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田切通信

旅行に写真に究極超人あ~るに飯田線田切駅

田切掃除・夏7

2005-09-14 20:47:00 | 飯田線の旅
 ホームに降りると、驚いたことに先客がいる!駅の草刈りしていたおじさんだった。挨拶をして話しかけると、昨晩も駅寝の客があったという。僕らも昔はよくここで寝たものだ。待合いの中は薄汚れていて、前にはあったカード式の公衆電話が撤去されている。谷間で携帯の電波も全く届かないので、列車が出てしますと外界との連絡手段がない。(全くない訳ではなく、JR専用の鉄道電話と、唯一の民家宮下家へ泣きつくという手段はあるが、あくまでも緊急用だろう)携帯がないと生きられない人(結構多いらしいが・・・)だったら即死だな、などと思いつつ、仕事や諸々のしがらみから切り離された開放感を味わう。
 かつて僕もジュースを買った自販機は、限りなく崩壊が進んでいる。おじさんが草を刈っている小道を下ると、あれ?何か見慣れた光景が変???何か違和感がある。ちょっと考え込むと・・・そうだ、ミュージックフェスティバルが根こそぎ取り壊されて更地になってるのだ。たしかに床が抜けて屋根が所々落ちる等、痛みが激しかったのだが、水窪町は修理維持より解体を選んだようだ。
 ここで結婚式を挙げたカップルは、これを見たらなんと思うだろう?
廃墟に常に付きまとう虚無感とでも言うのだろうか、かつて人の温もりがあった場所が、崩れ草むして自然に帰っていく様はもの悲しい。
 駅の周辺を歩き回り、一通り写真を撮る。それでも駅を脱出する列車が来るのは40分後だ。

田切掃除・夏6

2005-09-13 20:30:26 | 飯田線の旅
 そりゃ、ブームの時は凄かったっすね。列車が着くたびに十人単位で乗降客があったし、駅には水窪町の属託でおばさんが駅長役として常駐していたし。
常に人けがあって活気があった。人が集まっている状況というのはそれだけで華やいだ感じでいいものだった。駅舎の下の空き地には「ミュージックフェスティバル」という名の東屋が建てられて、そこで皇太子殿下ご成婚に合わせて十二単での結婚式が行われた。臨時貸し切り列車も走り、この時が頂点ですかね。
トイレ脇の空きスペースにジュース自動販売機が置かれて、来訪者の喉を潤した。ジュースの補充はベンダーの人がジュースを電車に乗って運んできてやってました。自販機自体も電車で持ってきたんじゃないだろうか?その後もしばらくは人が来てました。
 しかし一過性の話題は早くも次の年には忘却の彼方に消え去り、電車が着いてもコアな鉄道ファンか秘境ファンしか降りなくなった。まあ、これが本来の姿ではあったんだけど・・・・
 そして現在、降りました小和田に。相変わらず他に乗降客はなし。

田切掃除・夏5

2005-09-12 22:11:27 | 飯田線の旅
 乗ってしまうとわずかに一駅なので、ものの数分で着いてしまう。久しぶりの小和田に下車する。
 さて、小和田といえば自動車で乗り入れる道がない陸の孤島の秘境駅として、一部では大変有名な場所だ。徒歩なら1時間ほど山道を歩けば県道に出ることはできるが、もちろん軽だろうと四駆だろうと車は駅には入れない。駅近傍には林業を営む農家が1軒だけあり、事実上「一個人の為の駅」といった様相をていしている。そのくせ2面ホームの交換駅で、木造の立派な駅舎もある。ここがかつては有人駅だったといわれても、にわかには信じられない。
 しかしそれほど前のことではなく、平成の世になってから俄然脚光を浴びたことがあった。それは皇太子殿下ご成婚のおりで、妃殿下の旧姓が「小和田」であったことから同じ漢字表記の駅として話題になったのだ。まあ、読みは「おわだ」と「こわだ」で違うんだけどね。僕が目撃したのはこの頃からで、短い時間での栄枯盛衰を目の当たりにしてちょっと心わびたりしたのだ。

田切掃除・夏4

2005-09-11 19:38:15 | 飯田線の旅
 まず、昨日の文の2行目、「連続の、上道幅も狭く」とあるのは「連続の上、道幅も」・・・の間違いでした。点の位置が1文字分ずれてた。

 さて、大きな吊り橋を渡り大嵐駅前の駐車場に車を停めた。予定の電車は出ちゃったが、別段その後の予定もないので、単純に次の電車に乗ることに決め、駅舎の待合いスペースで朝食タイムとする。朝食はコンビニで買ってきたおむすびなどで簡単にする。こんな田舎の無人駅にしてはかなり大きくて立派な駅舎は、JRのモノではなく、富山村の施設なのだ。だから椅子やテーブルなどの設備も充実している。駅の時刻表を確認しつつ食事をしていると、急に警報機が鳴り下り方面、つまり小和田に行く為に乗る予定の電車が15分も早くやってきた。
あわてて食卓をかたづけて電車に飛び乗ると、今度はなかなか発車しない。長停(長時間停車の略)なのか?と思い車掌に尋ねると、予想通り長停だという。
まあ急ぐ旅でもないので、とりあえず小和田までの切符を車掌から買う。無人駅からの乗車では、こうして乗ってから車掌から切符を買うのだ。小和田は大嵐のすぐ隣の駅だ。小和田は電車に乗って通過するばかりで、最近降りていない。従って何年かぶりの駅訪問だ。今度は何が寂れているのか・・・・



田切掃除・夏3

2005-09-10 23:11:34 | 飯田線の旅
 さて、佐久間ダムから富山村までの距離は20キロ弱。普通ならかなり安全運転でも30分はかからない。ところがダム湖沿いの道は曲がりくねったブラインドコーナーの連続の、上道幅も狭く、さらには途中まで川砂利を積んだ大型ダンプが頻繁に通る。危なくて全然スピードが出せない。そんな訳で1時間以上かかってやっと富山村の民家があるエリア(漆島)に着いた。
 合併を間近に控えているからと言って、別段何か飾りつけがある訳でもなく別段何も変わりない。ところで、今までの道も県道1号で、富山を過ぎた先も同じ県道1号なのだが、どういった訳か、富山を過ぎたとたんに路面の規格が良くなる。簡単に言うと道幅が広がり舗装の状況も格段に良くなる。
 大嵐駅に至る大きな吊り橋を渡り、大嵐駅に向かう。予定時間より遅れてしまったので、小和田駅への往復に使う予定だった列車に乗れなくなった。
さて、どうしよう。