何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

507日目 ACT BOX

2005年08月15日 12時56分58秒 | Weblog
8月14日

 さーて切羽詰ってきた。スケジュールを埋める事がかなり困難になってきた。肺炎を起こして以来、どうも、スケジュールを埋める作業に力が入らない、今まで何とかなってきたからと、のんびり構えて来たのだが、危ない。
 今まで、何度も何度も頼みまくっているところが多く、その人達に申し訳なくなってきて電話できずにいる。今日のライブで、次に繋がる人が、とも思っていたのだが、残念ながら現れなかった。

 とにもかくにも、切羽詰りながらも、今日も昨日に引き続き、佐野公任子ちゃんがACTBOXでライブを企画してくれている。こうやって、僕のスケジュールを埋めてくれる人が居るのだから、どんないいかげんな手段を使ってもライブを続けなくてはならないのだ。

 夕方、浜松(この勝坂も浜松市になったのだが、実感が湧かない。)に向かって走り出した。天竜(天竜市も浜松市になったのだがやはり実感が無い)の辺りから急に渋滞し始めた。ハッピ姿の青年が交通整理をしている。お祭りだ。しばらく待っていると3台の屋台が引き手の子供達を先頭にして通り過ぎていった。急に雨も降り出していたので全員ずぶぬれだった。これも祭りの醍醐味だろう。渋滞を過ぎて、又渋滞につかまるのはイヤだから、裏道を通って無事すり抜けた。

 6時半にACTBOXに到着。新たにボックスを借りようとする人が来ていた。残念ながらライブには参加してくれなかった。いろんな人が訪れるACTBOX、公任子ちゃんの魅力にひきつけられる人が多いのだろう。
 ライブは昨日と同じ7時半から始まった。お客さんは、10人強。ゆかた祭りから帰ってきた若い女性達もいて、華やかだった。公任子ちゃんのお母さんも来てくれていた。昨日とはまったく違うお客さん達だから、同じようなメニューでやればよかったのだが、「時は流れ人は生きている」を唄いたいと思ったので、僕のルーツをさかのぼるように、東京の世界から始め幼い日に戻っていった。

 ライブ終了後、後から来てくれていた中野さんと須部さん。限定100部で、2006年・高橋忠史カレンダーを作ろうと中野さんが考えている。その打ち合わせを軽くして、帰ろうとしたのだが。17日から21日まであいているスケジュールを何とかしたいと思った公任子ちゃんが、ライブ終了後どこかに行っていて、たまたま通り掛かった格闘技のジムをしている小楠さんに話し掛けた。小楠さんは、どうしていいか分からなくもじもじしている。公任子ちゃんのやわらかい押しは強く小楠さんは引きずり込まれそうになっていた。そのまま、公任子ちゃんに任せておけば決まったのだろうが、小楠さんは戸惑っていた、戸惑いながらライブを無理やりやってもらってもと、せっかく公任子ちゃんが僕の為に頑張ってくれているのに、僕は小楠さんのほうに助け舟を出してしまった。「いやーいやー、無理せずに、もしジムに来る人達に話して、面白そうだと言ってくれたらいつでも電話ください」と言って、名刺を出してしまった。

 せっかく、頑張ってくれた公任子ちゃんに申し訳なかったが、これもまた出会い。あさってからのスケジュールは首の皮一枚の状況になってきた。今まで何度もそんな事はあったが不安ではなかった。でも、今回は胸が痛い。