何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

513日目 伊出野バンガロー

2005年08月21日 00時36分06秒 | Weblog
8月20日

 ソフトを移動させて、コンピューターをいじりたくして夕方まで過ごした。DVDが見れるようになった。これはいいぞと思っていたら、Outlook Express のメールアドレスが全部消えてしまっていた。

 完璧に落ち込んだ。600件あまりのアドレスが全て無くなってしまったのだ。連絡をもらうまでこちらからの送信はできなくなってしまった。ここ3年、毎日のライブ活動で通信を送る事もほとんど無くなっていたのだが、ショックだ。
 ショックではあるが、悔やんでも仕方がない。又一からやり直しという事か。

 6時に、大石さんの家に向かった。門桁のジャガイモを煮て待っていてくれた。今夜、ボーイスカウトが泊まっているので、リーダーの人たちに聞いてもらおうという事だった。子供達が寝るのを待って、ジャガイモの煮つけをいただきながらチビチビとお酒をいただいて、時間を待った。門桁のジャガイモは小ぶりだが、しまっていて歯ごたえがよく、香ばしい味がするおいしい芋なのだ。

 シャワーを浴びさせてもらってしばらくして、9時近く、風呂から上がってきた女性リーダー達がやってきた。大石さんの家の二階の広間でライブを始めた。しばらくして男性リーダーもやってきてくれて、1時間ほどのほろ酔いライブ。以前、学校に住んでいたときに、泊まりに来た人がいてまったく知らない人たちではなかったので、気分もリラックス。いい感じの1時間だった。

 リーダー達が帰って、しばらく大石さんと飲んでから、勝坂砦に帰った。そして又朝までコンピューターと格闘し続けた。

512日目 晴れるや荘日付変更線ライブ

2005年08月19日 02時30分37秒 | Weblog
8月19日

 0時を過ぎ2曲ほど歌って、日付変更線ライブは終了。
 泊まって行けばと言ってくれたのだが、コンピューターの事が気がかりで、その後、素敵な心の余韻を感じながら「晴れるや荘」を出た。

 勝坂には1時前に到着。

 コンピューターと格闘したが、どうもうまくいかない。最終手段のリカバリーをやるしかないとの結論に達した。そして眠った。

 朝10時前に目覚めた。寝不足だ、が、コンピューターが気になる。ハードディスクの情報をすべて消し去り、もう一度、買った時と同じ状態に戻す。
 データーを保存してから、その作業に入った。
 夕方近くになって、完了。DVDもしっかり見れる状態に戻った。後は、保存したデーターを戻す事と、多種類のソフトをインストールしなおさなくてはならない。

 そんな事をしていたら、伊出野バンガローの大石さんから電話があった。明日、夕方来たらいい、という電話だった。実は明日のスケジュールも空いていたのだ。これで一安心。

 夜遅くまで、コンピューターと格闘し続けたのだ。

511日目 晴れるや荘ライブ

2005年08月19日 02時29分10秒 | Weblog
8月18日

 商工会の仙田君から坂下さんと話が進んで、「晴れるや荘」という民宿の渥美さんから今日のスケジュールを埋めてくれるという電話があったのは2日前だ。僕のホームページは欠かさず見てくれているとの事だった。場所は、春野町、前の役場の近く、図書館があるもう少し先の川に下りたところだという。同じ春野町に住む新しい助っ人が現れた。
 息子さんの行っている東京の大学の同窓生たちが集まっているので聞かせたいということだった。今回は急な話なので人集めはできないが、この後、しっかりした形でのライブも考えてくれているということだった。

 6時に「晴れるや荘」に到着。気田川のすぐそばにある民宿。勝坂あたりは川幅は狭いが、この犬居あたりになると、ぐーんと川幅が広くなる。絶景の場所に「晴れるや荘」はあった。紹介者の坂下さんがきていた。まずは食事をしてくださいと、炭がおこされ、バーベキューをいただいた。ここの所また葉が痛み出していて、肉を食べるのが大変だ。だが、がんばって前歯でくちゅくちゅと噛みしだき、充分に栄養補給させてもらった。
 坂下さんは、ねっとわーくはるの、の会合のために出かけていった。学生達が川原から戻り、彼らが食べ終わったころからライブの開始。しばらくして雨が降ってきた。ベランダで食べていた学生達はそのまま聞いていたのだが、上に張られたビニールシートにあたる雨の音が大きい。そのうち部屋に入ってくるかと思ったが、そのままでいるので、ライブを中断して彼らを呼び込んで、窓を全部閉めて、雨音を消してライブを再開。
 おやじだなー。学生達を見ているとつい語りたいことがいっぱいあって、なるべく話さないようにと気をつけながらも語りの多いライブになってしまった。1時間半近くのライブはあっという間におわって、その後は、渥美さんと語りながら飲んだ。

