀬では、木のオールを器用に岩にあてがってそつなく舟を操るところ、やはり彼らはプロなのだった。何度か山陰本線の高い橋が渓を跨ぐが、電車はかなりのスピードで走り去る。トロッコに旧線を譲った新線は、相当真っ直ぐにできているのだろう。舟で1時間半かかる(ふだんは2時間だが、今日は昨日までの雨で川の水量が多く、速いのだという)区間を、電車はわずか7分で結ぶ。この航路は、1600年の昔、丹波地方の木材や薪炭などを京に送るために開かれたという。帰りは舟を上流まで上げるわけで、随所の岩に、その際の挽き跡だという筋が残っていた。
終点の嵐山まで近づくと、タイの水上マーケットのように、売店の船が寄ってくる。鉄板の上でイカが焼かれ、香ばしい匂いがたちこめる。両船はロープで繋がれ、売店船のエンジンで進む。船頭さんたちも汗を拭き拭き一休み。

「舟はどうやって出発点まで戻すんですか?」と訊かれれば、「ライトで照らして小さくして、ポケットに入れて持って帰るんですよ」とは、毎度お馴染みの受け答えなのか。どこか別の場所でも聞いたことがあるような。実際は3艙まとめてトラックで運ぶそうだ。
12:29 嵐山で下船。船頭さんたちは1日3稼働くらいこなすのかな?乗っていた客が、地面に降り立った時にキュウリの入ったビニール袋を落っことす。京都では「冷やしキュウリ」「アイスキュウリ」なるキュウリ丸ごと一本の漬物を棒に刺したものが食べ歩きグルメとして流行っているみたい。ただ、店頭でたらいの水に浸されて売られてるさま、食中毒が心配になるけど。

雨もすっかりあがり、陽射しが出てきた。嵐山公園の坂道を登る。新緑が輝く。

竹林の小道。美しい。あちこちで竹ならぬ自撮り棒がニョキニョキ立っているけど。

12:53 野宮神社。とても小ぢんまりとした神社なのに、参拝客がいっぱい。しかもそのほとんどがアジア系を中心とする外国人。外国人向けガイドブックには何か特別な記載があるのかな。境内の苔が美しい。

嵐山の目抜き通りで「黒毛和牛ステーキ丼」と「湯葉どんぶり&湯豆腐」のランチを分け合いながら食し、
13:53 天龍寺の庭園へ。強い陽射しに白砂が眩しい。京都にある臨済宗の五大寺「京都五山」とはよく聞くけど、ここはその第一位の寺。以下、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺。

境内の「望京の丘」に登ると、その名の通り、京都タワーなどの京都中心部が見えた。

14:35 渡月橋を渡る。風が気持ちよかった。バスに乗車。
【嵐山―(バス)→円町駅→金閣寺道】

15:30 修学旅行以来の金閣寺へ。入場券がお札なのは、修学旅行の時と変わってないな。受付から門をくぐるとすぐに金閣(舎利殿)が現れたので、「もう少し“タメ”があってもいいんじゃないかね…」と同行者と語り合う。

金箔部分の印象が強くて二層のイメージを持っていたけど、三層なんだな。一層は寝殿造、二層は武家造、三層は中国風の禅宗仏殿造。寝殿造(=貴族)は質素な木造りで、その上の武家造(=武士)が豪奢な金箔張りというのは、足利義満の権力観が反映されているのかしら。池(鏡湖池)の上に聳える“浮遊感”は、一層目を暗く見せた方が効果的なのかも、とも思う。

【金閣寺道―(バス)→大徳寺前】
16:11 大徳寺の塔頭、龍源院へ。大徳寺の中で最も古い寺だという。4つの庭があるが、最も大きい南側の方丈前庭「一枝坦」。奥の高い岩が、仙人の住む不老長寿の吉祥の島、蓬莱山。右の影の中にあるのが鶴島。手前の円形の苔山が亀島。白砂は大海原を表す。縁側に腰を下ろす。閉門時刻も迫り、訪れる客も少なく、静かだ。…ああ、これが今回の京都旅で味わいたかった空気だ、と思う。

“日本最小の坪庭”こと、「東滴壺」。方丈と庫裏の間の軒下にある小さな小さな庭。一滴の雨垂れが波紋を生み、それが世界へと広がっていくのだなあ。模様のついた白砂は縁の下の奥深くまで続いていた。

方丈北側の「竜吟庭」。青々とした杉苔は北側の庭ならではか。高く立つ岩は、仏教の宇宙観に説かれる世界の中心の聖山、須弥山。「人間はもちろん、鳥も飛び交うことのできない、誰一人として窺い知ることのできない、真の自己の姿、誰もが本来具え持っている超絶対的な人格、悟りの極致」を表現しているという。

閉門の16:30までじっくり過ごした。人がたくさんいた天龍寺や金閣寺では味わえなかった満足感を覚えた。外に出る。大徳寺の数々の塔頭が夕暮れの中に建ち並ぶ。

【大徳寺前―(バス)→河原町三条】
17:24 さらに下鴨神社などに寄りたかったのだが、どこも閉門時間が来てしまった。寺社巡りは今日はここまで。高瀬川沿いの木屋町通を歩く。100万都市の繁華街の中にこれだけ綺麗な水が存分に流れている、これこそが京都ならではの魅力だと思う。

17:42 木屋町通を四条通まで歩き、折り返し、先斗町通を歩く。人間サイズの細さが心地よい路地。

店々を見ていたら、川床で食事がしてみたくなった。先斗町通を往復して、手ごろな価格の店を見つける。通ぶって「“ユカ”空いてますか?」と暖簾をくぐる。江戸時代、裕福な商人が来客をもてなす際、鴨川の中州や浅瀬に床几(しょうぎ=腰かけ台)を置いたのが始まりだとされる。大正から昭和にかけての河道改修の結果、川の流れが速くなったため、床几形式の納涼床は禁止され、現在のようなデッキの納涼床になったという。付出し/炊き合せ/おばんざい/粟ふあげだし/焼き鳥/とろ湯葉/うなぎ蒲焼き丼のコースメニューをいただく。

19:18 店を出る。京都の日没は東京よりずいぶん遅いようだ。日の長いこの時季、まだトワイライトが続いている。

先斗町通を出て、鴨川の岸辺を川床を見上げながら歩き、地下鉄の駅へ。
【三条京阪―(地下鉄)→烏丸御池→国際会館】
ホテルは地下鉄の北の終点駅にある。地上に出るとあたりは山で真っ暗だった。喧騒を逃れて、とても落ち着いた気分になった。早朝の出立、欲張りな行程、ゆっくりとった食事…僕としては旅先では珍しいことなのだが、夜はぐっすりと眠れた。

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