8月 3日
12時が過ぎ、唄いつづけていた。泊り客のまだ幼い女の子が昨日のライブが始まる前から異常な泣き声を続けていた。12時を過ぎても延々と泣いていた。僕が挨拶しても、無視した家族だ。ライブ中もみんなで気になって、うわさをしていた。
そろそろ、終わりにしようとしたとき、まだ若いお父さんがドアを開けて、静かにしてもらえませんかと険しい顔で苦情を言ってきた。確かにそうだと思った。でも、ここの管理人の富田さんは不愉快な顔をして、高橋さん、「SHINO」を唄って欲しいという。仕方が無いので、ギターを置いて、アカペラで声を殺して「SHINO」を唄った。
富田さんは、自分の子供が泣きつづけている事をさておいて、僕たちに文句を言ってきて事が気に入らなかったようだ。
ライブ終了後、後片付けをして、解散。そして富田さんの家に戻って、二人で日本酒を飲みながら、泊り客の事を語りながら3時まで飲んだ。泊り客はある調査で来ている人で、それなりに立派な調査をしているらしいが、家族を連れて泊まりに来た事は嬉しいのだが、どうやら、人として納得のいかない人間らしいと力説、この心豊かなブナ林に泊まりに来て、こんなに不愉快な思いをさせる人は初めてだと怒りまくっていた。
とりあえず、明日は、いや今日は東京まで戻らなくてはならないので、眠る事にした。
目覚ましを8時半に設定していた。目覚めた、完全に二日酔い、目覚ましの設定を9時半にして又眠った。
9時半に起床、まだ二日酔いだ。ぐずぐずと布団から起きないまま時間を過ごし、えいっ!っと布団を足で蹴り上げ、起きだした。居間に向かうと奥さんがいた。朝ご飯をすすめられた、食べる気力は無かったのだが、東京まで走る為に食べなきゃならぬと、無理やり箸をもった。
函館からのフェリーの時間はわからないが、12時ごろに乗らなければ、今日中に東京には戻れない。ご飯を頂いて、すぐに、出発。10時。
車の運転をしながらフェリーの出発時間を調べた。函館発12時10分。
何が何でも乗らなきゃ。でも、黒松内からは不可能な時間。駄目元で出来うる限りのスピードで走りつづけた。長万部までは快調に飛ばせたが、そこから函館に向かう国道は車の数が多くなる。ゆっくり走る車を何度も追い越して函館フェリーターミナルについたのは12時5分。もう駄目だとあきらめかけた。でも、最後の望みをかけて、不法駐車をして発券窓口に走り、搭乗手続きのための証明書を書いて窓口でチケットを求めた。1分前。ラッキー、受け付けてくれた。
チケットを受け取って、即、船に乗り込んだ。僕が最後の乗船。ほっ!。
夏休みのせいか、車で乗船した人達以外の乗船客でいっぱいだった。船で寝ようとしたが、2等船室はいっぱい。仕方ないので、雑誌を買って椅子席で到着まで過ごした。一睡もしないで、青森からダッシュ。
途中の経過は書かないが、超いけないスピードで東北自動車道を走りつづけた。家族と過ごしたいという思いが、眠気を吹き飛ばしてくれて、小平市の我が家には12時半前に到着。僕が帰ってくることをわかっている典子さんも起きていた。志乃もゆいも家にいてくれた。疲れているはずなのだが、気分は晴れやかだった。
それにしても東京の暑さは半端じゃない、今日の朝まで、20度近くの気温の北海道にいて、夜になっても30度近い東京の気温にはうんざりの夜だった。
12時が過ぎ、唄いつづけていた。泊り客のまだ幼い女の子が昨日のライブが始まる前から異常な泣き声を続けていた。12時を過ぎても延々と泣いていた。僕が挨拶しても、無視した家族だ。ライブ中もみんなで気になって、うわさをしていた。
そろそろ、終わりにしようとしたとき、まだ若いお父さんがドアを開けて、静かにしてもらえませんかと険しい顔で苦情を言ってきた。確かにそうだと思った。でも、ここの管理人の富田さんは不愉快な顔をして、高橋さん、「SHINO」を唄って欲しいという。仕方が無いので、ギターを置いて、アカペラで声を殺して「SHINO」を唄った。
富田さんは、自分の子供が泣きつづけている事をさておいて、僕たちに文句を言ってきて事が気に入らなかったようだ。
ライブ終了後、後片付けをして、解散。そして富田さんの家に戻って、二人で日本酒を飲みながら、泊り客の事を語りながら3時まで飲んだ。泊り客はある調査で来ている人で、それなりに立派な調査をしているらしいが、家族を連れて泊まりに来た事は嬉しいのだが、どうやら、人として納得のいかない人間らしいと力説、この心豊かなブナ林に泊まりに来て、こんなに不愉快な思いをさせる人は初めてだと怒りまくっていた。
とりあえず、明日は、いや今日は東京まで戻らなくてはならないので、眠る事にした。
目覚ましを8時半に設定していた。目覚めた、完全に二日酔い、目覚ましの設定を9時半にして又眠った。
9時半に起床、まだ二日酔いだ。ぐずぐずと布団から起きないまま時間を過ごし、えいっ!っと布団を足で蹴り上げ、起きだした。居間に向かうと奥さんがいた。朝ご飯をすすめられた、食べる気力は無かったのだが、東京まで走る為に食べなきゃならぬと、無理やり箸をもった。
函館からのフェリーの時間はわからないが、12時ごろに乗らなければ、今日中に東京には戻れない。ご飯を頂いて、すぐに、出発。10時。
車の運転をしながらフェリーの出発時間を調べた。函館発12時10分。
何が何でも乗らなきゃ。でも、黒松内からは不可能な時間。駄目元で出来うる限りのスピードで走りつづけた。長万部までは快調に飛ばせたが、そこから函館に向かう国道は車の数が多くなる。ゆっくり走る車を何度も追い越して函館フェリーターミナルについたのは12時5分。もう駄目だとあきらめかけた。でも、最後の望みをかけて、不法駐車をして発券窓口に走り、搭乗手続きのための証明書を書いて窓口でチケットを求めた。1分前。ラッキー、受け付けてくれた。
チケットを受け取って、即、船に乗り込んだ。僕が最後の乗船。ほっ!。
夏休みのせいか、車で乗船した人達以外の乗船客でいっぱいだった。船で寝ようとしたが、2等船室はいっぱい。仕方ないので、雑誌を買って椅子席で到着まで過ごした。一睡もしないで、青森からダッシュ。
途中の経過は書かないが、超いけないスピードで東北自動車道を走りつづけた。家族と過ごしたいという思いが、眠気を吹き飛ばしてくれて、小平市の我が家には12時半前に到着。僕が帰ってくることをわかっている典子さんも起きていた。志乃もゆいも家にいてくれた。疲れているはずなのだが、気分は晴れやかだった。
それにしても東京の暑さは半端じゃない、今日の朝まで、20度近くの気温の北海道にいて、夜になっても30度近い東京の気温にはうんざりの夜だった。