 そのついでに、12時過ぎまで起きていてくれたら、日付変更線ライブをやりたいのだがと問いかけたら、OKが出た。これで、際どく明日のスケジュールが埋まった。

 ライブ中に話した、山のことを含めた自然環境の大切さに、渥美さんは大いに喜んでくれた。渥美さん自身も僕とおんなじ考えを持っていて、渥美さんの娘さんは、絵を描いて、それでお金をもうけたら山を買いたいという思いがあるらしい。これまた、僕と同じ考えだ。

 
 渥美さんは3年ほど前に、浜松から引っ越してきて、今年から民宿を始めたらしい。来てくれる人たちに、春野町の素晴らしさとともに自然環境の大切さを知ってもらいたい、そんな思いも含めて民宿を始めたようだ。同じ町に、同じ考えを共有できる人がまた増えた。

 そんな話を繰り返しながら、11時過ぎ。今日二回目というよりも、12時過ぎまで唄って、日付変更線ライブにする為のライブが始まった。遅くに帰ってきた息子さんも参加して、人数は増えた。

510日目 星野宅ガーデンパーティー

2005年08月18日 07時32分32秒 | Weblog
8月17日

 昨日の雨の灯篭流しの余韻を残しながら、朝10時過ぎに目覚めた。今日はいい天気だ、湿っていた布団などを干して、調子の悪いコンピューターと格闘。

 先日、新城の白井さんが決めてくれたスケジュールは、今日。星野さんのお宅でのガーデンパーティーに、出張コックとして出かけるのだが、そこで唄ったらといってくれたのだ。4時に新城市の東新座へ。少しして、耳塚さんもやってきた。5時からだと思っていたパーティーは6時半からだということで、しばしきゅうけいして、10分ほど離れた星野家へ。

 白井さんの料理は、南ヨーロッパ料理という感じで、トマトがベースになっていて、それはおいしい料理だ。僕の出番はアバウトタイム。それぞれに女性たちが集まってきて飲み食い会話に花が咲く。総勢10名ぐらいになったところで、白井さんの料理の端に僕のライブが始まった。広葉樹にあふれた広い庭の中でのライブ、夜空には満月に近いお月様が浮かんでいた。50分ほどの演奏、アンコールもありのライブは楽しく終わった。

 後は、食事がメインのパーティー12時近くにまで及んだ。後片付けをして、東新座に戻り、今夜は耳塚さんと一緒に、ここに泊めてもらった。

509日目 勝坂・灯籠流し

2005年08月18日 07時28分02秒 | Weblog
8月16日

 今夜は、勝坂の灯篭流しの日だ。朝から、激しく雨が降っていた。川の水かさはそれほどでもないが、果たしてできるのだろうかと不安だったが、午後3時ごろから雨はやみ、うっすらお日様も見えたりしていた。

 灯篭流しは7時から、6時に小学校に集まるということだったので、濡れてもいい服装に変えて小学校に出かけた。みーちゃんが、鐘をたたきながらみんなが集まってくるのを待っていた。川原には初盆のあった親族が喪服を着て集まっていた。
 灯篭のそば、橋の入り口、出口、各家の前、道のところどころで松明がたかれている。暗くなってくるとこれが幻想的な世界をかもし出すのだ。

 7時15分ほど前、集まった僕を含めた若衆(果たして若衆と呼べる年齢なのか、でもここ勝坂では若衆なのだ)みんなで川原に降りる。初盆の衆から缶ビールをいただいて飲み干す。しばらくして、急に雨が降り出してきた。かなりの雨脚だ。7時前だったが急遽灯篭を流すことになった。畳一畳ほどの灯篭を川に引っ張り出す、縄のロープは3本、右前と左前の舵取り用、そして、後ろに一本はブレーキ用、見張りの人も含めて6人がかりで川の中に引き込み、灯油をかけて火をつける。あたりは暗くなってきた。僕は右の舵取り。川底の石はごろごろと大きく、コケがはえているのでつるつるすべる。足元を気にしながら、道沿いを歩くちょうちんを先頭にした喪服の衆に合わせて灯篭を流してゆく。雨が激しく、頭から落ちてくる雨水が目に入って痛い。それをTシャツのすそで拭きながら足元を気にしてゆっくり進む。やがて川幅が狭くなってきた。流れの勢いが増してくる。足をとられ始める、懸命にがんばったが、大きな石の上に足がのったとたん、コケのぬめりに滑ってしまった。そのまま、川の中に横倒しに倒れた。灯篭は流れてゆく、それにあわせながらこけながらも舵を取る。二度三度と川の中に倒れこむ、やっと立ち上がったとき、めがねが無くなったことに気がついたが、後の祭り。暗闇の中では探しようもない。そのまま、舵を取りながら、所定の位置まで灯篭を流し、川原に引き上げた。

