入口が既に外階段を上るので分かると思いますが、天守の建物は天守台と呼ばれる石垣の土台の上に建てられています。だから石垣の上面まで上がったところが建物1階の床面という事です。
鶴ヶ城の再建天守は5階建てです。入口階段を上がった第1層(階)は撮影禁止と注意書きが出ていました。という事は2層以上は撮影してもいいという事でしょう。入ってすぐの場所はお土産物などが並んだ売店でした。売店を通り過ぎて天守本体に入ると下り階段がありました。
下り階段の先は地階でした。地下と言うのは1階の床面に対しての地下で、つまりは天守台の石垣の中です。この石積みが築城当時から残る遺構で、年間を通して温度が安定していたので江戸時代は塩蔵として使われていたそうです。平和な時代の立て篭もり用要塞の平和利用ですね。
写真に写っている天井が、天守1階の床です。解体前の建物の写真が展示されていました。戊辰戦争でボコボコに壊れた当時のもので、このような現物の写真を基にして現在の天守が忠実に再建されました。
内部は第1層(階)からいろいろな資料が展示されていました。なぜ、1層だけ撮影禁止なのかは説明されていませんでしたが、恐らく展示されていた資料の種類(質)による大人の事情ではないかと思われます。2層より上は撮影できたので少し写真を撮りました。
往年の大河ドラマに「八重の桜」がありましたが、その主人公「新島八重」さんが、ここ会津にゆかりのある人で、城内の展示資料もありました。一番右・新島八重本人(後年の姿)、中・大河ドラマで綾瀬はるかさんが演じた新島八重(戊辰戦争時)、左・大河ドラマ放送時に誕生したゆるキャラ八重たんです。つまり、同一人物・・・です。
外から見ても分かりますが、天守は上に登るほど小さく(狭く)なります。第5層には展示はなく展望台になっていました。これは上から見た大手門(入口)です。
こちらは城跡内にある茶室で、天守の入場券でここも見学できます。今回はそこまで時間が無くてパスしました。木が雪つりされています。この様な雪つりって、兼六園だけかと思っていました。
この長い通路は先にある小さな干飯櫓に続く渡り廊下で、この通路手前の左側に入口があります。
江戸時代以前の天守としてはオーパーツですが望遠鏡もあります。そのへんは歴史的建造物を忠実に再現するよりも、観光が大事という事で・・。
資料が充実しているので、全部をつぶさに見て歩いたら1時間程度じゃとても足りません。そこで適度に飛ばしながら早足で回りました。天守を出た頃から雨が強くなってきました。
帰り道でこんなのを見つけました。何だろう?積雪があって近づけない為か「只今調整中です」と張り紙があり、停止していました。
帰りもバスでと考えていましたが、雨の中バス停に戻ると10人以上の観光客が待っていました。日本語じゃない言葉をしゃべっている。来る時に乗った周遊バスは小型バスで、車内が狭く座席数も12人分くらいしかありませんでした。この人数ではとても乗り切れないのは明白です。そこで、タクシーを捕まえて会津若松駅に戻りました。
お昼をだいぶ回っていたので、駅で昼食にします。駅の改札近くに駅蕎麦とラーメン屋の2軒の食事施設がありました。少し迷って空いていたラーメン屋に入りました。「会津山塩食堂」という名の店でした。
メニューです。山塩を使った塩ラーメンが名物のようです。山塩と言うのは温泉(塩泉)から精製した塩らしいです。見た感じ、塩ラーメンとソースカツ丼が2大推しのようです。
どちらの押しも捨てがたかったので、会津山塩ラーメンとミニソースカツ丼セットを発注しました。塩ラーメンは塩味がマイルドでした、その反面ソースカツ丼は味が濃かったです。
昼飯が終わったら、いよいよ鉄旅も後半戦です。磐越西線で新津駅に移動します。
乗る列車は既にホームで待機通中でした。こいつモダンな感じの顔立ちです。
珍しい塗色のキハ110が入線してきたので撮影しました。
形式が違う車両の連結ですが、車体下部のラインはほぼ同じなんですね。
さて、あと1回かな。
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