何気無く大切な一日が、かけがえ無く今日も過ぎてゆく 高橋忠史・多系統萎縮症と生きる・唄い屋。

難病の多系統萎縮症に侵されても音楽を諦めない男のライヴ報告や日々の思い・命のメッセージ

520日目 24 時間ライブ・勝坂

2005年08月27日 15時40分01秒 | Weblog
8月27日

さて、いよいよ24時間ライブが始まります。
浜松市春野町豊岡勝坂の旧勝坂小学校講堂で、まもなく午後4時から、明日の午後4時まで。
みなさまの、おこしをお待ちしています。

ここから、この日の日記です

 ゆっくり眠ろうと思うほど、眠れない。僕らの環境を考えよう24時間ライブのスタートは、午後4時。今回は、旧勝坂小学校がその本舞台だ。

 坂下さんの提案で、勝坂地域に来てくれる人たちは少ないだろうから、春野町各地に出かけて訴えていこうという事になった。僕の出かけている間、本舞台で歌ってくれる人が必要になったが、可能性のあるのは、アマチュアミュージシャンの、名古屋の「わや」さんと、明日の午前中だけならと、浜松の「浦山」さん。その二人だけしかいなかった。が、数日前、焼津の「後藤悟」さんが協力を申し出てくれた。

 まず今夜、元天竜市の熊地域の六所神社のお祭りライブに出かけなければ成らない。7時半からのライブなので、午後6時に出発して帰ってこれるのは10時半頃に成るだろう。その間、本舞台で歌ってくれるのは「わや」さんだけ、これは遺憾と思い、後藤悟さんの留守電に今夜助けてほしいと、お願いのメッセージを入れておいた。

 さて、僕は、1時過ぎから勝坂小学校の講堂のステージに置くための音響機材の準備を始めた。うだるような暑さの中、10分もしない間にタオルがベットリとするほど汗が噴出してくる。
 今回は、音響機材を2種類用意しなくてはならないのだ。小学校に据え置くタイプと。移動した場所で使うタイプ。普段の旅に持ち歩いている一体型の音響機材を移動用に、昔使っていた、セパレーツのタイプの音響機材を据え置きに。据え置きようの機材を車に積み込んで学校に運び込む。

 機材を2階の講堂に運び込んだころに、仙田さんが栗崎君、藤江君と共にやってきてくれた。昨日夜中の2時までかかって坂下さんと作ってくれたという、横断幕や、大きなスケジュールボード、ライブ会場の立て看板などを持って。学校まで来る道すがら、24時間ライブ会場の案内板をポイント、ポイントに立てながらやってきてくれたようだ。一銭の儲けにもならない完全ボランティアの仕事なのに、本当にありがたい事だ。

 それぞれが、準備をしている間に、坂下さんも、撮影の道具や、会場で手渡す「うちわ」を作るためのパソコンとプリンターなども会場に持ち込んで、全員汗まみれになってそれぞれの準備をし続けた。

 それぞれの準備が終わった頃、名古屋から「わや」と神谷さんがやってきた。そして、お客さんたちもぞくぞく(と言っても少人数だったが)やってきてくれ始めた。

 4時になって、さてライブ開始だ。

 24時間コンサートの模様は、神谷さんが作ってくれている、「音楽の森の枝」のホームページに詳しく掲載されると思いますので、そちらをご覧ください。

 6時までの2時間を唄いきり、後のステージは、「わや」さんに任せて、仙田さんと一緒に熊地域の六所神社の祭りのステージに出かけた。同じ浜松市なのだが、元天竜市の熊(くんま)までは遠い。50km以上あるのだ。それでも、夕方過ぎということで、以外に道はすいていて、7時過ぎには会場近くに到着。祭りの会場近くまで来たとき、屋台の引き回しに出会った。なかなか立派な屋台を子供達を先頭に大勢の人たちが縄を持ってゆっくりと引いていた。山間部の小さな集落なのだが、こんなにも大勢の人たちがいるのかと驚くほどの賑わいだった。
 この会場で歌ってほしいと依頼してきたのは、天竜森林組合に勤める太田さん。詰め所から出てきてぼくたちを案内してくれて、ライブ会場へ。太田さんはおおよその打ち合わせをして、又詰め所に戻った。
 ライブ開始の7時半は、すぐにやってきた。ほとんどの人が、屋台を引いているので、その屋台を引き終わらないとお客さんはやってこないと言う。抽選会があるので8時15分に終わってほしいと言う事だった。まばらなお客さんの前で歌い始めた。
 仙田さんには、24時間チャリティーライブの募金箱を持ってもらって、集まったお客さんに募金を訴えてもらった。
 お祭りの中の騒々しい中でのライブなので、元気のいい曲を選んで歌い続けた。8時近くなって、屋台を引き終わった人たちが抽選会場になっているそのステージに集まってきた。人が、増えるたびに、募金を訴えながらのライブ、「ほたら ぼちぼちいこかぁ」では、掛け声を要請しなかったのに、お客さん達が「ちゃいまっかぁー」の部分を反復してし始め、その声はどんどん大きくなっていった。大阪弁の歌なのに、意外な盛り上がり状況に僕は大満足。もっと唄ってほしいと言う感じだったが、抽選会もあることだし、8時15分きっかりに終わって、一旦詰め所にお礼を言いに出かけ、すぐに、勝坂に戻るために車を走らせた。
 たくさんではないが、募金に協力してくれた人たちもそれなりにいて、熊地域出張ライブは大成功だった。