 みんなで、川の水をかけ消火して灯篭流しは終わった。雨と川に倒れこんだことで全身がずぶぬれになっていた。

 小学校に戻り、雨の中、車から着替えを出して。外で素っ裸になって着替えをすませた。この後は、若連のお疲れ様焼肉会。小学校の屋根のある炊事場のところで火を起こして始まった。勝坂の衆が8人ほど集まっていたので、ここでまだ聞いてもらっていない「勝坂賛歌」を披露した。皆さん大喜びで拍手喝さいしてくれた。よかった。ここ勝坂に住み続けて、自分をこんなに誇らしげに思ったことはない。

508日目 東新座

2005年08月18日 07時21分52秒 | Weblog
8月15日

コンピューターの調子が良くない。又CDの書き込みが出来なくなってしまった。何度もチャレンジしているうちに、2時になってしまった。

今日のライブは、愛知県新城市の東新座。2時半に勝坂を出発。夏の強い日差しを浴びて5時前に到着。お客さんは3人だった。東新座は、今回2度目、前回は映画上映の後のライブだった。今回もと思っていたら、すでに3時から、ビデオ上映をすませていたようで、僕のライブを待つのみだったようだ。
後2人ほどやって来ると言う事だったので、少し待ったが、無駄に時間が過ぎてゆくので、15分頃からライブを開始した。終戦記念日だから、詩の朗読をしたいと、佐溝さんという看板収集家が、僕のライブの途中でやる事になっていた。45分唄って、彼に座をゆずったが、詩の朗読だけでなく、アカペラで唄いだした。途中で3人のお客は立ち上がり帰っていってしまった。
失敗した。
3人いた一人の人は、用事があるので6時半には出なくてはならないとあらかじめ聞いていたのだが、そんなことも言っていなかった残り2人も、その15分前に席を立ってしまった。佐溝さんはその後も僕一人の前で唄った。聞いているのが辛かった。中途半端な状態でライブは何となく終わって、僕は不完全燃焼。
おひねりをもらうタイミングも奪われてしまった。東新座の白井さんが、ひねってくれるという事でライブは成立したが、うーん。

予定していた2人が来たら、セカンドステージライブを始める事になって、それまで、語った。2階で眠っていた、陶芸家の鈴木としくんも加わって、なにこれと雑談していたが、2人は来なかった。
8時になったので、僕は帰ることにした。
今日のリベンジをと、白井さんが、スケジュールの空いている明後日のガーデンパーティーで唄わせてくれる事を約束してくれたので、ホッ!。


507日目 ACT BOX

2005年08月15日 12時56分58秒 | Weblog
8月14日

 さーて切羽詰ってきた。スケジュールを埋める事がかなり困難になってきた。肺炎を起こして以来、どうも、スケジュールを埋める作業に力が入らない、今まで何とかなってきたからと、のんびり構えて来たのだが、危ない。
 今まで、何度も何度も頼みまくっているところが多く、その人達に申し訳なくなってきて電話できずにいる。今日のライブで、次に繋がる人が、とも思っていたのだが、残念ながら現れなかった。

 とにもかくにも、切羽詰りながらも、今日も昨日に引き続き、佐野公任子ちゃんがACTBOXでライブを企画してくれている。こうやって、僕のスケジュールを埋めてくれる人が居るのだから、どんないいかげんな手段を使ってもライブを続けなくてはならないのだ。

 夕方、浜松(この勝坂も浜松市になったのだが、実感が湧かない。)に向かって走り出した。天竜(天竜市も浜松市になったのだがやはり実感が無い)の辺りから急に渋滞し始めた。ハッピ姿の青年が交通整理をしている。お祭りだ。しばらく待っていると3台の屋台が引き手の子供達を先頭にして通り過ぎていった。急に雨も降り出していたので全員ずぶぬれだった。これも祭りの醍醐味だろう。渋滞を過ぎて、又渋滞につかまるのはイヤだから、裏道を通って無事すり抜けた。

