何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

510日目 星野宅ガーデンパーティー

2005年08月18日 07時32分32秒 | Weblog
8月17日

 昨日の雨の灯篭流しの余韻を残しながら、朝10時過ぎに目覚めた。今日はいい天気だ、湿っていた布団などを干して、調子の悪いコンピューターと格闘。

 先日、新城の白井さんが決めてくれたスケジュールは、今日。星野さんのお宅でのガーデンパーティーに、出張コックとして出かけるのだが、そこで唄ったらといってくれたのだ。4時に新城市の東新座へ。少しして、耳塚さんもやってきた。5時からだと思っていたパーティーは6時半からだということで、しばしきゅうけいして、10分ほど離れた星野家へ。

 白井さんの料理は、南ヨーロッパ料理という感じで、トマトがベースになっていて、それはおいしい料理だ。僕の出番はアバウトタイム。それぞれに女性たちが集まってきて飲み食い会話に花が咲く。総勢10名ぐらいになったところで、白井さんの料理の端に僕のライブが始まった。広葉樹にあふれた広い庭の中でのライブ、夜空には満月に近いお月様が浮かんでいた。50分ほどの演奏、アンコールもありのライブは楽しく終わった。

 後は、食事がメインのパーティー12時近くにまで及んだ。後片付けをして、東新座に戻り、今夜は耳塚さんと一緒に、ここに泊めてもらった。

509日目 勝坂・灯籠流し

2005年08月18日 07時28分02秒 | Weblog
8月16日

 今夜は、勝坂の灯篭流しの日だ。朝から、激しく雨が降っていた。川の水かさはそれほどでもないが、果たしてできるのだろうかと不安だったが、午後3時ごろから雨はやみ、うっすらお日様も見えたりしていた。

 灯篭流しは7時から、6時に小学校に集まるということだったので、濡れてもいい服装に変えて小学校に出かけた。みーちゃんが、鐘をたたきながらみんなが集まってくるのを待っていた。川原には初盆のあった親族が喪服を着て集まっていた。
 灯篭のそば、橋の入り口、出口、各家の前、道のところどころで松明がたかれている。暗くなってくるとこれが幻想的な世界をかもし出すのだ。

 7時15分ほど前、集まった僕を含めた若衆(果たして若衆と呼べる年齢なのか、でもここ勝坂では若衆なのだ)みんなで川原に降りる。初盆の衆から缶ビールをいただいて飲み干す。しばらくして、急に雨が降り出してきた。かなりの雨脚だ。7時前だったが急遽灯篭を流すことになった。畳一畳ほどの灯篭を川に引っ張り出す、縄のロープは3本、右前と左前の舵取り用、そして、後ろに一本はブレーキ用、見張りの人も含めて6人がかりで川の中に引き込み、灯油をかけて火をつける。あたりは暗くなってきた。僕は右の舵取り。川底の石はごろごろと大きく、コケがはえているのでつるつるすべる。足元を気にしながら、道沿いを歩くちょうちんを先頭にした喪服の衆に合わせて灯篭を流してゆく。雨が激しく、頭から落ちてくる雨水が目に入って痛い。それをTシャツのすそで拭きながら足元を気にしてゆっくり進む。やがて川幅が狭くなってきた。流れの勢いが増してくる。足をとられ始める、懸命にがんばったが、大きな石の上に足がのったとたん、コケのぬめりに滑ってしまった。そのまま、川の中に横倒しに倒れた。灯篭は流れてゆく、それにあわせながらこけながらも舵を取る。二度三度と川の中に倒れこむ、やっと立ち上がったとき、めがねが無くなったことに気がついたが、後の祭り。暗闇の中では探しようもない。そのまま、舵を取りながら、所定の位置まで灯篭を流し、川原に引き上げた。

 みんなで、川の水をかけ消火して灯篭流しは終わった。雨と川に倒れこんだことで全身がずぶぬれになっていた。

 小学校に戻り、雨の中、車から着替えを出して。外で素っ裸になって着替えをすませた。この後は、若連のお疲れ様焼肉会。小学校の屋根のある炊事場のところで火を起こして始まった。勝坂の衆が8人ほど集まっていたので、ここでまだ聞いてもらっていない「勝坂賛歌」を披露した。皆さん大喜びで拍手喝さいしてくれた。よかった。ここ勝坂に住み続けて、自分をこんなに誇らしげに思ったことはない。

508日目 東新座

2005年08月18日 07時21分52秒 | Weblog
8月15日

コンピューターの調子が良くない。又CDの書き込みが出来なくなってしまった。何度もチャレンジしているうちに、2時になってしまった。

今日のライブは、愛知県新城市の東新座。2時半に勝坂を出発。夏の強い日差しを浴びて5時前に到着。お客さんは3人だった。東新座は、今回2度目、前回は映画上映の後のライブだった。今回もと思っていたら、すでに3時から、ビデオ上映をすませていたようで、僕のライブを待つのみだったようだ。
後2人ほどやって来ると言う事だったので、少し待ったが、無駄に時間が過ぎてゆくので、15分頃からライブを開始した。終戦記念日だから、詩の朗読をしたいと、佐溝さんという看板収集家が、僕のライブの途中でやる事になっていた。45分唄って、彼に座をゆずったが、詩の朗読だけでなく、アカペラで唄いだした。途中で3人のお客は立ち上がり帰っていってしまった。
失敗した。
3人いた一人の人は、用事があるので6時半には出なくてはならないとあらかじめ聞いていたのだが、そんなことも言っていなかった残り2人も、その15分前に席を立ってしまった。佐溝さんはその後も僕一人の前で唄った。聞いているのが辛かった。中途半端な状態でライブは何となく終わって、僕は不完全燃焼。
おひねりをもらうタイミングも奪われてしまった。東新座の白井さんが、ひねってくれるという事でライブは成立したが、うーん。

予定していた2人が来たら、セカンドステージライブを始める事になって、それまで、語った。2階で眠っていた、陶芸家の鈴木としくんも加わって、なにこれと雑談していたが、2人は来なかった。
8時になったので、僕は帰ることにした。
今日のリベンジをと、白井さんが、スケジュールの空いている明後日のガーデンパーティーで唄わせてくれる事を約束してくれたので、ホッ!。