 本舞台には10時半頃到着。「わや」さんが一生懸命唄っていてくれた。そして、留守番電話でお願いしていた、後藤悟さんも来ていてくれた。僕達が熊地域に向かうときすれ違って来てくれた様で、すでにライブを終えていたようだった。疲れた表情の「わや」さんに変わって、すぐにステージに上がって唄いだした。勝坂地域の人たちも何人か参加していてくれた。夜が更けていくごとに人が減っていく中、12時近くまで歌い続け、少し休憩するつもりで、ステージを降りた。

519日目 縣家ホームコンサート

2005年08月27日 12時26分24秒 | Weblog
8月26日

 縣家最終日、台風一過、ものすごくいい天気。暑い、8時過ぎに目が覚めたが、根性で11時過ぎまで眠った。とにかく眠る事が癒しだと思って、汗をかきながらも眠った。

 それだけ眠っても、まだ身体がだるい。長年たまった疲れはそう簡単に抜けるものではないのだ。毎日移動して唄っているときにはわからないのだが、こうして、ゆっくりさせてもらっている時にこそ、今の体調が良くわかる。この気だるい状態が、今の僕の、維持できている最高の調子なのだ。

 ライブは、1時半から。今日も、智ちゃんの友達のお母さん達。前回は若いお母さん達が多くて、珍しくとまっどったライブだったが、今日は知っている人が多く、新曲の「ほたら ぼちぼちいこか」で、掛け合いの部分を作ったので、その曲で、和やかな雰囲気も出て、今回の縣家連続ライブの締めくくりとしてナイスなライブになった。

 みなさんと、しばらくお茶を飲んで、4時前に縣家を出た。

 途中、食料を買い込んで、春野町へ。坂下さんの店に寄って、明日の打ち合わせを簡単に済ませ、勝坂に戻った。明日は明日の風が吹く、明日の準備は明日にして、ごろごろ過ごし、今夜は12時には眠る事にした。

 寝ようと思っていた11時ごろ。ここ10日間以上、痛んでいた歯槽膿漏の左上の奥歯。唄っていても痛みが走り、ライブの最中にも、舌で、痛みのない位置に押し戻してごまかし続けていたのだ。
 このままだと、雑菌が脳にまで達して死んでしまうかもしれないと、不安だったので、しょっちゅう、隙間ブラシを使って、歯肉の奥まで掃除していた。

 その奥歯をいじっていたら、歯肉からはがれそうな気配を感じた。かなりの痛さだったが、歯槽膿漏に冒された歯を、奥に手前にと何度も何度も動かした。そのたびに、かなりの痛みが走る、何度か繰り返しているうちにバリッという音が耳の奥に感じた。次の瞬間、痛みがなくなり歯肉と歯が離れて、スポッと歯が抜けた。かなりしっかりした3本足の歯だった。虫歯ではない。が根っこのほうはかなり老化した感じでくすんでいた。歯が抜けると、痛みはすっかり消えた。
 身体のだるさの原因のひとつに、歯の痛みがあったが、そのひとつの原因が消えた。だが、右下の奥歯は虫歯だ。こちらは、かむと痛い。でも、今まで両奥歯で噛めなくて苦労していたが、左奥歯で噛む事ができるので、食べ物の消化も少しはよくなってくれるだろう。

 歯が痛まないって、なんて素敵なんだろう。今夜は、ぐっすり眠れそうです。