 6時半にACTBOXに到着。新たにボックスを借りようとする人が来ていた。残念ながらライブには参加してくれなかった。いろんな人が訪れるACTBOX、公任子ちゃんの魅力にひきつけられる人が多いのだろう。
 ライブは昨日と同じ7時半から始まった。お客さんは、10人強。ゆかた祭りから帰ってきた若い女性達もいて、華やかだった。公任子ちゃんのお母さんも来てくれていた。昨日とはまったく違うお客さん達だから、同じようなメニューでやればよかったのだが、「時は流れ人は生きている」を唄いたいと思ったので、僕のルーツをさかのぼるように、東京の世界から始め幼い日に戻っていった。

 ライブ終了後、後から来てくれていた中野さんと須部さん。限定100部で、2006年・高橋忠史カレンダーを作ろうと中野さんが考えている。その打ち合わせを軽くして、帰ろうとしたのだが。17日から21日まであいているスケジュールを何とかしたいと思った公任子ちゃんが、ライブ終了後どこかに行っていて、たまたま通り掛かった格闘技のジムをしている小楠さんに話し掛けた。小楠さんは、どうしていいか分からなくもじもじしている。公任子ちゃんのやわらかい押しは強く小楠さんは引きずり込まれそうになっていた。そのまま、公任子ちゃんに任せておけば決まったのだろうが、小楠さんは戸惑っていた、戸惑いながらライブを無理やりやってもらってもと、せっかく公任子ちゃんが僕の為に頑張ってくれているのに、僕は小楠さんのほうに助け舟を出してしまった。「いやーいやー、無理せずに、もしジムに来る人達に話して、面白そうだと言ってくれたらいつでも電話ください」と言って、名刺を出してしまった。

 せっかく、頑張ってくれた公任子ちゃんに申し訳なかったが、これもまた出会い。あさってからのスケジュールは首の皮一枚の状況になってきた。今まで何度もそんな事はあったが不安ではなかった。でも、今回は胸が痛い。

506日目 ACT BOX

2005年08月14日 14時17分08秒 | Weblog
8月13日

 ゆっくり寝て居たかったが、今日も暑さで目を覚ます。CDの焼付けなどしながら1時過ぎまで暑さの中、扇風機の風で涼をとり頑張る。夜は涼しくなるのだが、昼間は暑い。二階の部屋に居るので、太陽に暖められた屋根からの熱気が部屋に伝わってくる、一階に引っ越せばそれほどでもないのだろうが、ここ3年近く片付けと言う事をしたことが無く、一階はもちろん二階も荷物が積みあがって足の踏み場は少ししかない。仕方なく、暑さに耐えながら二階で過ごしている。

 今日と明日のライブは、なんでモールライブの時にやってきてくれた。ACT・BOX(アクトボックス)の佐野公任子さんが引き受けてくれた。アクト通りでゆかた祭りが開催されているので、お客さんもそれなりにやってきてくれるだろうからと引き受けてくれたのだ。困った時はいつでもいいですとも言ってくれた。彼女は、去年もアクト通りで開催された「まちはびっくり箱だぁ!!」(今年は10月8・9日)の実行委員長も引き受けている。元気印満点の若い女性なのだ。

 4時にACT・BOXに出かけ、様子を見てライブを始めようと言う事になっている。アクト通りの奥、ヤマダ電気の近くにあるACT・BOXに4時過ぎに到着。佐野さんと荒川さんという女性が店で待っていてくれた。店内は、ギャラリースペースと、レンタルボックススペースの二つに分かれている、どちらのスペースもアート感覚に満ち溢れた、オシャレでそして暖かい空間だ。店の説明を受けていると、彫刻&画家の耳塚さんがやってきた。何処で聞いてきたか、いつも突然現れる不思議な人だ。佐野さんたちが作ってくれていた、手作りの今日のライブチラシに手を加えて。ゆかた祭り会場へ、じゃあ配ってくると言って出かけていった。

 その後僕も、ゆかた祭りを見に出かけたが、会場は細々としたもので、全部見るのに時間は掛からなかった。昨日、「輩」のてっちゃんにギターの弦を買ってきて欲しいと頼まれていたので、有楽街の楽器屋さんまで歩いた。直射日光を受け歩くアスファルトの道は暑い、勝坂の暑さとは比べ物にならないぐらい暑かった。楽器屋さんは改装中で休み。えー。この暑さの中を歩いてきたのにと、ちょっと恨んだ。仕方が無い、駅近くにあるYAMAHA楽器まで、汗をかきかき歩いた。都会の夏の暑さを経験する事も辛いがいい事だと言い聞かせて。

