何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

500日目 日付変更勝坂ライブ

2005年08月07日 13時22分48秒 | Weblog
8月 7日

 午前零時、500日目のライブだ。ついに、1000日の真中までやって来た。今日までのいろんな思いがこみ上げてきた。楽しい事よりも、悲しい事ばかりが蘇えって来る。

 深夜の山里に染み入るように唄った。午前一時ライブ終了。

 その後、3時過ぎまで飲んで語った。機材をそのままにして僕は砦に帰った。

 今日は、もう一つのライブがある。毎年恒例の気田のたなばた祭り。2時から打ち合わせと言う事だったので、今日も午後1時に起きだした。暑い、今日は湿度よりも気温が高かった。頭がボーっとしていて、昨夜汗まみれになったTシャツを着たまま出かけてしまった。車の中で、黒のTシャツに、乾いた汗が塩になって白く浮かび上がっていた。引き返すのも面倒で、そのまま、たなばた祭りの会場へ。2時を過ぎてしまった。

 音響の大石さんが気田商店街に音響機材を積み上げて待っていてくれた。早速、リハーサルを済ませた。気田も半端じゃなく暑かった。まだ僕の身体は北海道仕様、この暑さにはまいってしまう。控え室は涼しく、そこで身体を冷やした。僕の出番はトップ。3時半から30分だ。進行は毎年やってきている高田橋さん、司会はみさきさん。毎年出逢っているので簡単な打ち合わせを済ませ、出番だ。お客さんの集まりは少なかった。それでも、毎年増えているこの春野町をテーマにした唄ばかりで30分。流れるお客さんが立ち止まる事はほとんど無かった。

 唄いおえて、ねっとわーくはるの、の出店している子供向けのゲームコーナーへ。栗崎君や藤江君坂下さん達が、水ふうせん釣り、コルク鉄砲の射的で子供達を誘っていた。僕も、コルク鉄砲射撃場のコルク拾いを手伝って、5時過ぎに勝坂に戻り、機材を片付けて砦にこもった。

 これまでの旅疲れと、本州の暑さに、ぐったり。

499日目 勝坂ライブ

2005年08月07日 13時18分03秒 | Weblog
8月 6日

 勝坂も暑い。それだけではなく湿度が異常に高い。肌がベタベタして気持ち悪い。そんな中、それでも根性で眠りつづけた。起きだしたのは午後1時過ぎ。昨夜は5時ごろまで起きていたので、もっと眠っていたかったのだが、この暑さでは仕方が無い。コンピューターの具合が悪くなって、DVDが見られなくなってしまった。危険なアップデートを行ってしまったからだ。それ以外の機能は問題ない、ただDVDが見られないだけだ。
 自業自得だから仕方が無いと思いながらも、夕方まで何とかできないかとあれこれとイジッタが、結局駄目だ。旅の途中で、ひまな時間をDVDを見て過ごすという事が出来なくなってしまった。でもそれでよかったかも、DVDで映画鑑賞よりも本を読めばいいのだ。

 夕方、6時に小学校に上がった。河津の鈴木君の車が止まっていた。学校の玄関を空け機材を運び込む、鈴木君も手伝ってくれた。それだけで、汗が噴出していた。気温はけっして高くないのだが、湿度が半端じゃなく高かった。汗まみれになって機材をセットしているところへ坂下さんが撮影用の機材を運び込む為にやってきてくれた。

 今夜は、袋井や天竜で花火大会があるらしい。神谷さんと芝さんがなかなかやってこない。7時前になってやっとやって来た。そして、町内の杉からも女性が二人と男性が一人やってきてくれた。ライブ開始は8時からなのだが、坂下さんがチラシを作っていてくれて、7時からと掲示していてくれたからだ。申し訳なかったが8時まで待ってもらってライブ開始。大石さんがキャンプにきたお客さんを誘ってきてくれたり、すみれおばさんの尾上さんがやってきてくれたりで、何とか、様になった。

 今夜の日付変更線ライブも有るので、1時間20分の短めのライブで終えた。演奏中も湿度の高さにうんざり。噴出す汗でタオルがぐっしょり濡れてしまうぐらいだった。

 その後は、いつものメンバーだけが残り宴会。12時を待った。そんな中、仕事を終えてから静岡市から第一テレビの池田さんが駆けつけてくれた、そしてネットワークはるの、の酒井さん、新しく浜松市議になった酒川さん夫婦、いったん帰った大石さん。500日前夜祭は少人数だったが楽しく時が過ぎていった。酒川夫婦が帰るというので、「勝坂賛歌」を一曲だけ披露した。

 そして、12時前、日付変更線ライブを開始。

498日目 富士市・エム・ジー会

2005年08月07日 13時14分12秒 | Weblog
8月 5日

 今日も暑くて暑くて汗をかきながら目覚めた。それでも根性で10時半まで寝ていた。みんな仕事に出かけていて、当然のように誰もいない、二匹の猫までが外に出て(家の中じゃ暑すぎるんだろう)しまっていて一人ぽっちの出発だ。

