何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

『命』

2014年09月25日 18時00分59秒 | Weblog
竹林コンサートの一曲目に披露したその日作った新曲『命』。詩がほぼ固まりました。明日の天竜のライヴでは、完成した詩で、キーも合わせてバリッと唄いたいと思ってます。
今の高橋忠史の心を表現した、自信作です。
せっかくですから詩を発表します。

『命』

笑う事しか出来なくて
他に何にも出来なくて
笑うだけ 笑うだけ
ごまかせないのは分かっても
笑うだけ 笑うだけ
心がつぶれてしまうまで
笑うだけ 笑うだけ
涙に濡れても笑うだけ

へらへらするしか出来なくて
強がる事すら出来なくて
笑うだけ 笑うだけ
どれだけ惨めに思えても
笑うだけ 笑うだけ
心が壊れてしまうまで
笑うだけ 笑うだけ
涙に濡れても笑うだけ


大切に 大切に
いつもと変わらぬこの景色を
大切に 大切に
心に深く焼き付けて
大切に 大切に
あなたと過ごす残り日を
大切に 大切に
命がくだけてしまうまで
命がくだけてしまうまで


以上です。おたのしみに。

申し訳ない気持ちでいっぱい

2014年09月25日 15時36分07秒 | Weblog
滋賀県草津市にある合同庁舎に居ます。滋賀県守山市の市議会議員、藤木猛さんの奥様名義の自動車税をやっと払い終えました。

今年、静岡で高速道路運転中トンネルでエンジンが止まり死ぬかーっと思える状況の中、危機一髪で危険を回避し何とか一般道におりたが車は動かなくなってしまった。
そんな僕を心配して電話くれたのが藤木猛さん。走行距離は結構行ってるけどまだ走れる廃車にしようとしている車があるから使って下さい。
まだ名義は奥様のめいぎだったので、その税金だけは払って下さいという事で譲り受けた。

その後、東北リハビリウォーキングライヴツアーをしたが、お金にはならなかった。
それだけで無く、精神的にもそうとうダメージを受けた。最近になって分かった病気だが、脊髄小脳変成症はすでに発病していた。ある人の語る夢に賛同して歩き始めたが、脊髄小脳変成症とはわからないなりにもふらつきながら歩く僕に危なっかしくて応援出来ないと言い出し、彼の作ったフェイスブックに投稿するように旅の間貸してくれていたアイパッド(ナビで追跡出来るので僕が倒れてもすぐに助けにいけるようにと渡されたのだが)も、疲れ切っていつ倒れてもおかしく無いという旅の終盤で返してくれと言われ返した。

人に頼ろうとした僕が悪いのだが、人生残りが少ないと分かった今、腹が立って来た。60歳を過ぎた人間が命懸けでやっている事を利用し、自分の利益にならないと思ったら、一生懸命頑張っている人間に責任を負わせてさっさと手を引いてしまう。
子供のような年齢の男にていよく利用された旅だった。彼はこれからもそうやって色んな物を利用して生きて行くんだろう。
今まで、言わないでおこうと思っていたが、心の中にこのモヤモヤを残したまま数年後に寝たきりになってしまうのは悔しいのでここに書きました。
あー、スッキリした。これで東北の歩き旅をわすれる事ができる。
良かった。

話しは大きくそれてしまいましたが、車を運転しながら休憩の度に書いているので、今は愛知県岡崎市まで来ています。

昨年、小平市から足立区に引っ越し、そして今年、また小平市に引っ越し、脊髄小脳変成症が発覚し、必要以上にお金が係り、月末はいつも小銭生活。藤木さんには申し訳ないと思いながら税金を滞納し続けていた。
やっと払い終えてホッとしています。市議会議員なんだから、税金の滞納なんて大変な事だろうに、何も言わず、信じて待ってくれていた藤木猛さんに、改めて大感謝です。ありがとう。
後もう少しで静岡県、疲れてはいますが、眠い目をこすりながら後もう少し。

着いちゃった

2014年09月24日 20時25分10秒 | Weblog
山道を走り続けて、丹波篠山から亀山市に抜けて、道の駅で泊まろうと思っていたのだが、気が付いたら京都市内に入っていた。京都市内に道の駅は無いので滋賀県草津市まで行くしかない。車の税金は草津にある合同庁舎で払えるはずだから、朝一番で払って静岡に向かえばゆっくりのんびり行ける。すでに草津市を過ぎた所にあるアグリと言う道の駅に到着した。
今夜はここで一泊だ。
今、夜の8時半、めっちゃ疲れた。

皆木さん、城戸さん三日間お疲れ

2014年09月24日 14時30分17秒 | Weblog
智頭町、竹林コンサートの訴えかけそして準備をしていただいた皆木さんありがとうございました。三日間本当にお疲れ様でした。
お陰で、ライヴをやり続ける勇気を頂きました。動けなくなるまでお付き合い下さい。よろしくお願いします。
城戸さんも三日間サポートありがとうございました。唄い続ける限りこれからもよろしく。