 頼まれたものと、僕の弦を買ってACT・BOXに戻った。荒川さんがひとりで店番をしていた。僕はギターを調弦して、声鳴らしにビートルズを唄った。

 7時半、お客さんが10人弱集まってきてくれた。なんとなく「レラ」を唄い始め、その間に椅子が準備されて、ライブが始まった。アートの作品にギターと声がぶつかり、視覚的にも聴覚的にも素敵な素敵な音楽空間になっていた。9時にライブが終わるまで、僕は作品たちとお客さん達に上手くのせられ最高の気分で唄い続けることが出来た。

 明日14日も、同じ空間でのライブだ。又何度もやって来たいと思う場所だ。

505日目 輩

2005年08月13日 00時53分59秒 | Weblog
8月12日

誰だー寝てるのはー。てかー。

 曇り空の今日は、比較的涼しくて、目がさめたのは12時半だった。ん~ん、久しぶりによく寝たぞー。

 今夜のライブは、気田の輩(ともがら)、坂下さんに頼んで無理やりライブをお願いした。みんなそれぞれに仕事があったり、用事があったりで、参加人数は少ないのだが9時過ぎにしか集まれないらしい。CDなど焼いたりしながら夜になって、8時半に勝坂砦を出発。
 お盆近くなって、勝坂にある二つのキャンプ場は泊り客が増えている。車の運転を慎重に(普段は、走る車もいないので、車一台しか通れない道をぶっ飛ばすのだ)、人をはねないように、対向車が来るといけないのでゆっくりと走らせた。
 走りながら、ふと思ったのだが、やっぱり僕は凄いところに住んでいるんだと。町の人たちが、普段の生活から開放される為に、癒しを求めてやってくる非日常の場所に、僕も勝坂の人たちも、日常的に住んでいる。ひょっとして、凄い贅沢な暮らしをしているのかもしれないと。

 輩には、9時に到着。坂下さんと、野球中継を見ているオーナーのてっちゃんがいた。みんな(と言っても後から来るのは二人)遅くなるらしいと言う事だ。何気なく野球を見ながら過ごしていると、坂下さんの長男のたかちゃんと3男坊のひろちゃんがやって来た。たかちゃんは中学1年生、今日が誕生日なんだと言う。早くに唄いたかったが、仙田君は来てくれたが後一人が来ない。やっと10時過ぎに栗崎君の登場。ライブはまだ聞いていない人達もいたので新曲を中心に、ひろちゃんが眠たがってきたので、最後にたかちゃんに誕生日祝いで唄おうと思っていた「青春」をたかちゃんのために唄った。
 勝坂小学校のコンサートを始めた頃、たかちゃんはまだ小学校の低学年で、回りを気にせず、この青春を唄った時に、身体全体でリズムを取り、飛び跳ねてノリを表現していてくれた。その頃の面影は今はない、しっかり背も伸びて今では僕が見上げるほどの身長だ。その当時の事を話すと、落ち着いた表情ではにかみながらにやっと笑って答えてくれた。

 青春を唄った後、たかちゃんはまだ幼いひろちゃんを連れて家に帰っていった。13歳の誕生日、僕は一学年が500人近くもいる、大阪府貝塚市のマンモス中学校に通っていた。誕生日に何があったかは覚えていない。ただ、親父が買ってくれたポータブルステレオ蓄音機で、毎日のようにビートルズを聞いていたような気がする。

 二人が帰った後、大人の雑談になって、唄う機会がなかなか掴めないまま30分ほどして最後の曲を唄って終わった。最後の曲は、大人の雑談のつながりで、久しぶりに「夕方…ユーガッタ」を唄った。家族孝行に自信のない男達、歌い終わった後、誰も語ろうとしない。沈黙が続いた。それぞれに思うところがあるのだ。

 沈黙の後、会話が始まったら、終わる事知れずで12時過ぎ。仙田君は椅子の上で機用に眠っている。坂下さんも眠そう。てッちゃんはやる気なさそう。でも栗崎君は語る語る。12時半頃店を出たのだが、その後次に行ってみよーと、眠い二人を引き連れて栗崎君は次の店に出かけた。そして僕は、勝坂砦に…、キャンプに来ているお客さんに迷惑をかけないように、エンジン音を落としてスローリー・スローリーと。