 家賃を払いに出かけて、そして燃料を入れて出発したのは1時半。50kmしかない厚木のインターに乗ったのは4時だった。2時間半も掛かる。いつもの事ながら、首都圏は距離で時間は測れない。慣れてはいるのだが、いらいらは無いが、面倒だ。

 高速道路に乗ってしまえば富士市までは近い。今日のライブ会場は、ライブ・ジャズ・ハウス・ケルン。ホームページで見たら、そこそこの人たちもやってきているお店だ。音響の心配は無い。我が家で2日間過ごしたせいか体調も良くなって、それに声の調子も良くなってきているので、いいライブが出来そうな予感だ。主催者はエム・ジー会。運送会社にまつわる人たちの集まりだ。いつもは講演会をしているそうだが、今の会長になっている鈴木さん(人生の先輩)が2年前に熱海で聞いたライブが良かったので、エム・ジー会始まって以来、初のライブを講演会の変わりにやってくれる事になった。集まってくるのは、会社の社長さんクラスの人達ばかりだそうだ。と言うと同年代が多い。楽しみだ。

 約束の5時半きっかりに「ケルン」に着いた。店内に入るとジャズ系のライブハウスといった感じで、ドラムとグランドピアノがセットされていた。鈴木さんはじめ、エム・ジー会のスタッフの人たちが待っていてくれた。
 店内の雰囲気は最高。リハーサルを一曲。マスターがミキシングしてくれている。音もバッチリ。後はお客さんがやってくるのを待つのみだ。今日の流れを打ち合わせしていると、6時前からお客さん達がというよりエム・ジー会の人たちが集まってきた。さすが、会社の重要メンバー達、時間には集まる。6時半開始。約30人全員がそろっていた。鈴木さん、石川さんの挨拶の後、すぐにライブは始まった。

 鈴木さんは、皆さんに、しっかり聞いてもらいたいという思いで乾杯は途中でやるという。最初から飲んだり食ったりでは話す人たちが多くなるからと言う事だ。ありがたい配慮だ。と言う事で、ライブは珍しく、2部構成だ。鈴木さんのもくろみ通り、しっかり聞いてくれた。一部が終わって乾杯の後休憩。そして2部に移ったが、1部でしっかり聞いてくれていたので、御酒や食い物があってもほとんどの人が聞き入ってくれていた。年齢的にも近い人が多かったのも幸いしたのかな。

 ライブ終了後、お開きとなり、鈴木さんは食べていない僕の為に近くのラーメン屋さんに出かけ、ご馳走してくれた。そこで別れて、僕は1号線バイパスで春野町へ向かった。夜は高速を使うより早い。午前1時には勝坂に到着した。

497日目 東京・登美や

2005年08月07日 13時10分27秒 | Weblog
8月 4日

 運転疲れの後遺症で興奮して眠れなく、ついつい昨夜は明け方まで一人で飲んでいた。

 そして、10時に目覚めた。5時間しか寝ていない。でも、半端じゃない暑さの中でそれ以上眠る事は出来なかった。疲れているはずなのだが、起きてしまったらもう眠れない。クーラーが嫌いな僕は、熱風しか入ってこない窓を開けて、夕方まで過ごした。

 
 今夜のライブは、たまたま4日ほど前に電話をくれた高橋君とその友達の佐藤寛君。場所は、世田谷区の千歳船橋駅近くの「登美や」という居酒屋。7時半から始めるということだったので、7時ごろに着くように出かける事にした。

 たかの台駅まで歩くだけで汗が噴出してくる。昨日まで20度前後の気温の北海道にいて、突然の30度の世界、身体が追いついていない。汗ばむ身体に、電車の冷房は心地よかった。国分寺で中央線に乗り換え、吉祥寺駅で京王線に乗り、下北沢で小田急線に乗り換え、千歳船橋駅に6時半過ぎに到着。高橋君に電話したら迎えに来てくれた。歩いて1分。「登美や」に着いた。一階は居酒屋、二階はちょっとオシャレな居酒屋、ライブ会場の三階は、オープンスペースの小さなライブハウス。音響も完備されていたのだが、生でやる事にした。

 時間になって、佐藤君とその同僚(部下かな?)がやってきてくれた。6人。みんな僕の歌を聞くのは初めてだ。若い人たちもいる。いつものように、全力で唄った。声の調子が戻っていた。やっぱり風邪をひいていたのだ、この強行スケジュールの中でも、それが治って完璧の歌声。1時間半があっという間に終わった。

 打ち上げは、2階のオシャレな居酒屋で、高橋君は埼玉県大宮市に帰らなくてはならない。でも、新宿発の埼京線がある、僕は、同じ東京なのだが、乗り継ぎを何度も繰り返さなければならない、打ち上げを11時前に済まして、終電車ぎりぎりに高橋君と忠史君は下北沢駅まで同席して別れた。

 国分寺からの終電に乗って我が家へ、典子さんはもう眠っていた。二人の娘達が居てくれたことで、ハッピー。みんなが寝静まった後、僕も眠った。