車を運転していると左腕の痛み以外は健康な時と何ら変わらないんですが、休憩の為に道の駅やコンビニに立ち寄って車を降りようとする時から強烈にバランスを崩し倒れそうになるので、必死に足を踏ん張るが脳からの伝達がスムーズに行かないのでしばし車に寄りかかってバランスを確かめてやっと一歩前に踏み出す事ができる。

慌てずにゆっくりと確実に行動すればまだまだ大丈夫。

滋賀県に着くのは明日だな。

しとりの里、竹林コンサート

2014年09月24日 12時58分36秒 | Weblog
岡山県津山市久米南ゴルフ場近くにしとりの里の宿泊施設に三泊した。
昨日は竹林コンサート、春にこさせてもらった時は地元の人が沢山来てくれたが、今の時期はちょうど稲刈りで忙しいとの事、でも、わざわざ兵庫県の播州地域から30年以上の付き合いのある大ちゃんや久後くんが僕の病気を心配してやって来てくれたり、春に岡山市でライヴを企画してくれた臼井さんが岡山市から家族で来てくれたり、先日、智頭町でライヴを企画してくれた藤原さんも来てくれていた。客数は少人数だったが、僕にとって密度の濃いお客さんがそろった、秋晴れの自然の中、時折竹の葉擦れの音が優しい素敵な竹林コンサートでした。

夜はロッジに戻って、同じ時代を生きた同じ歳の黒瀬さんと音楽、人生、命、遅くまで語り合って眠った。
今は静岡に向かってはしっている途中です、滋賀県で藤木さんから頂いた車の税金を、今回の収入でやっと払えそうなので、ひたすら一般国道を進んでいます。本当にみなさんに迷惑の掛け通しの高橋で申し訳ありません。

気力は前向きに充実してきたのですが、身体は半端でない疲れ方をしています。朝ロッジで起きた時、身体中に鉛を流し込まれたように重く気だるくしばしうごけませんでした。食欲も無くこのまま動けないんじゃないかと不安でしたが、なんとか車を運転出来てます。
ギターが上手く弾けなくて、必要以上に力を込めて弦を押さえるので、左手の筋が痛み、ライヴを重ねる度にその痛さは蓄積され強くなっている。
これからライヴを続けていく為には、取れない疲れと、蓄積されてゆく左腕の痛みと闘い続けるという事、
ファイト!忠史。

智頭町旧山郷小学校

2014年09月22日 22時35分36秒 | Weblog
智頭町の三年前に廃校になった山郷小学校は立派な建物で驚いた。
廃校になるだろう事は随分前に分かっていたこ事だろうに建物は大きくピカピカだった。
過去に沢山廃校になった学校を見てきたがこんな立派で美しい建物は、他にも有るのだろうが僕は始めてだ。

この施設の中でのコンサート。アルバム「東京」を出した30年以上前から僕の事を知っていて応援し続けてくれている皆木さんが五年ほど前に智頭町に戻って活動されている木工作家の藤原さんに声を掛けてくれて実現したライヴだ。
その実行委員に驚きの人物がいた。20年ほど前、よく日本青年館に出掛けていた。ウォーキングライヴツアーを始めた頃、全国の青年団に助けてもらっていた。その青年団の全国組織が日本青年団協議会、事務局が日本青年館にあった。その日本青年団協議会の歴代の会長の一人である西沖さんが実行委員としてライヴを作ってくれていた。

長く唄っているとこんな素敵な出会いがあるんですね。病気なんかクソ食らえです。ボロボロになるまで唄い続けます。

藤原さん西沖さんの力で観客席は約70名。力一杯全力で唄いきりました。最後の方は指がもつれ、ろれつも回りづらくなりましたが、終わった後、ガン患っていると言う年輩の男性が「生きる勇気を頂きました。」と言って僕の手を握りしめて帰って行かれました。
僕も又唄う勇気を頂きました。
智頭町、ありがとう。

鳥取の仲間達・田中恵宅

2014年09月21日 09時07分40秒 | Weblog
崖っぷちの男、浜松インターから高速道路に乗り作用インターの料金所に着いたのは夕方5時、ポケットには9千円。
ドキドキワクワク、果たしてお金は足りるのか、足りたらOK、足りなかったらドラマが待っている。
料金所のおじさんの声がする。
「浜松から8千8百2十円です。」
残念、ドラマは生まれなかった。が、ほっ、セーフ。
落ちそうな崖っぷちを歩きながら落ちない男高橋忠史の本領発揮だ。
途中飲みたい珈琲も我慢して何も食べずに来たかいがあった。

料金が足りなかったらと言う心配はしていなかった。昨日のブログを見て、サポートクラブの城戸ひとみさんがありがたい事に、心配してすぐにセブン銀行にお金を振り込んでくれていた。
でも、そのお金を使わずに済んで良かった。今日は鳥取県にはセブンイレブンが無いらしいので引き出せないが23日までにはかえせる。良かった。
崖っぷち、落ちない男が料金無料の鳥取自動車道で遊びにおいでと連絡くれた田中恵さんの住む河原町へ無事着いたのは陽が沈む前だった。