504日目 浜松ブログ村(ぷらっとほーむ)

2005年08月12日 15時07分56秒 | Weblog
8月11日

 2台有るノートパソコンの両方ともおかしくなってしまった。どちらとも、DVDが対応しなくなってしまったのだ。いつも使っているバイオは、CD-Rの読み込み部分に埃が溜まっていたのを発見、それを取り除いたら、こちらのDVD機能は僕のアップデート処理のまずさで駄目になっているのだが、CD-Rに関しては復旧して一安心。
 音楽用に使っている、ソーテックのノートは完璧に反応しなくなっていた。DVDもCD-Rも読み込めないので、ドライバーを削除してインストールしようにも、CD-Rを読み込めないのでどうしようかと考えた。USB端子で使える、スティック型保存デスクがあったことを思い出した。それを探し出し、バイオでドライバーの入っているCD-Rを起動させ、スティック型保存ディスクにコピーして、それをソーテックのノートに差し込んで、イレギュラーを起こしているであろうドライバーを削除して、コピーしたドライバーを読み込ませた。結果はパソコンのみぞ知る。再起動させた、…オーッ!…復活だー!。と、喜んでいたら電話が掛かった。

 静岡第一テレビからだった。初めての人で何の話しかと思ったら、24時間テレビの時に、放送したいのだが、時間は何時ごろがいいかと言う問い合わせだった。28日の2時ごろならと話したら、その時間に駆けつけますと言う事だった。まさかテレビで放送されるとは思っていなかったのでちょっと嬉しい。
 でも、勝坂から生中継できるのかなー?。ラジオの生中継ですら気田まで出てきてくださいと言われたぐらいだから。…まー、その辺はその時の状況で何とかなるでしょう、でも、とにかく、24時間ライブの状況がテレビ放映されるということは嬉しい事だ。

 そんなことをしている間にも、すっかり売り切れてしまったベストアルバムを焼き付け、そして、ジャケットの印刷作業。買い物もしたいし、まともな食事もしたいから、今日は早めに出かけようと思っていたのだが駄目だった。
 肺炎を起こした事を知った病院で、栄養失調ではないがそれに近い数値が出ているとお医者さんに言われて以来、しっかり食べなきゃと思ってはいるのだが、食べる事に欲の無い僕だ。肺炎以前の食生活と今も、ほとんど変わらない状態が続いている。
 一日に二食、たまにと言うより一食しか食べない日も結構ある。その一食を摂る事すら億劫になる事も多いのだ。生命維持のため、欲に任せるのではなく、義務感として食べようとする思いを持ちつづけなくてはならないのだ。
 だから、途中でコンビニによって弁当を買った。「ぷらっとっほーむ」に6時過ぎに到着。中野さんと(中野さんは今日で3日連続ライブ参加だ)、須部さん、そして和田さんが、今夜の浜松ブログ村の集まりの為の準備をしていた。ブログ村は、7時から、そこで早速弁当を食べた。食後、和田さんとラグビーの応援歌「ランナー」を全国に広げていきたいという話をした。9月の磐田での試合では(唄いつづけて999日目の日だ)、サポーターの皆さんとピッチの中からスタンドのお客さんに向かって唄うという話がヤマハ広報部の人と煮詰まってきていると言う。和田さんのおかげで、だんだん面白くなってきている。当日が楽しみだ。

 7時からのブログ村参加者は、僕を含めてこの4人だけ。それでも村長の中野さんの開村の挨拶をして、和田さんの講義、というか、四方山話。和気あいあいで時間を過ごして、僕のブログから、ホームページにはいる事が出来ないのが難点と和田さんの指摘があった。僕も、そうしたかったのだが、やり方が解らなかった。コンピューターを使ってその方法を指南されて、あゃ、なんだこんなに簡単だったのかと、和田さんに教えられるままわずか1分足らずで完成。そんなことをしていると30分ほどしてやっと一名参加。そして、残り30分でブログ初心者が3人。和田さん、大急ぎで30分間でブログの作り方を指南。見事に初心者もブログページが出来上がった。
 そして、9時が過ぎ、村長の紹介で僕のミニミニライブの始まり。時間も遅かったので6曲・30分のライブだ。最後はランナーで締めて、村は閉村。

 中野さん須部さん和田さんと4人でファミレスに、さっき食べたばかりの僕だったが、おかゆを注文して、おー、…今日はこれで三食目だ。僕にとって、画期的な一日であった。