田中恵宅は20年来の鳥取県での僕の常宿。
鳥取にやって来ると用事がなくても泊めてもらいにくる。僕が来ると20年来の仲間達が夜な夜な集まってくれて大宴会になる、もちろん今夜も集まった。
写真は、20年変わらず付き合ってくれている仲間達。11月末には何ヵ所かでライヴを作ってくれる事に決まった。楽しみだ。

ポケットに七千円

2014年09月20日 11時23分03秒 | Weblog
浜松市まで国道を走って燃料を満タンにしたら、ポケットに七千円しか残ってない、夕方に鳥取市に着くには、そろそろ高速道路に乗らなくてはならないが、ETCカードは失効してしまったので、中国道の山崎インターまで行けるかどうか分からない。何時までたっても金の苦労が消えない。病気にさえならなければ、病院にかかるお金が浮いて、今日も一般道を走らなくても余裕で高速道路で行けたのに情けない。

セブンイレブンで銀行の残高を確認したら、イェーィ、二千円あった。
九千円あれば山崎インターまでいけるだろう。

今日も大好きな崖っぷちを落ちそうになりながら落ちないで歩いています。

ライヴ・生きてるーって感じ

2014年09月18日 19時26分50秒 | Weblog
昨夜は、江古田倶楽部の月例ライヴ。
前回、所沢駅で西武新宿線の上り終電が行ってしまって(走れたら間に合っていたが、今の僕は歩く事すら困難で走る事など出来る訳が無い、乗り換えの為に渡るホームの階段の上り下りがさらに困難で慎重にゆっくりと登り降りしないと転んでしまう。)、所沢駅からアパートまで夜中の道を2時間かけて歩いて帰った、その経験をふまえて終電に間に合う時間を心がけて出掛けた。

前回、実質お客さんは、病気が発覚した後、電話をくれて受話器の向こうで泣いてくれた高橋直人さんだけだった。
それでも、東京で常打ち小屋が欲しかった僕はダメ元でマスターにお願いした。マスターはこころよく引き受けてくれた。
これで毎月ライヴが出来ると喜んでいた後の病気の発覚だった。
ジェットコースターのように猛スピードで揺れ動く心、江古田倶楽部のライヴも辞めようと思った。

そしてようやく、死ぬまで唄えなくても、ろれつが今以上回らなくなり言葉が聞きとれなくなるまで唄い続けると決めた。

原点に戻って、一歩から始めるライヴ。
でも、今日もお客さんが高橋直人さんだけだったら、お店に迷惑をかけるだけなので江古田倶楽部のライヴも終わりにしなくちゃいけないと覚悟していどんだ。
お客さんは多くは無かったが一人ではなかった。多数の有名アーティストのバッキングでドラムを叩いていて、この江古田倶楽部でのライヴを何度も企画してくれている松本あきらさんも来てくれて、パーカッションで参加してくれた。手の指の感覚が衰えて崩れがちなリズムをしっかりサボートしてくれてメッチャ楽しいライヴになった。

技術的に演奏力は確実に落ちているが、楽しむ気持ちを全力で出して素敵なライヴを作って行こうと思えました。

生きてる、疲れてくると益々握力が落ちてギターが上手く弾けなくなり、ろれつも回らなくなってしまうが最後まで楽しめた。

来月は16日、この江古田倶楽部でライヴです。
是非おこしください。

そして、昨夜、ライヴに参加していただいた皆様ありがとうございました。みなさんから、勇気をいただきました。

カット、690円

2014年09月17日 11時39分57秒 | Weblog
朝から、練習を終えて、夜の江古田倶楽部のライブの為に髪の毛を整える為に、近くのカットハウスにやって来た。

スーパーマーケットの建物にあるのと破格の低料金で沢山のお客さんで賑わっている。時間待ちでやる事も無いのでブログに投稿する記事を書いている。

ここのところ毎日ギターと唄の練習を欠かさない。
プロとして当たり前でしょうと言われそうですが、実は高橋、練習嫌いでライヴ以外ほとんどギターを持たない唄わない。千日連続ライヴが終わって、コンピューターでミックスダウン作業を始めるまでは、一年の三分の一はライヴをしていたので、その日のライヴが次のライヴの練習だと思ってやってきた。だから練習の必要性が無かった。

だがここ10年、音作りに没頭してライヴがおろそかになって来ていた。去年の夏ごろから体調が悪くなり始め、そして難病におかされたとわかって一旦、人に知られないようにしながらも、徹底的に落ち込んだが前向きに生きる為には、やっぱり高橋は音楽しかない。

感覚が薄れて来ている指先に思いを込めて、練習嫌いが毎日練習に励んでいます。1日でも長く弾き語り出来るように。

往生際悪く不細工であっても最後まで音楽の向上を目指して…
何事もあきらめないで、一生懸命努力して頑張り続けます。